北海道には各地から高い山の初冠雪が聞かれるようになりました。秋深しを超えて、既に北国は初冬を迎えたような気配です。

 エッセイの発表は久しぶりになります。仏の顔も三度という俚諺があります。何か良くないことがあっても、たまたま運に恵まれたか、はたまた神仏の加護によるものか、不運や怪我などに見舞われることなく、無事に納まることがある。でも、そんな幸運は二度ぐらいはあるかもしれないが、三度と続くことはないと言う意味の諺である。

 その三度目が、私にも起きてしまった。脳梗塞の三度目の再発である。時は9月18日の未明、まだ暗闇の三時半頃目が醒めた。夜中に一度くらいはトイレに行くことが多いので、それほど珍しいことではない。ところが、ベッドに腰を下ろし手をついてやや寝ぼけ状態で立ち上がったとたん、いきなり転んでしまった。ふらふらと目まいがすると言うのではなく、足腰に力が入らないのである。

 我が家にはトイレ、玄関までの壁に横棒の手すりがついている。数年前に死亡した母が使っていたものを、そのまま譲り受けて設置したものである。それを伝ってどうやらトイレまでは行けたものの、帰り道のベッドまでの道のりがとてつもなく遠い。つまり、うまく歩けないのである。これはどこか変だと、寝室の隣の部屋の我が机までどうやらたどり着き、明かりをつける。

 最初に考えたのが、脳梗塞三回目の発作の恐れであった。椅子に腰をかけたまま両手をまっすぐ目の前に差しだし、手のひらを上に向けて両目を閉じる。

 これまで二度の発作で、必ず医者から求められた動作である。こうすることで、脳梗塞の場合は自然に右腕か左腕のどちらかが下がるそうである。それが梗塞の起きた反対側の脳の障害の表れだと言われた。つまり、右が下がれば左脳に梗塞が起きたことになるのだそうである。

 ところが、両腕とも特に下がることはない。自己診断による限り、脳梗塞の予感は外れたような感じである。医師による診断ではないものの、「脳梗塞ではないかもしれない」と、中途半端ながら少しほっとする。

 そのうちに妻が起きだしてきた。座ってテレビを見ていると、どうも画面が゚二重になっている。思わず手近の手鏡に顔を映してみると、左の黒目が左に寄っている。この状態は尋常ではない。両手揚げの自己診断は、もしかしたら当てにはならないかもしれないと思いつく。とりあえず脳梗塞再発を防止するため、数年来四週に一度欠かさず通院して診断を受けている脳神経外科病院へいくことにする。

 病院へ電話するが、「開院時間前です」のアナウンスが流れてまるで通じない。食欲もなく、朝飯も一口二口口に入れたものの、二度ほど吐いてしまった。まともではないので、予約なしで病院へ向かうことにした。通常その病院へはJR手で稲駅まで行き徒歩で通っている。

 だが室内はおろか、靴を履いてエレベータに乗り込むにも足腰に力が入らない。エレベーター手前の踊り場で思い切り転んでしまった。幸い我が家は駅前にあり、日中はタクシーが常駐している。エレベータを下りて這うようにして戸外に出て、通路に座り込んだまま妻にタクシーを回してもらう。運転手にも介助してもらってどうやら病院へ向かうことができた。

 病院へ着くと運転手に車椅子を借りてきてもらい、これで立派な病人である。車椅子のまますぐにMRIをとられ、しばらくして診察を受ける。その間も通常の会話はできるし、意識も自己診断ながら特別変ではないと思う。ただ自力で歩行ができず、真正面を見ているにもかかわらず左目だけが左に偏っていて、物が二重に見えるのである。

 医師からMRI画像を見せられ、小さいけれど脳の中心部に梗塞が起きている、すぐに入院が必要だと伝えられる。最寄りの大病院、手稲渓仁会を紹介するのですぐに行くように指示される。

 前回二度目の脳梗塞時には、手稲渓仁会で診察を受けたものの、病室に空きがないとの理由でこの病院を紹介されて入院し、その後も通院していたものである(後日聞いたところによると、この病院は最近入院を廃止し、外来専門になったとのことである)。

 かくして第一回目の脳梗塞時と同じ病院へ、再度入院することになった。手稲渓仁会は総合病院で整形外科や眼科もあり、リハビリも完備している。どことなく安心してタクシーに乗り込むことになった。なにしろ、足首の痛みが関節炎だと他の病院で言われ、最近は目もどことなく霞んできており眼科医の診察を受けたいと思っていた矢先でもあるので、安心感は更に膨らんでいく。

  こうして即日入院することになった。その後の経緯は、別稿「とうとう三回目〜2」へ続きます。


                    2019.10.7        佐々木利夫

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とうとう三回目〜1