前稿「AI兵器の意志〜1」からの続きです。

 AI兵器とはその名の通り兵器である。兵器といっても用途や形態は様々であろう。素人の私が考え付くものと言えば、せいぜいミサイルを搭載した無人飛行機とかドローンであり、SFめくかも知れないが自動戦車であるとかロボット兵士くらいなものである。場合によってはAI搭載の地雷などもあるかもしれない。

 まあ、形態は様々だとしても、その目的は恐らく戦争利用であろう。もちろん戦争だけでなく、テロや革命や反乱、先日アメリカで起きたショッピングセンターにおける銃乱射で30名死亡という事件まで多様な利用方法があるとは思う。

 それでもAI兵器の利用を戦争目的に限ったとしても、あながち間違いではないだろう。戦争には多くの人が反対している。悪だと宣言している。その理由には様々なものがあるのかもしれないけれど、一番単純で明快な答が一つだけある。それは「人を殺すから」と言う理由である。

 このテーマの発端になった「AI兵器は怖い」との発言も、結局はAI兵器が人を殺戮すると言うことが原因であろう。殺戮しない兵器というものも、観念的には考えられないではないけれど、「怖い」と言う言葉の裏にはAI兵器で人が殺されるという現実があるからだと思う。

 でも考えてみると、この考えには矛盾がある。別に人を殺す兵器はAI兵器に限るものではないからである。弓矢から鉄砲・大砲へと、武器の発達はそのまま殺戮の増加だったからである。AI兵器だけが、殺戮に特化しているとは思えない。

 それでは「AI兵器は怖い」という背景は何だろうか。「人に殺されるのならいいけれど、機械に殺されるのは嫌だ」というのなら、それはそれで理屈が通る。無機質なAIマシンに殺されるのは、情緒的に嫌だという理屈である。でもそれは、理屈として通るだけで一貫した論理にはなっていない。「人に殺されるのならいいが・・・」という前提そのものが、成立しないように思えるからである。

 もう一つ「AI兵器が怖い」とする理由が考えられる。それは、誤射であり、誤爆である。つまり、本来攻撃してはならない対象であるにもかからわず、AIの誤動作により対象外の第三者が攻撃されてしまう恐れがあるからだを根拠とするものである。

 それは恐らく、敵と味方の誤認、兵士と民間人の誤認、そして更にはいわゆる巻き添えによる死者の発生などが考えられるだろう。でも本当になのだろうか。AIによる攻撃が人間による攻撃よりも誤爆が多いと言う事実もデータも、少なくとも私は知らない。

 人間には許されてもAIには、一人の誤射すら許されないとする理論を当てはめることは可能かもしれない。しかし、それは人間による誤爆を是認することになってしまい、AIによる攻撃を否定する根拠にはならないように私は思う。少なくとも、人間による攻撃よりは死者数を少なく出来るのであれば、そして誤射をより少なく出来るのであれば、AI兵器を否定する根拠にはならないのではないだろうか。

 もう一つ考えられる。無差別攻撃である。AIがある地域の完全封殺を狙い、その地域全体を攻撃してしまう可能性である。AIがそういうことを考えるのか、プログラムでそのような行動の選択肢を組み込むのか、そこまで分からないけれど、AIに意志と言うものを認めるとすれば、そうした可能性もないではない。

 ならば、人はそうした手段を選択することはないのだろうか。そんなことはない。人間対人間の戦争でも、無差別爆撃や無差別攻撃などは、当たり前に存在しているからである。

 今日は8月7日である。昨日8月6日は、今から74年前に世界で始めて広島に原子爆弾が投下された日である。この投下により、広島だけで後遺症者も含めて14万人もの死者が発生したと言われている。なぜ広島だったのかはともかく、まさに無差別であり、兵士と民間人や男女や大人子供を区別することなく全市民が爆撃の対象になったのである。この事実一つをとってみても、人もまた無差別殺戮を選択する残酷さを当たり前に持っているのである。

 私はAI兵器を奨励したいと思っているのではない。むしろ兵器そのものを禁止すべきだとすら思っている。だが、人間が存在する以上、この世から兵器がなくなることはないだろう。それはそのまま、世界から戦争がなくなることはないだろうことを意味している。

 「効率よく人を殺す」、これがAI兵器の目的なのではないだろうか。何が効率かはともかく、だとするならそこに「最小限度の死」というプログラムを組み込むことはできないだろうか、そんなことを願うばかりである。なぜなら、アメリカ、ソ連、中国、インド、フランス、イギリスなどなど、世界の今は核兵器の拡大の最中にあり、イランや北朝鮮なども含めて世界中が核兵器に飲み込まれようとしている最中にあるからである。

 そして核兵器に比べるなら、AI兵器はまだ被害が小さいように思える。そしてもし仮にAIに知能が組み込まれ、AI兵器に意志を持たせることができるようになるのなら、そしてAI兵器が究極として、「最小殺戮」つまり殺人ゼロにまで到達することができるのだとするなら、そんな兵器も悪くないと思っているのである。

 もちろんAI兵器の意志とは、そのままAIそのものの意志と同じ意味を持っている。そして、意志とは何かは、私の中でまだ完全にと言ってもいいほど未解決のままである。

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 「AI兵器の意志」なんぞと、粋がって書き始めたけれど、結局何の結論も得られなかった。それでも、「AIに意志はあるのか、AIは意志を持てるのか」は、私の中で消えない思いとして残っている。兵器から少し離れて、AIそのもの意志についてもう少し考えてみたい。別稿「AIの意志〜1」へ続けます。

 私は、どこかでAIに恋してしまったような気さえしている。


                    2019.8.7        佐々木利夫


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AI兵器の意志〜2