前回発表した「白内障手術記」の続編です。

 手術に対する感想などというものは、手術を受けた当人固有の価値観で成立するものだと思う。だからその記録と言ったところで、他人にとっては何の面白さもないかもしれない。それでも、私にとっては初めての「目の手術」であり、心理的に抵抗感の多い手術だったことから、それなり貴重な体験だった。

 手術が終わって片方の眼帯が外れた段階では、もう片方の目はまだ白内障のままである。だから自分のベッドに備え付けられたテレビの画像が、多少きれいに見えることくらいしか感じなかった。だが両目の手術が終わって眼帯が外されると、視界は一変した。医師によれば手術は成功し、挿入したレンズも安定していると言う。視力も矯正すれば(つまり眼鏡を使えば)両眼とも1.0とのことである。

 スナイパー志願ではないのだから、普通人の視力程度にまで戻ってくれていれば十分である。「矯正」の一言が気になるけれど、老眼というか遠視とはこれまで数十年来の付き合いであり、已むを得ない現実である。

 術後まず感じたのは、鏡に映る自分の顔の変化であった。しみというか老人顔というか、これまでの日常生活では余り気にならなかった顔つきが、突然はっきりとさせられたことであった。これまで、朝となく晩となく毎日のように眺めてきた自分の顔が、こんなにもはっきりと老人顔になっていることに驚かされたのである。口や鼻を曲げてみたり、顔をしかめたりしても、鏡の顔は自分でしかない。

 次いで、カラーテレビの画質の鮮やかさに改めて驚く。画質がくっきりムードに調節されているからなのかもしれないけれど、どのチャンネルもその鮮やかさには目を見張るばかりである。

 テレビは数日前から、現地時間11月3日に開始するアメリカ大統領選挙(共和党現職トランプ対民社党バイデンの一騎打ち)の話題で持ちきりである。そんな画質にはそれほど関心が少ないだろうと思われる報道ニュースの画面までが、目にまぶしいほど鮮やかである。

 翌朝9時過ぎに医師の検診。挿入したレンズは安定していることと毎日4回の点眼の指示、そして一週間後の再検査の予約を伝えられる。事務的と言えば事務的である。「はっきりと見えるようになった」ことは当たり前のことなのか、特に触れようともしない。検診が終わると、看護師から退院の許可がでる。「お気をつけて」の声こそかけられるものの、「一人で帰られるのか」、「退院の付き添いに誰か来てくれるのか」など、特別心配してくれているような様子はない。

 逆に言えばそのことが、白内障手術がそれほど大げさなものではないことを間接的に告げているのかもしれない。当たり前の手術が当たり前に終わった、ただそれだけのことなのかもしれない。

 支払いを済ませて、病院の玄関口のハイヤーの乗客になる。病院スタッフの対応は冷静だが、とりあえずこの身は病み上がりである。医師や看護師がどう思おうと、私はつい数時間前まで眼帯で片目をふさがれていた大手術を終えたばかりの病人である。少なくとも私自身はこの身をいたわってやろう。

 病院からはJRで二駅の自宅である。一人を乗せたハイヤーは、あっさりと我がマンションの玄関に横付けされる。視界がはっきりさしたことにそれほど気付く間もなく、いつもの日常が戻ってくる。

 書斎に模した自室に入る。二台のパソコンを含め、テレビなどの液晶画面の際立った鮮明さが、白内障手術の一番の特徴のような気がする。部屋の様々が、いつもと違う様相を見せている。カレンダーも、壁掛け時計も、机上のリモコンやパンフレットなど、あらゆる物の輪郭がはっきりとしている。

 でも作用あれば反作用も同時に体感される。手術はいいことずくめばかりではなかった。生まれつき装着の眼内レンズを取り除き、新たな人工レンズと交換したのである。肉眼レンズは加齢によって調節力(レンズの焦点を自力で変化させること)が弱くなっていたかもしれないが、それでも少しはそうした能力が残っていたはずである。だが、人工レンズにはそうした調整力はまるでない。

 私は挿入する人工レンズとして、多焦点ではなく固定焦点を選択した。だから当然のことながら、弱まっていたとはいえ多少残っていたであろう肉眼の自己調整力を、手術で放棄することになったのである。

 その結果、私の目は両眼とも固定焦点となり、遠距離にはピントが合うけれど、新聞や読書など近くを見るには矯正(老眼鏡の使用)が必要になったのである。それはつまり、これまでは多少努力すればめがねなしでも見えていたのが、完全にめがねが必要になることを意味していた。

 数メートル離れたところにあるテレビや散歩や買い物などの不便はない。だが、新聞雑誌、目の前のパソコンなどは、逆に「必ず眼鏡が必要」になってしまったのである。

 これが第一の反作用である。次いで二番目に、緑内障の視野欠損が日常的に自覚されるようになってきたことである。これまでは視野全体がどちらかと言うとぼんやりしていたので気付かなかったのだが、はっきりと見えるようになったことで逆に視野が自覚でき、その欠損状態が感じられるようになってきたのである。

 緑内障については既に医師から両目とも視野の一部が欠けていると言われていた。だからその症状が悪化したとか白内障手術の失敗や後遺症のせいではない。しかも、治療のため数ヶ月前から点眼薬を続けており、医師からも眼圧は正常の範囲内なのでこれ以上悪化することはないだろうと言われている。だから特に気にするようなことではない。

 視野欠損というと凄まじい症状のように思えるが、日常生活にはほとんど支障はない。私の場合は上目使いにすると少し見えない部分があるかなと感じる程度であり、顔を少し動かすだけで完全にカバーできる。だから「見るための努力」をする必要を感じることはない。それでも視野欠損の自覚が日常的に感じられるようになってしまったのである。

 かくして日常が戻ってきた。さぞ快適な日常だと思われるかもしれないが、実は第三ともいうべき反作用があるのである。今日は11月12日である。手術から半月程度経過したことになる。その反作用とは具体的な障害ではない。一種の馴れである。

 馴れ、習慣が、手術の感動を失わせていることに気づいたのである。確かに視野はくっきりと鮮やかになった。普段かけていた眼鏡を使うことで新聞もテレビもパソコンも、とりあえず不自由さを感じることはなくなった。

 でもその鮮やかに見えることの感動は、術後僅かの期間だけのことであった。そうした感動が徐々に日常化して薄れてくるのである。日常化とは当たり前状態の連続を意味する。はっきりと鮮やかに見えるようになったことは、それ以前の白内障の時との対比で始めて言えることである。

 白内障であったことは過去のことであり、今は術後の視力が日常である。朝起きて、食事をして新聞を読む。テレビを見たりパソコンの操作をしたり散歩したりすることの中に、過去の白内障が絡んでくることは皆無である。始めから白内障ではなかったかのような日常が、今では当たり前になったのである。

 つまり、白内障でないことが日常になったのである。それにつれて白内障だった時代というか期間が、日常生活と無縁になってしまったのである。くっきりと見えるようになったという経験が、その感動を伝えてくれなくなってしまったのである。

 これが第三の反作用である。ここへ術後の感想を書きながら、既に手術の感動が少しずつではあるが薄れてきていることに感づいている。白内障でない見え方が、当たり前の日常になってしまっているのである。人の気持ちのなんと薄情なことか。当たり前であることがいかにあっさりと感覚を鈍磨させてしまうことか。そして無感動へと変節してしまうことか。



                        2020.11.12      佐々木利夫



            トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ
 
 
 
白内障術後日記