「我が腰痛始末記1」からの続きです。

 入院したと言っても外傷や骨折とは無関係な外科である。腰が痛い、足首が痛いと言ったところで、歩いたり屈んだりするならともかく、静かにしていると何の痛みもない。ましてやベッドに仰向けになって腰に巻いたベルトを足下へ引っ張るだけが入院の目的である。引っ張られているという体感すら、ほとんど感じられないような日課である。身動きできないというわけではないけれど、まさに天井を眺めるだけの寝たきり生活がはじまったのである。

 小型のテレビがベッドごとに備え付けられている。だが自販機から購入した1000円のカードを差し込む方式の有料で、一分一円の割合で減っていくメーターがテレビのすぐ上に設置してあり、なんとなく落ち着かない状況下にある。とすると、乾電池の消耗はあるものの、持参してきたポケットラジオが情報源、かつ暇つぶしとして重宝である。

 おまけにこのラジオにはメモリーが内蔵してあって、これまでに昔のラジオドラマの「冷たい方程式」や好きなJポップ十数曲などが保存してあるので、無聊をなぐさめる道具としても重宝しそうである。

 看護師に聞くところによれば、この病院は患者向けにインターネット環境は用意されておらず、無料のワイファイ環境にもないという。せっかく自宅からi-PADを持ってきたのだがこれでは何の役にも立たない。

 見舞いに来た娘が、どこでも使えるワイファイがレンタルで借りられる、私も旅行などで利用したことがあるという。一ヶ月数千円で、パソコンを病室に持ち込むことはともかく、i-PADによるメールやネット利用などができるらしい。このままでは家族との連絡は公衆電話か病院からの呼び出ししかできないことになるので、早速申し込んでもらうことにする。市内の電気店に申し込むと二日足らずでレンタル機器がベッドに届くことになり、ネット環境が整うことになった。

 これでベッド生活は、見違えるほど多様になった。レンタルワィファイで利用できるデータ量を7ギガで申し込んだらしいが、それがどの程度の利用価値というか満足度になるのかは分らないものの、メールもネットサーフィンもとりあえず私の支配下に入ることになったのである。

 利用してみると、映画などの動画を長時間見るときのデータ量までは分らないものの、メールとかネットサーフィン、そしてNHKの音声アーカイブ(過去の放送番組の再聴取)などを気ままに利用したとしても、一日数百メガの消費で足りることが分ってきた。これで一ヶ月や二ヶ月は特に気兼ねすることなくネット世界に遊ぶことができそうである。

 暇つぶしというか、特に退屈を紛らわせる環境は整った。そうこうする内に、入院の原因となった腰痛とはどこか違う腰の痛みを感じてきた。何が原因なのか分らない。腰が痛くて入院したのだから、薄らいでくれるならのならともかく、痛くなるというのは明らかに矛盾する。ベッドに横になっていても痛いのである。寝返りを打ったり、寝たきりの姿勢を少し動かすと楽になる。特に夜の就寝開始の時間帯が気になるようになってきた。

 それで気づいたことがある。腰が痛いのかそれとも足の痛みと腰痛とを混同しているのか、実は分らなくなってきたことであった。病室でもトイレや入浴などの利用は杖を使っているが、痛みが腰か足首かは微妙なのである。もしかしたら足首が痛いのであって、腰痛は入院時より軽くなっているのかもしれないと思うようになってき。

 しかも、しかもである。もし腰が痛いとするなら、その原因は入院のきっかけとなった椎間板ヘルニアにあるのではなく、「寝たきり状態」にあるのではないかと思うようになってきた。つまり、強いて名づけるなら「寝たきり腰痛症候群」とでも言うような症状ではないかと思うようになってきたのである。

 これでは入院している意味がないではないか。しかも一日中続けている腰椎の牽引作業も、それほど効果があるようには思えない。牽引は寝ながら行わなければならないし、その「寝ながら」が逆に腰痛を引き起こしているという利益造反行為になっているのではないだろうか。

 つまりは、起きて日常生活を続けていたほうが、少なくとも腰の痛みの軽減になっているように思えてきたのである。それで10日ばかり経ったころに、医者に「寝てばっかりで腰が痛い」、「普通の生活をしているほうが腰が楽だ」と訴えたのである。

 医師も牽引の効果は余り見られないと判断したのだろう、あと数日入院して牽引を継続し土曜日には退院していいとの神託が下されたのである。既に足首は治癒不可能と伝えられていたし、この退院許可により腰痛もまた完治不能と間接的ながら宣言されることになったのである。

 かくして僅か二週間の入院で退院することになった。確かに入院前日のあの激痛はなくなった。だがそれはその日のうちに緩和していたのであるから、入院の効果で腰痛が軽減したとは思えない。しかも足首はMRIなどの写真を見せられて完治不能の宣言、だとするならこの二週間の入院は一体何だったのだろうとのすっきりしない思いを抱いたまま、自宅までの徒歩約25分を杖突ながら病院を後にいたのであった。

 そして今日までの入院からは25日間、退院から10日あまりを経て、それまでと何も変わらない自宅と事務所の通勤を繰りかえす日常が続いている。なんだか逆に、足首の痛みが少し増えてきているような思いさえしてくる。そしてそれは、医者からの人工足首関節の置換以外に治療方法はないとの宣言がどこかで影響しているように思えてならないのである。


                              2018.11.1      佐々木利夫


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我が腰痛始末記2