「宇宙に生命は存在するか」と問われたなら、恐らく「存在しない」と言う答はないだろう。それは、宇宙には無限とも言えるほどの惑星があり、そうした惑星の「どこにも生命体は存在していないこと」が確かめられていないからである。

 「無いこと」の証明は、「一つの例外もなく存在しない」ことが事実として証明しされて初めて成立することだからである。だからと言って、「確かめられない」ことがそのまま、「存在する」ことにつながるわけではない。

 私たちが「生命体はいない」ことを確認できている惑星は、地球の周りにある太陽や月や火星など数個に限られている。それも、「地球型の生命は」と言う意味での不存在あり、しかも「恐らく・・・」との前提付きでの不存在でしかない。

 それはつまり、「調べた範囲内に生命体はいなかった」だけのことだからである。だから、「まだ調べていないところにも存在していない」ことまで明示するものではない。

 月に生命の存在していないことは、今では誰も疑う者はいないかもしれない。でも、「生命とは何かの定義にもよるだろうけれど、月に生命体の存在しないことが科学的に立証されたわけではない。

 電子顕微鏡でも確認できないような微小な生物、思考力だけで肉体を持たない生物、数億年を単位として呼吸する生命体、光子の中に住む生物、月そのものが一個の生命体であるなどなど、生命の態様は様々だと思うからである。

 その中での月の生命の不存在は、「調べた範囲内では、地球に存在しているような類の動植物や細菌などは見当たらなかった」ことを示したにしか過ぎない。だから「ないことの証明」は、「皆無つまりゼロ」の証明ではないのである。しかし、「存在していること」が証明されていない以上、「ゼロの証明が不十分」であることをもって、「存在する」ことの証明になるわけではない。

 それにしても地球の今は人類で溢れかえっている。全人類の食糧供給が、間もなく充足できなくなるだろうとすら言われている。いやいや、既に難民や移民や貧困者などに起きている飢えの現状は、すでに食糧供給が世界的に機能しなくなっている現状を示しているのかもしれない。

 食料充足の問題だけではない。人類の大発生は、地球そのものの生態系を破壊するまでになっている。人類の存在そのものが、地球全体における生物の存続を危うくしているように思えるのである。

 もちろん自然淘汰と言われる進化の流れがある。ある特定の生物の極端な増加は、その生物の餌となる動植物が欠乏することを意味している。そしてその結果、その生物の増加が自動的に制御され、一つの安定した数の範囲内にその生物の増加が抑制されることを意味している。特定の生物の過剰な増加があったとしても、淘汰の流れの中で自律的に一定数に安定していく傾向を意味する。

 ところが人間は、こうした自然界の自律機能を自ら破壊するような進化を遂げた。それが人類特有の知恵と呼ぶべきか、それとも生物としては異質な進化なのか、そこまでは分からない。

 萩原朔太郎に、詩というかエッセイと言うか、「死なないたこ」と言う作品を読んだことがある。うろ覚えの記憶でしかないけれど、こんな内容だったと思う。

 「ある水族館の片隅に、忘れられた水槽があった。誰からも忘れ去られ、存在すら知られていない水槽があった。だがその水槽には、一匹のタコがひつそりと生きていた。餌も与えられず飢えたタコは、やがて自分の足を食べ始めた。八本の足の全部を食いつくし、それでも飢えたタコは頭まで食いつくた。そしてやがて自分の全部を食い尽くてしまった。それでもタコは生きていた。忘れられ澱んだ水槽の奥に、自らの全部を食いつくし、それでも死ななかった執念だけのタコが潜んでいた」

 こんな内容だったような気がする。「肉体を持たず、執念だけの生命体」、それが朔太郎の描いた飢えたタコの最終形態であった。

 ところが人間は違う方向へ向かことになった。タコは自分の体を食い尽くしたけれど、人間は「人間以外の全て」を食い尽くそうとしている。まるで、童話「はらぺこおなべ」(神沢利子)そのままである(別稿「はらぺこおなべ」参照)。

 料理を作るだけの道具であることに飽きたナベが、自分も食べる側にまわることを決心をする。最初は手近なネズミの持っているソーセージが対象だったが、止まることをしらない飢えは川や海の魚や地上の全てを食いつくし、やがて宇宙へと飛び出していく、そんな物語である。

 人類は、間もなく地球を食べ尽くそうとしている。それでも人類は、自らの増加に歯止めをかけようとは思わない。偏った飽食にブレーキをかけようとする、そんな気配すら見せようとはしない。飢餓は既に世界規模にまで蔓延し、それでも人口増加は止まろうとすらしない。

 それだけにとどまらず私たちは、今や資源を求めて地球から宇宙へ進出しようとしている。まさに「はらぺこおなべ」そのままに、食べ物の残っていない地球に見切りをつけて、宇宙を食べ尽くすために旅立とうとしている。

 そうした人類の姿は、もはや「我々はどこから来たのか、どこへ行こうとしているのか」などと言った、抽象的で哲学的な問いかけを越えて、まさに「食う物が無い」と言う現実にまで直面しているのである。


                    2019.10.5        佐々木利夫


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