三回目の脳梗塞を発症し、即日入院になったことは前回で触れた(別稿「とうとう三回目〜1」参照)。これから書こうとしているのは、退院に至るまでの経過である。

 とにかく歩けないのが一番の障害である。入院初日は個室であった。特に個室を推薦されたわけではないし承諾した覚えもないので、個室料金を請求されることもないだろうとは思った。だが上半身に心電計がつけられ、腕には点滴用の注射針が固定されてしまった。そしてそのまま点滴が始まった。

 極端にいうなら、がんじがらめの身動きすらままならぬ拘束状態である。午前中の入院だったので、看護師らしい人から昼ごはんどうしますかと尋ねられても、食欲なぞまるで皆無である。しかも、一度で済んだのだが、ベッドの上でいきなり吐き気が襲ってきて、吐き気止めの点滴を加えてもらうなど、食事どころではない。

 ベッドで仰向いたままの姿勢だが、室外の明かりが二重に見えてどうしても一つに重なってくれない。目に力を入れて、焦点と言うかダブりを一致させようと努力するのだが、どうにもならない。そのうち尿意を催してくる。心電計と点滴に拘束された我が身は、とても自力ではトイレに行くことなど不可能である。

 枕もとのナースコールで看護師を呼び、心電計を外して点滴をしたまま車椅子で移動する。扉の自動開閉スイッチのついたトイレは広く快適ではあるが、便座に腰かけて病院衣のズボンを下ろすまで看護師の監視下にある。小用が済んだら、腰かけたままで便器のすぐそばにある呼び出しスイッチを押せと指示である。

 時に看護師は便座を回りに巡らせたカーテンの外にいて、トイレが済むまで同じ室内で待っていることもある。まもなく80歳になろうとしているこの身に、羞恥心なぞとうの昔に消えていると思っていたけれど、そうでもないことを改めて感じさせる経験になった。

 入院したのは、この病院(手稲渓仁会)のSUCと呼ばれる病棟であった。この病棟は脳外科外来の五階に位置しており、名称の由来はいわゆるICUと同じような意味を持つものらしい。ICUは一般的に集中治療室と呼ばれており、緊急性の高い病人の入る施設である。

 それと同じような意味をこのSUCは持つらしい。この記号の最初のSは、脳血管障害を意味するものとのことである。残りのCUはケアユニットで、つまるところ脳溢血や脳梗塞による緊急性の高い患者がとりあえず入院する病棟らしい。あとから看護師の聞いた話なのだが、今では脳血管のほか腎臓専門など、特定疾患に特化したCUがあちこちの地域に広まっているらしい。

 そうした意味でここは、脳血管障害専門の緊急入院病棟である。そのためここでの入院期間は最長でも二週間に限定されていると聞いた。つまり、二週間を超えると、SCU以外の一般病棟へ移るか、さもなくば他の病院への転院、もしくは退院して自宅から通院するなどのいずれかになるとの話である。

 それはともあれ、トイレすら拘束状態の入院生活が始まった。点滴もあって、トイレがヤケに近い。ベッドから見えるほど近くにあっても、自力で通うのは無理である。そのたびにナースコールのお世話になる。入院二日目に入って、どうやら痛む足に抗いながらではあるが、ベッドから立ち上がることくらいはできるようになった。

 それでも看護師は、もし倒れたら自分の責任になると自力でのトイレ通いは許してくれない。リハビリの専門家が許可したら自分でトイレに行くのを認めますとの一点張りで、ナースコールの利用を翻してはくれない。

 二日目、いきなり病室の移動を告げられた。移動の基準は知らされないけれど、個室から大部屋へ移ることになった。入院の緊急度が、少しは和らいできたのかも知れない。新しい病室は四人部屋であった。移動と同時に直結された心電計は無線による機器へと代わったものの、点滴も含めて拘束状態にあることに変わりはない。

 すぐにリハビリが始まった。三人が私の担当である。足が痛くて歩けない、左目が左に偏って二重に見えしかもかすんで見える。それに本番の脳梗塞が当面の症状である。この三つにどこまで相互の関連があるのか不明ではあるものの、まるで無関係とは言えないだろう。

 リハビリは、@手足の運動療法、A複視や視線などの矯正、そしてB言語等の麻痺に対処訓練の三つである。ただこのうちBについては特に問題なしとされたのか、一回だけで二回目以降のリハビリはなかった。@は最初はベッドでの足腰の移動などだったが、二回目からは車椅子でリハビリ室まで運ばれ、足踏みや仰向けになって腰を持ち上げるなどの運動を約30分ほど続けられた。四日目くらいに痛み止めの薬を飲んだこと、足首に鎮痛シップを貼ったことなどが効いたのか、杖つきながらではあるが少しは歩けるようになってきた。

 一週間ほどで、足首は痛いながらどうやらもリハビリ室まで、杖使いながらどうやら歩けるようになってきた。もちろんトイレへ自力で行くこともである。数日を経ずして病院の外を、ゆっくりではあるが杖歩できるまでになったのである。

 少し話が変わるけれど、入院して10日目になる9月28日が、私にとってとても大事な日であることに気づいたのはその日の数日前のことであった。しかもそれは妻や子供たちには任せられず、自分の力だけでやらなければならないことに、数日前になってはたと気付いたのである。それにはどうしても、この病院を出なければならないことを意味していた。

 この続きは次回、「とうとう三回目〜3」で書くことにします。


                    2019.10.10        佐々木利夫


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とうとう三回目〜2