私が今年入院したのは、誕生日の翌々日である1月23日のことであった(別稿「
誕生日に思う」参照)。その時のメモに1/23入院日、13/271と書いてある。その数字は、恐らくその頃テレビを賑わし始めた中国武漢を発祥地とする、新型コロナウイルスの死者数と患者数であろう。数からすると、恐らく日本での人員ではないかと思う。
同じページに、1/28 患者4515 死亡131とあるのは、それから5日における世界の数字のように思える。そんな数字が、あれよあれよと言う間に、今日はここまで拡大している。
4月26日 世界の罹患者数 2,865,938 死者数 200,698
僅か三ヶ月、100日足らずで、患者は300万人、死者は20万人にもなったのである。まさにパンデミックと呼ばれる世界規模にまで流行し、感染爆発が起きたのである。
私の入院とコロナウィルスとは何の関係もない。ても、私の入院と軌を一にしてこの新型肺炎は世界に拡散し、今では世界の経済を揺るがすまでになったのである。
このウィルスの特徴には様々な顔がある。感染が緩慢なのである。潜伏期間が10日とも二週間ともいわれるくらい進行が遅いのである。そのため感染しても、その事実を本人が気付かないのである。
また、死亡率が1%未満と低いことも特徴である。それはそれほどの危険性を人々に与えないことを意味する。最近は急激な重症化の例も発表されているが、未自覚な感染者も数多くいるのである。感染した自覚がないということは、自らが感染源になっているにもかかわらず、その自覚がないことを意味する。つまり、何の悪意がないにもかかわらず、自らが感染源としてウィルスを撒き散らしていることに気付かないのである。
感染拡大の初期のころには、若者や幼児は重篤化はしないなどと言われたが、どうもそれは間違いのようである。ただ、高齢者は心臓病や糖尿病や腎臓病など基礎疾患があると、それに上積みして症状が重篤化するので、死亡率が高くなるようである。
このように、年齢に関係なく感染が問題となってきたこと、航空機やクルーズ船などを通じて国から国への感染があっと言う間に広がることなどから、一種の世界恐慌というまでに各国がその対応に危機感を持ち始めた。
感染拡大は各国の油断の隙をつくように拡大する。豊かな国は他国との交流が多いから、為政者が高をくくると、ウィルスはあっと言う間に拡散する。また、貧しい国は他国との交流こそ少ないけれど、一たび持ち込まれたウイルスは、検疫の不備や対応機器の不足などの間隙を突いてこれまた爆発的に拡散してゆく、
しかもこのウィルスには、効果的な治療薬が見つかっていないのである。ワクチンの開発にはこの先一年を要するだろうと言われているし、既存薬の効果もいまいちである。さらに感染して治癒した患者の血清も、再感染の防止効果はまだ確認できていないと言われている。
いすれはきちんとした治療薬は見つかるだろうとは思うけれど、少なくとも現状では「この病気に薬はない」のである。「感染者に近寄らないこと」を基本とした、対症療法しかないのである。
感染者に近寄るな、これが感染拡大を防ぐための、現在における最良の方法である。感染者を隔離して、それらの者との接触を避けることで更なる感染者の増加を防ごうとする試みである。
ところが、前述したように、このウィルスは潜伏期間が長く、しかも未症状のうちから感染力を持つという特徴がある。と言うことは、感染者を特定して他者に感染しないように隔離することが、事実上不可能なのである。感染グループを「クラスター」と呼ぶらしいのだが、そのクラスターが見つからないまま、患者だけがどんどん増加していくのが現状なのである。
そこで、日本も世界も、概ね共通しているのだが、「他人との接触を避ける」を基本とした対策を、国ぐるみで実施することになったのである。
さてそうなると、居酒屋なスナックなどの飲食業、旅館や遊覧船などの観光業、パチンコやカラオケなどの遊興施設などなど、人が集まる業種の営業自粛などが槍玉に上がる。「人が集まる」ことへの自粛なのだから、プロ野球や相撲などの無観客などの観客制限はもとより、とうとう今年7月に開かれることになっていたオリンピックまで、来年に延期されることになってしまった。
さらに政府は通勤による人の接触をも自粛の対象とした。そうなると、職場への通勤や出社、学校への登校なども制限されることになる。今のところはゴールデンウィーク末である5月6日までの時限的な要請ではあるものの、日本中が、行動も経済活動そのものも萎縮することになったのである。
感染拡大がどこまで続くのか、いつになったら収束の気運が見えてくるのか、まるで先の見えない現状に世界が悲鳴を上げている。その原因は人の我慢がいつまでもは続かないことにあるのだが、経済が止まってしまったことが最大の原因になっている。経済が止まると言うことは、仕事がなくなること、給料が払らわれなくなること、家賃が払えなくなること、ローンが払えなくなることなど、お金の動きが止まってしまうことを意味するからである。
それは貿易にも共通することであり、経済の停滞はガソリンや航空機燃料の消費停滞などはもとより、部品や製品が動かないなど、世界中の経済交流が止まってしまうことでもある。経済の停滞は利潤の低下であり、それはそのまま国の税収の低下、国の活動の停滞へと結びつく。
かくて、世界は恐慌へと向かう気配を見せている。いや、もう既に世界経済は、破綻へとまっしぐらに進んでいっているのかもしれない。
それは、小さなピンひとつで破裂してしまうような大きな風船を目の当たりしているような状況である。何がピンなのか、ピンになるのか、誰も知らないけれど、どこかに密かに隠れていて、すぐにでもその姿を現すように思えてならない。
2020.4.27 佐々木利夫
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