○ ポピュリズム 2019
ポピュリズムの意味を正確に知っているわけではない。だから、こんな風に言ってしまうのは間違いだと知っている。知っていながらあえてこんな風に言ってしまいたいような気がしてならない。
それは、「世界中にポピュリズムが氾濫している」と思うからである。自国主義、私(わたし)主義、白人主義、黒人の人権を守れ、祖国を守れ、年金を下げるな、障害者を守れ、・・・などなど。こんな様々を雑多に羅列し並列するのは確かに間違いである。
でも世界中が「私だけ」の一点に集中しているように思えてならない。
恐らくそんな気配を一まとめにして、それをポピュリズムと呼ぶのは誤りだろう。でも世界中が、似通った混乱の最中にある。それをポピュリズムと名づけたところで何の意味もないかも知れない。でも世界が間違っていることをどうしても言いたいのに、それを伝える言葉が見つからないのがもどかしい。
○ 移民と世界 2019
移民問題が世界を揺るがしている。移民受け入れの問題は、様々な要素を含んでいると思うが、移民する側の原因は単純である。「自国の不安定」だけである。その不安定の原因を、戦争呼ぼうが反乱や内乱、テロ、革命と名づけようが、構わない。
国民が我が身や家族を守るためには、自国に住み続けることはできないとして、国境を越えて外国へと避難していくのが移民である。
ヨーロッパをはじめアフリカ、アメリカ、中東などなど、あらゆると言っていいほどの国々で、移民や難民となった多く人々が他国に押し寄せ、問題視されている。
その原因は、世界には紛争と貧困が山のように蔓延しているからである。それは一国、二国の問題ではなく、世界中のあらゆる国に移民の原因となる症状が発生している。
アフリカからイタリアやギリシャへ、徒歩と僅かな蓄えを払った傭船などで国境を超える。それは死を覚悟した移動である。札幌から歩いて函館へ、そこから津軽海峡を悪徳業者へ高額の運賃を払ってポロ舟で本州へと渡る、そしてまた歩き続ける、そんな覚悟が私にあるだろうか。でも移民は現実なのである。
○ 思い込みの罠 2019.2.20
新聞投書である。認知症の母が転倒骨折して、車椅子生活になった。医師からは、「どんどん歩かせなさい」と言われて希望をもった。ところが作業療法士やケァマネージャーからは、「歩けるようになると、車椅子から立ち上がって転倒するリスクがある」と言われ、車椅子のままでの移動を指示されたと言う。
この矛盾に投書者は、「歩け」の指示に歩けるようになるかもしれない希望を託し、「歩くな」には母の歩きたいという意欲に反する気持ちを感じて悩む。
私はこの投書に「思い込みの罠」とのタイトルをつけた。だが、なぜこんなタイトルをつけたのか、読み返しても理解できないでいる。それでも投書者の矛盾する二つの指示に対する気持ちだけは、理解できるように思う。
○ 黄色の怒り 2018
「多数決による決定は、私たちが決めたことである。だから、選挙での投票結果に従うのは私たち自身が決めたことだ」と少し前に書いた(2018.12.11、別稿「声の届かない国会」参照)。
でもフランスの「黄色いベスト」運動や、「アラブの春」などの大衆運動を見ていると、日本人の無反応さ、無関心さに改めて気付く。日本人の性格なのか、それともそういう風にしつけられてきたからなのか?。沖縄問題、原発再稼動などなど、利害のある当事者はそれなりの行動を起こすものの、少し距離のある人たちは、せいぜい寄付とかボランティア程度でお茶を濁すだけである。あとは「政府が何とかせい」だけで、ストも抗議の行動を起こすこともない。
日本人は冷静で穏やかだと言ってしまえばそれまでではあるけれど、日本人の全体意識は、希薄のまま霧散してしまっているような気がしてならない。日清・日露の戦争から太平洋戦争まで、日本中がちょうちん行列で戦勝気分に高揚した体質も恐ろしいけれど、今の日本人は余りにも無関心が強すぎるのではないだろうか。それを「平和ボケ」とあっさり見過ごしていいのだろうか。
○ 利益になる 2019.4.3
アメリカだけによる査察ではなく、IAEA(国際原子力機関)による査察によってこそ、核軍縮が北朝鮮の利益になり、アメリカ、ヨーロッパ、世界の利益になる(朝のNHKニュース、NHKのインタビューに答えたIAEA会長談話)。
でも私は思う。少なくとも北朝鮮は「自国の利益になる」とは思っていないだろうと・・・。
北朝鮮が、世界一とも言える大国のアメリカと、少なくとも見かけ上は対等に交渉できているのは、アメリカまで届くと言われる原爆を積んだ大陸間弾道弾を持っているからだと思う。保有することの是非はともかく、核兵器には持つことだけで力があるのである。核には世界を相手にするだけの力があるのである。だからこそアメリカもソ連も中国も、その他多くの核保有国が核兵器を手放さないのである。
核を持たない国も含めて、世界中が核の力を知っている。そして、核を持っている国のすべてが、「我が国が核兵器を保有しているからこそ、世界は平和と均衡を保つことができているのだ」と信じているのである。
○ 経済と教育 時期不詳
経済は教育とは異なる分野だとするならそれまでだけれど、どうも最近は人の心が経済に偏りすぎているように思える。確かに経済は「明日、まんじゅうを食える」ことに結びつく。それに反し教育は、その評価や効果の判定が難しく、少なくとも「すぐに私の腹を満たしてくれる」ことには役立たない。
安寧とか平安とかは、経済的な裏打ちがあってこそ言えることなのかもしれない。だとするなら、日本は経済的に豊かであり、その故に安定している国なのかもしれない。そうは思いつつ、安定は「努力しない」人種を生み、「努力する意欲」をどこかで削いでいる。
○ 自分 時期不詳
「咲き切って 薔薇の容(かたち)の 超えけるも」、中村草多男
自分を薔薇だとは思わないけれど、「咲き切る」だけの思いは持ちたいものである。
咲き切るとの思いは、一種の悲願でもある。悲願でもある反面、そうなることの難しさも分かってくる。私はどこまで私なのだろうか。
2019.12.12 佐々木利夫
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