すぐ近くにまで行ったことはあるけれど、記憶に残っていないところを見ると、もしかしたら私は一度も登ったことがないのかも知れない。東京タワーの思い出である。東京へは会議や旅行で何度も行ったし、新宿の学生寮を根城として、一年単位の研修を隔年で二度受けたことがある。だから私は、短いにしろ東京の住民だったこともあるのであり、都内の地理にはそれなり詳しいつもりでいる。

 また、浅草や銀座などの、いわゆる観光地区はウイークディーを使って、かなり精力的に回った記憶がある。だから東京タワー(東京都港区)なんぞ、登っていないはずがないと思っていた。ところが、外から眺めた記憶はあるにもかかわらず、登った記憶がないのである。札幌のテレビ塔も登ったし、名古屋のテレビ塔も登ったことは覚えている。しかし東京タワーには、そうした記憶がまるでないのである。

 東京のどこからでも眺められる天を突く赤い雄姿は、まさに珍しくもなんともない、いわゆる日常的な風景である。それなのに、登ったという感触が私の記憶の中にまるでないことに気づいた。

 その東京タワーがこの12月23日に、開業満60周年、つまり還暦を迎えたとの報道があった(2018.12.23、朝日新聞)。ところで先週、一兆円予算について書き、その中で私の生きていた時代の13歳から66年を経て、13歳当時の国家予算一兆円が来年度100兆円になったことを書いた(別稿「一兆円予算」参照)。

 東京タワーが今年還暦を迎えたということは、そのまま78歳の私の中での60年前に建築されたということであり、建設当時私は18歳だったことを意味している。その前年の1957年に、札幌にテレビ塔が建設されたのを記憶している。夕張の高校生だった私は札幌にテレビ塔ができたと聞き、少し高台から札幌の方向を眺めたような記憶がある。

 夕張〜札幌は直線距離で50キロもあるから、いかに夕張が高地にあるとしても見えるはずなどないのだが、二股峠と呼ばれる見晴らしのいい札幌へ向かう国道の傍らで、遠い札幌に思いを馳せていた。

 東京タワーが開業したのはその翌年である。恐らくそのニュースはすぐに伝わってきたとは思うけれど、修学履行にすらいけなかった炭鉱マンの息子である高校生にとって、東京なんぞは異国とそれほど違わない、ほとんど無縁の土地であった。

 18歳の私はその年、国家公務員(税務職員)として採用され、税務講習所札幌支所で北海道各地から集まった同期生30名と寮生活に入った。当時はそんな気負いなどまるでなかったけれど、思い起こせばその寮生活は両親から離れた「私の社会人としての出発点」、未成年ではあるけれど「大人としての出発点」の年であった。そして、東京タワーの開業はまさに私の青春のスタートと軌を一にしたものだったのである。

 もちろん東京タワーは、例えば東京オリンピックの開催記念であるとか、講和条約発効の記念とかいう、日本の節目として建てられたものではない。だから、そこに日本の歴史としての意味づけを与えることはできないだろう。それでも建設され、開業から今年で還暦(60年)を迎えたいうことは、そのまま私の青春からの還暦、社会人としての還暦を伝えるものだったのである。

 あと一月を経ずして私は79歳になる。それなり元気なつもりではいるけれど、足首の痛みは膝から腰へと拡大し、今では杖なしでは事務所通いも難しいまでに老いが迫ってきている。かつては他人より少しは知っていると自負してきたコンピュータ操作も、最近では自信がなくなってきた。

 自作のホームページデータを預けてあるサーバーがサービスを停止するとの連絡を受けて、半年以内に新しいサーバーへ引越ししなければならなくなった。それにもかかわらず、引越しの操作要領をいくら読んでもまるで頭に入らなくなってきているからである。

 現在のサーバーの廃止されるということは、このままだと私のホームページが永劫になくなってしまうことを意味する。「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」がどんな意味で語られたのか分からないけれど、インターネットの世界から、雑文にしろ15年以上もかけて育ててきた私のエッセイが、跡形なく消えてしまうことを意味している。それはどことない不条理であり、忍びない思いが残る。

 引越し方法について少し曙光が見えてきたような気はしているのだが、来年3月末までに引越しが無事完了し、どうにかして生き残りたいものだと、ない知恵を絞って奮闘中である。

 そんな思いとは裏腹に、新しいエッセイのネタはなかなか見つからず、毎週二本の発表が少しずつ負担になってきているのも事実である。ホームページもそろそろ引退かなと思う気持ちも、時には脳裏をよぎることがある。書くことや発表することを生き甲斐と言っていいのか、それとも単なる年寄りの冷や水と切り捨てたほうが似合っているのか分からないけれど、少しは痴呆予防にはなっているような気もしている。

 ともあれ、私は東京タワーの還暦以前に生まれたのである。色々な意味で「老い」が身に染むようになってきていることは事実である。それはもしかしたら「なってきている」のではなく、私の生き様そのものがが「老い」の中にあるという実感が身に染むようになってきているということなのかもしれない。

 だからと言って東京タワーが、還暦で役目を終えるわけで゚はない。たとえ東京スカイツリーに後進を譲ったとしても、まだまだ現役として活躍する余地は残されているだろう。そして私も・・・。


                            2018.12.26     佐々木利夫


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還暦東京タワー