突然の腰痛に襲われて、急遽整形外科に入院したことは既に10月5日、13日、22日の更新記録で発表したところである。そこで私の腰痛に至る遍歴を、改めてここにまとめておきたいと思って書いている。

 どことなく腰が痛いと感じたのは、入院の一週間ほど前の9月の末頃からのことである。もともと数年前から足首が痛くて、杖をつきはじめてから約一年半ほどになる。事務所を開設した20年ほど前、自宅から事務所までの全コース片道約4キロを往復とも毎日歩いて通っていた。往復一万数千歩を歩数計でカウントし、自らを伊能忠敬になぞらえて一人悦に入っていたこともある(別稿「4000万歩の男」参照)。

 退職時の体重が86キロにもなり、これではならじとダイエット方々始めたのが徒歩通勤の動機であった。マイカーもあったのだが、事務所以外に利用することは滅多になく、思ったよりマイカーの維持費が多額になることもその後押しをした。

 事務所近くに、2時間ほどで往復できる三角山(標高約300メートル)があり、その登山も私の健康増進・体重減少に役立つように思え、徒歩通勤に加算することにしていた。だがその登山もどこか足首に影響されるようになってきたのは、どこか無理があったのだろうか(別稿「三角山が消えていく」参照)

 足首の痛さは、若いときから長歩きをすると気になることはあった。それでも、片道だけとはいいながら札幌から小樽まで歩いたこともあり、数年に一度くらいなのでほとんど気にならなかった。ただ、札幌さくら旅という写真をこのホームページに発表するようになって、その撮影のために札幌市の各区を毎年歩いているうちに、足首の痛さが少しずつ気になるようになってきた。そしてさくら旅の発表を諦めるきっかけにもなった。

 そして5年ほど前から徒歩による全コース通勤を諦めて、電車通勤に切り替えたのである。到着駅から事務所までは歩くので、歩数がゼロになることはなかったものの、それでも従来の1万数千歩の実績が、約6〜7千歩にまで減ることになった。

 この間、整形外科を何箇所か回って、足首の痛さについて調べてもらったことは言うまでもない。ただどの医者も、足首のMRIかCTスキャンをして、痛み止めの薬とシップ薬だけの処方であった。そして診断結果は、足首の軟骨が減っていて(変形性関節症)、神経が骨に直接触れているために痛むのだとの診立てであった。

 そして判で押したように、治すには足首固定術で足首そのものを動かないように固定するか、人工足首関節に置換する手術しかないというのである。そしてそのたびに、股関節と膝関節にはいい人工関節はあるけれど、足首は狭い場所に大きな力がかかるので予後はよくない、騙し騙し今の状態と付き合っていくのがいいのではないかとも付け加えられた。

 ネットで調べてみたが、やはり人工足首関節の評判は必ずしも良くないようであり、結局現状で痛みと仲良く付き合っていくのがベターであると思われた。

 その間にも足首の痛みは徐々に進み、一年半ほど前から通勤に杖を使うようになった。杖ついて狭い歩幅でゆっくり歩く姿は、まさに老人の典型である。ヨタヨタヨボヨボの歩行スタイルは、加齢そのものを象徴しているようでもあった。

 杖を使い始めてから約一年半、右手に杖、左手にかばんのヨタヨタ通勤が始まった。どうしても杖に力を入れて歩くことになり、どこかいびつな歩き方にならざるを得ない。

 数日前から、屈んで物を拾うような動作に違和感を感じてきた。歩き方の変調が腰にきたのではないか、咄嗟にそんなことを考えた。それでもそんな腰の痛みは日常そんなに頻繁に起きることはないので、それほど気になることはなかった。

 そして突然の10月5日、金曜日の早朝のことであった。毎日私は、まだ明け染めぬ5時前後にベッドから這い出してトイレで小用を済ませ、新聞受けから取り出した朝刊を読み始めることにしている。ところがベッドから降りたのに歩けないのである。降りるのがやっとで、立ったままでいることもいることすらできないのである。壁を伝っていつも通り新聞までたどり着いたのだが、机までたどり着くのがやっとである。しかも腰は一向に静まってくれない。

 これでは事務所まで歩くことなど思いもよらないし、仮にタクシーを使ったところで解決する問題ではない。椅子に座っているぶんには食事もテレビもなんとか可能なので、トイレや顔を洗うために洗面所へ行くようなことをしない限り、見た目は普通である。しかし、椅子から立ち上がることすら苦痛である。

 これでは医者に行くしかない。近くに整形外科があるので一体どうしたことなのか診断してもらうことにした。タクシーで駆けつけた病院で、MRIやCTスキャンを受ける。結果は、足首はこれまでの診断と同じ、腰は背骨から神経がはみ出していて、いわゆる腰椎椎間板ヘルニアであるとの診断である。

 医師は即座にリハビリのために通院するか、入院して腰椎の牽引とリハビリを併用するかどちらかを選べという。レントゲンや診断などで病院内を歩いているうちに、腰の痛みは多少和らいではきたものの、今朝の激痛を思い出すと入院することに決める。ただ、事務所の整理など今すぐは無理であり、明日入院することに同意する。

 かくて腰痛の入院生活科が始まった。とは言っても、激痛は去っているので薬の処方はない。ベッドに取り付けてある装置に重りをとりつけて、腰に巻いたベルトにそれを引っ掛けて腰骨ごと骨盤を下方へ伸ばすと称する牽引に入った。最初は重りを3キロから始め、数日置きに1キロずつ増やすという。そして牽引の時間は最初は10分引っ張って20分休む、そして20分牽引して30休憩するなどへと延長し、最大7キロ30分間隔などへと広げていくよいになった。これを一日中繰り帰すのである。そしてそれだけが日課の入院生活なのである。

 牽引という仕事が間断なくあるので、休憩を挟むとは言いながらもベッドに食事やトイレ以外は完全にベッドに拘束される生活が始まったのである。

  退屈な日々が始まりました。別稿「我が腰痛始末記2」へ続けます。


                               2018.10.27        佐々木利夫


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我が腰痛始末記1