正月から二月が過ぎ、カルタ大会、百人一首の競技会などの映像が何度もテレビで放映された。かるたにもイロハかるたや犬棒かるた、更にはご当地宣伝や交通事故防止を取り上げたものなど、多様なものがある。だが、正月と組み合わせるとやはり百人一首が主流になるのではないだろうか。

 どうして百人一首が正月の遊びになってきたのか良く分らないけれど、むしろ「イロハかるた」が先にあって、正月の子どもの遊びである「凧揚げ」、「独楽回し」などと同じように広がってきたのかもしれない。今では百人一首は「競技かるた」と呼ばれて、全国大会にまでなっているらしい(2018.3.9、朝日新聞、映画「ちはやふるー上の句ー」のテレビ放映の紹介記事)。

 そんな百人一首の風景を見て、私にも幼い頃にこのゲームに興じたことを思い出した。中学生や高校生だったような記憶はないし、ましてや大人になってから遊んだ記憶は一切ない。だとするなら、小学校高学年頃の数年間の記憶なのだろう。

 隣近所の男友達数人によるゲームである。恋歌の多い百人一首であるにもかかわらず、女の子が混じっていたような記憶はなぜかない。もっとも恋や愛などとは無縁な年齢だったこともあるだろうけれど、割とおとなしくつつましやかで、しかも表面ではあるけれど比較的文化的な匂いのするゲームだったなと、思い出してふと苦笑する。

 北海道の百人一首は、取り札が木札である。一枚が縦6〜7センチ、横4〜5センチ、厚さ4〜5ミリほどの、掌にすっぽり入るほどのサイズである。この札に墨痕鮮やかに百人一首の下の句だけが書かれていた。とは言っても、我々の家庭で買えるような安物は自筆による墨痕ではなく、何らかの方法で印刷されたものだっただろう。それが百枚木箱に入り、別に木札よりも一回り小さい厚紙に印刷された読み札が百枚、別の箱に収められていた。この大小の二箱とカルタを広げられるだけの場所さえあれば、百人一首はいつでも誰とでも遊ぶことができたのである。

 ルールは様々考えられる。100枚を前に数人が混在して対決し、獲得した札の多い者を勝ちとする方式もあるだろう。ただ私たちが遊んだのは、敵味方に分けられた対戦ゲームであった。50枚二組に分けた木札を敵と味方で互いに受け持ち、読み上げられた札を対戦相手より先にタッチする、いわゆる早い者勝ちの勝負である。もちろん多く取った方が勝であることは言うまでもない。

 ゲームは敵味方同人数で行い、これに読み手として一人が必要となるので常に奇数人が必要となる。私たちがやったのは味方三人、敵三人、読み手一人の七人グループが多かった。二対二の五人でも可能なのだが、そんな記憶はない。数は少ないながらも一対一の直接対決の記憶がかすかに残っている。しかし、七人を超えるような人数でやった記憶はない。

 まず100枚の木札を、ランダムに相手と折半する。10枚の木札の山を10組作って横に並べ、相手とその山を一つずつ交互に取り分けたのを覚えている。これで50枚の木札がランダムに配給された。これを味方三人で分配するのである。

 三人が札を均等に持つことはなかった。三人に「守り」、「中堅」、「攻め」の役目を割り当て、それぞれに30数枚、10数枚、そして攻めには5枚を持たせるのである。そして、味方同士でも決して隣の領域に手を出してはいけないルールになっていた。

 そして、「守り」は敵の「攻め」と、「中堅」は中堅同士で、「攻め」は敵の「守り」とそれぞれ対決するのである。中堅はともあれ、守り役割は「決して相手から自分の守備範囲にある木札を取られないこと」にあり、攻めの役割は「仮に自分の札が奪われることがあったとしても、どこまで相手の守りを崩せるか」にあった。

 守りはゲームを得意とする者に分担させるのが常ではあるが、対峙する「攻め」の守備範囲の5枚の札を狙うことは半ば諦めている。そはさりながらせめて一枚くらいは取りたいものだとの魂胆だけは、密かに抱いている。一方攻める側は、自らの肉を切られても相手の骨を切れの意識が基本である。30数枚対5枚の攻防である。攻めが守りに抜かれるようなことは決して許すまいとの気概は無意識に持っているし、逆に守りが攻めの5枚から一枚でも抜き取ることは、何とも言えない快感である。

 こうしたせめぎ合いの中で勝負は進んでいく。相手の札を取ったときは、その札を自らの勝利の印として貰いうけて場外に戦果として積んでおき、自らの守備範囲にある札を一枚相手に渡す。また、自分の札を自分で取ったときは、守備範囲からその札を外して戦果として積む。かくして読み手の進行により、目の前から木札は一枚ずつ消えていき、やがて守備範囲の札が一枚もなくなったグループが勝となる。

 これまでの話で分るとは思うが、3対3のグループゲームとは言いながら、基本は「守り一人」対「攻め一人」の二組対決が中心である。この両者のせめぎ合いこそが、このゲームの醍醐味である。七人ゲームは、互いが50枚ずつ持って対峙する「守り対守り」の一対一なんぞとは比べ物にならないほどの緊張感をこの百人一首対決に与えるのである。その緊迫感が子どもにも伝わって、飽くないゲーム世界に浸る原因になったのであろう。

 ところで、攻めは無手勝流である。5枚のもち札という責任を持たされてはいるけれど、これをを無視しても守りたる相手の領域へ数多く手を伸ばし、敵を追い詰めることこそ本領である。

 一方「守り」としては、一枚たりとも自分のもち札から奪取されることは許さないことが基本となる。我が持ち札30数枚を完璧に自らの手にしてこその「守り」である。どんな手を使っても奪われることなどあってはならない。たとえ一枚たりともである。

 そのため守りは自らの責任である30数枚の書かれた歌と位置を正確に記憶し、読み手の声にすかさず反応してタッチしなければならない。30数枚の札は、特にルールはなかったと思うが自分と攻めの間に、自からが読める方向へ向けて約三列に並べた。一列10数枚、これをゲームの都度暗記するなど無理である。お気に入りの札を数枚、左右どちらかに偏重させて配置することくらいしかできない。

 だが、どうやつたところで自らの札30数枚の守備は変わらない。得意札を右にまとめたところで、攻める側も敵地に配置されている自らの得意札を虎視眈々と狙っている。ランダムに配置すると、今度はどこにどんな札を置いたか、自らの記憶が怪しくなる。やはり、何らかの方法で札をグループに分け、グループごとに記憶していくのがベターである。

 かくして私が選択した手段が、「あかいこしまき」というキーワードであった。赤い腰巻という表現なんぞ、小学生にしてはいささか隠微だとは思うけれど、恐らく私のオリジナルではあるまい。誰かの物真似だとは思うけれど、私はこのキーワードによるグループ分けを選んでいた。

 下の句の始まる言葉を、「あ」、「か」、「い」・・・に分けるのである。「暁ばかり、憂きものはなし」、「有明の月をも待ちいずるかな」は「あ」の部、「かけしや袖の、濡れもこそすれ」、「甲斐なくたたん、名こそ惜しけれ」は「か」の部。「いずみきとてか、恋しかるべき」、「いでそよ人を、忘れやはする」は「い」という具合である。

 かくして配置は完了した。攻める側もわたしの配置をじっくりと眺め、どこにどんな札があるかを、必死の思いで記憶しようとしている。読み手の声に反応して、即座に木札まで到達しなければならない。一枚の読み札を巡る攻防が、今まさに始まろうとしている。

    ***********************************************************************

 自分だけの思い出にひたってしまい、ゲームの進行の話が長くなってしまった。読み手の問題、そして百人一首の歌についても少し触れたいことがあるので次稿へ続けます。

                             別稿「百人一首、今ひとたびの〜」へ続きます。


                                     2018.3.9        佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ
 
 
 
百人一首と赤い腰巻き