入院の期間中である9月28日が私にとって特別な日であることに、突然気付いたことは前回ここで報告した(別稿「とうとう三回目〜2」参照)。これまで各種の予定や家族や知人などの誕生日などは、プロバイダーが提供しているカレンダー機能を利用して管理していた。その機能から予定日の数日前に自己宛にメールを送信することで、各種の予定などをあらかじめ忘れることなく知ることができていたのである。

 そしてその予定には、毎月末に行っていた事務所家賃の支払いも含まれていた。しかもその日を毎月末28日と決めていたことを、突然に思い出したのである。

 気付いたのは、支払い予定日まで数日を残すまでに迫っていたときであった。しかもその支払いに、10数年前から事務所のパソコンによるネットバンキングを利用していたことも問題であった。

 ネット利用の家賃支払いには、大きく二つの問題があった。一つは、ネットバンキングに接続するパソコンが私の事務所にあるパソコンに限られており、娘などが持っているスマホなどでは難しいことであった。

 別のパソコンなどでも私の口座への接続は可能なのだが、その場合相手方金融機関から私が任意に登録した私しか知らないいくつかの質問がなされるのである。成りすましを避けるための当然の措置だと思う。だがその回答メモは、事務所のファイルには残してあるものの、病院にまでは持ってきていない。だから代理人に支払いを任せても、その答を知らせることが難しいのである。

 第二の問題は、ネットバンキングを利用するには取引先である証券会社のホームページから私の専用口座へ入り、更にその系列下にあるネットバンクに入らなければならないように設定してある。つまり振込みには、証券会社と証券銀行のしかも10数桁に及ぶ二つのパスワードが必要となるのである。しかも更に取引からその都度求められる2桁2組の暗証番号を、特定のカードから入力しなければならないのである。

 それはつまり、私自身が事務所へ行って、いつものパソコンから支払い手続をしなければならないことを意味していた。さあどうする。

 看護師に外出の許可を求める。だがここはSCUという特別病棟なので、基本的に外出は許可していないとのつれない返事である。確かに多少は歩けるようになったものの、杖ついてのヨタヨタ歩きでしかない。しかも病棟内のトイレやリハビリ室までの平坦な廊下の歩行のみの経験でしかない。

 リハビリでは、病院の周囲を数分散策するような訓練あるものの一・二回しか経験していない。自力で事務所を往復など、どこか覚束ないような気もする。だがしかし、家賃の支払い先は東京の家主で、今まで個別に連絡をとったこともなく、入院を理由に支払いの延期を求めることは難しい。

 このままでは家賃滞納で事務所を追い出される、と看護師に懇願する。付き添いとして妻でも娘でも同伴させること、場合によっては病院から事務所までタクシーで往復してもかまわないことなどの条件を示して、担当医師からの外出許可が得られるよう、半ば脅迫じみた懇願を続ける。

 どうやらぎりぎりの28日に介助者同伴での外出が許可された。当日午後になった。歩くのは思いのほか可能で、娘にカバーされつつ病院からJR手稲駅まで杖突ながら約10数分かけて歩くことができた。JR琴似駅ままで向かい、そこからタクシーで事務所へ向かう。

 久しぶりの事務所はなんとも懐かしいけれど、今はそんな気楽なことは言ってられない。とは言え、事務所にあるパソコンに向かえば、家賃支払いは毎月行っている気楽な操作である。僅か数分で支払いを済ますことができた。

 病院へは夕方5時過ぎまでの外出許可を得ているので、まだしばらくは時間がある。とは言っても、毎週発表しているエッセイを作成するまでの余裕はない。とりあえずエッセイは省き、更新履歴の中に入院したことを短く報告することでアップロードするまではできた。これで一安心とばかり、帰途は琴似駅まではタクシーを利用する。

 翌29日には、SCUの滞在期限である入院二週間目に当たる10月2日には退院してよいと告げられた。どうやら足の痛みは脳梗塞とは無関係な、単なる足首関節症の悪化(脳梗塞で倒れたときに足首を強く打ったか捻ったか)によるものらしい。

 また目のかすみも白内障と緑内障によるもので、脳梗塞とは直接の関連はないようである。ただ左目の斜視は、脳梗塞の部位が視神経の近くなので影響はあるとの診たてである。とは言ってもすぐに治療する方法はないらしい。自然に元に戻るのを待つか、戻らなければ手術するかはしばらく様子を見ましょうとの眼科医の診たてで、リハビリで治療するような方法はないらしい。まあ自然に生活しながら様子を見ましょう、程度の診断である。

 つまり、手足の麻痺であるとか言語障害などの症状もなく、いますぐ治療を要するような病状にはないらしい。リハビリ担当者も、入院で弱った足腰の筋肉を自宅で気長に自分で訓練し、日常生活に戻ったほうがリハビリになるとのことで、特に施設などへの通所も必要なしとの意見であった。

 かくして足腰が弱って歩くのには多少の不自由はあるものの、足首の痛みは脳梗塞以前からの症状と同じようなものであり、目のかすみも同様である。つまり、日常生活で様子を見ましょうと言われた斜視以外に、特に脳梗塞固有の症状は見られないようなのである。

 外出した日曜日から月、火とリハビリに励み、水曜日の昼には退院することになった。あとは自宅でどこまでリハビリが出来るかが課題である。足首の痛みに配慮しつつ、どこまで足腰の筋肉をつけることができるか、斜視がどこまで自然に治癒していくかが今後の課題となった。

 退院後は、ゴミ出しやスーパーへの買い物に濡れ落ち葉よろしく妻についていくことや、マンションや近くの公園まで歩くにも、妻同伴が日常になった。後は朝起きると同時に、ベッドを利用して指示された自己リハビリに励む毎日が始まった。どこまで自力で歩けるようになるか、それはしばらく様子を見るしかないだろう。

 事務所へは退院してから今日で、まだ4回目である。今のところすべて妻同伴である。特に介助を受けるような緊急な出番は感じていないけれど、それでも時折ヨタヨタすることは否めない。脳梗塞以前のような日常に戻るまでは、まだしばらくかかりそうな気配である。当分は週2〜3回の事務所通いを続けることは、避けられないような気がしている。


                    2019.10.14        佐々木利夫


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とうとう三回目〜3