入院したその夜のことである。投与された薬のせいか、胸の痛みは落ち着いている。私と妻と娘を前に、担当と称する医者がこう言い放った。

 心臓に血液を供給する冠状動脈が一本狭くなっている。これを拡げなければ、やがて心筋梗塞を起こすだろう。それは分かった。どんな方法で拡げるかはともかく、狭くなった血管の血流を元に戻す手術が必要なことくらいは私にも理解できた。

 でも次に発せられた医師の言葉には、どことなくついていけなかつた。言葉としての意味は分かった。しかし、それが私に向けられた言葉だとは俄かには信じられなかったのである。

 医者はこう言った。「心臓の大動脈弁がきちんと動いていません。いわゆる弁膜症です。程度は、軽、中、重に分けると、あなたの場合は「超重症」です」。それはまさに、今、この瞬間にも私の心臓が止まってしまうかのような宣告と同じような効果を与えた。

 他の器官に支障がなければカテーテルを使って、新しい弁を装着します。手術内容を話し、やがて医師はドアから出て行った。そして1分も経たずに戻ってきて、「インターネットで調べるとすぐに分かるでしょうが、この手術は「タビー」(Tavi(テーエーブイアイ)と言います。」と、こともなげに私達に告げ、そのままドアの向こうに消えた。

 言っている意味も手術の概要も分かった。人工の弁を心臓内に埋め込むのである。意味が分かることと、それが我が身に対する現実的処置だと理解することの間には、少しギャップがある。私は、医師の宣告にいかにも納得しているかのように振る舞い、少し笑顔で家族にも応じていた。でも頭の中には、「超重症」の文字が渦巻いていた。

 少なくとも私の心臓に対して、狭心症と弁膜症の二つの手術が必要だということである。その手術が二つとも胸部切開ではなくカテーテルで行われることに、多少の安心感はあった。しかし、それにしても、ことはたった一つしかない心臓である。

 心が脳にあるのか心臓にあるのか、人はこれまで様々に想像してきたけれど、どちらにしてもそれは一つしかないだろう。それもその人にとってかけがえのない、つまり命そのものを示す臓器への手術である。それが二度にわたって行われると宣告されたのである。

 二日後に、狭心症のカテーテル手術が行われることになった。検査のときと同じように右肘の内側から挿入されたカテーテルによる手術が始まった。カテーテルの先にステント呼ばれる金網上の管をつけ、それを狭くなった血管の部分に押し込み、その筒を風船で広げてそこへ置換するのである。意識ははっきりしているので部分麻酔なのだろう。仰向けに寝ているだけの私には、物々しい機械が私の回りを取り囲んでいること、意味の分からない医者や看護師の会話が時折り聞こえるだけである。

 一時間少々で手術は終わった。手術室の外に待機していた家族には、術後に医師から動画で血流が順調に戻ったことを見せられたようだが、本人は見ていない。手術は順調に終わったことを告げられ、病室に戻る。特に痛みはないが、だからと言って血流が正常に戻ったとの実感もない。単に手術が終わったとの感想だけである。

 医師の話では、術後の経過を見て、一度退院して自宅もしくは専門病院へ転院して体力をつけることを考えていたようである。その上で半月ほどして再入院し、改めて弁膜症の手術をしたいとのことであった。ところが、「超重症」のせいなのか、それとも他に原因があるからなのか分からないけれど、退院も転院もせずこのままここへ入院したまま、再手術まで様子をみることになった。退院できるかもしれない、との望みが絶たれた瞬間であった。

 何もするとのないまま、定番の病院食とベッドでの生活が始まった。検温、血圧測定、利尿剤の服用、そして一日数十分のリハビリだけの生活である。娘の持ってきてくれた、ニンテンドースイッチのドラクエ11に挑戦する以外にやることのない二週間が始まった。

 80男の最新ゲームへの挑戦に、医師も看護師も驚いているが、私のゲーム戦歴が今から30年以上も前に発売されたファミリーコンピュータのドラクエ2に始まることを告げると更に驚く。だが攻略本もネット攻略の手引きもないまま、手さぐり、当てずっぽうで進めるゲームは、主人公のレベルがすぐに上がってしまい、「闘えばすぐ勝つ」、「次にどこへ行けばいいか分からない」、「ゲームの展開の情報が得られない」の繰り返しで、ゲームそのものへの興味を削いでしまう。

 体調に変化はなく、いろんな意味で退屈に退屈を重ねる毎日が始まる。足首が悼むので気ままには歩けないこと、心臓の手術をしたので水分制限と尿量測定があり、トイレに通うのも看護師付き添いの車椅子である。何もすることがないことに加えて自由に動けない生活を強いられる日々が始まった。

 そしてやがて弁膜症の手術をする日になった。ところがこの手術がスムーズには行かなかったのである。その経過については、次の「弁膜症てん末記」で詳しく話すことにしよう。


                               2020.4.18        佐々木利夫


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入院、そして手術