別稿「白内障体験記」からの続きです。

 さて、いよいよ手術前日になり、入院することになった。ネット検索では、片目ずつ日を置いて手術するのだろうけれど、日帰手術を標榜するサイトが多い。だが私の場合は4泊5日の連続入院である。それがこの病院の慣例なのか、それとも私が高齢者であることからきた万が一への配慮からなのか、そこは分からない。ともかくも病衣に着替えてベッドの上の患者となる。

 スケジュールは、日曜入院、月曜片目手術、火曜静養、水曜残る片目の手術、木曜日退院の4泊5日間である。早速明日に備えた目薬の点眼が始まる。

 だが目薬は明日の手術に備えるための消毒滅菌である。そして、明日の手術は左目と告げられた。つまり投薬は左目限定ということになる。しかも、点眼は一日4回である。だが私には、それに加えて以前から緑内障の点眼を一日一回、両目に指示されている。

 ということは、一日三回の食事のあとに左目への点眼が必要であり、加えて寝る前には両目への緑内障のための点眼をしなければならない。機械的な作業だし、特に難しいことはない。だが、この作業を自己管理として自力で続けるのは、思ったより混乱するのである。

 右と左の混乱は、私だけの癖かもしれないけれど、以前から体感していたことである。上と下との混乱は起きることはないけれど、右と左は時々間違うのである。例えはリハビリでの手足の運動、寝台での体の向き、眼科検診の視力表の記号の切れ目の位置などなど、けっこう左右が混乱するのである。

 これが一日4回、薬が3つと1つである。しかもも1〜4回目までは左目だけ3種、右目は翌日の手術に向けて違う1種、4回目だけはこれに1種追加の両目が加わるのである。書いていても、それだけで混乱するような有様である。

 さて月曜になった。担当医と称する女医さんが朝尋ねてきたが、「私が担当します」とだけの自己紹介である。本日二例目の手術だそうで、昼近く看護師に車イスで病室に運ばれる。点滴されたままの状態で血圧計を巻かれて手術台に横になり、目の消毒と麻酔が打たれる。と言っても、目の周りをジャブジャブ洗われることと「麻酔します」との声だけで、チクリとも感じない。しかも部分麻酔とのことで、意識ははっきりしたままである。

 顔全部を大きな布で覆われ、目の部分だけ穴が開いている。時々医師らしい声で上を見て、左を見てなどと指示されるが、手術台の明かりなのかまぶしい光点があるだけで手術らしい感じは少しもしない。痛みもゴロゴロ感もなく30〜40分くらいで「終わりました」と告げられる。

 手術した左目には既に分厚いガーゼが絆創膏で×印に止められており、真っ暗ではないものの見ることはできない。ただ明るさを感じられることだけが、手術が失敗しなかったであろうことを予感させる僅かな情報である。看護師から、「緊張していたようね。手術前の血圧が200を超えていたよ」とからかわれる。

 ベッドに戻ってしばらくして昼食。特に変わったことはないけれど、今までは霞がかかった状態とは言え両目が使えたのに、今は右目だけなのでトイレに行くのも不便である。しばらくは安静にして、ベッドから動き回らないように指示される。

 翌日は安静日である。術後の目薬は当然のことながら眼帯をしたままなので点眼できない。しかしその代わり、明日の右目手術に向けた滅菌点眼が指令される。しかも緑内障点眼薬は右目には必要である。これもまた少しややこしいことになる。

 翌朝、念願の眼帯はずしである。近くの検査所へ来いとの指示で、それなり緊張して向かう。看護師からいきなり目の検査台のイスに座らされ、べりべりと眼帯を外される。はがす時の絆創膏の痛みを心配して声をかけてくれるが、見え方については少しも関心がないようだ。

 眼帯の外れた左目からは、周りの景色がはっきりと見える。視力表もくっきりである。片目ずつウインクしてみるが、その差は歴然である。看護師から、「しばらくしたら先生から検査の呼び出しがあります。ベッドで待機しているように」と言われる。

 心のどこかで私は、映画で見たこんな風景を予想していた。患者は幼い少女、貧乏な父親が貧乏人だけを熱心に診ている優秀な眼科医の治療を受け、今日は両目に巻かれた包帯を外す日である。ゆっくりの外される包帯、ぼんやりと焦点の合わない画面が、少しずつピントが合ってくる。

 医師の顔の大写し、「見える、先生」、少女の感動する声が聞こえる、嬉しさに慟哭する父親・・・、そんな感動的なドラマを、私はどこかで自分の目に想像していた。

 だが現実は違った。看護師にべりベリと眼帯に貼った絆創膏をいきなり外されることだつたからである。まさに無感動な「見えるようになる」だけの行為、それが全部であった。白内障の手術など、今では日常化しているのかもしれない。例外的に失敗はあり、そのために同意書と言う制度は残っているものの、爪をきる程度の当たり前の行為なのかもしれない。「見えない目が見えるようになる」、そんな劇的なドラマを予想していた私は、この手術を過大視していたのかもしれない。

 かくして右目の手術も翌日同じように行われ、同じように一晩安静を指示された。そして手術準備のための目薬、術後の新しい目薬、更にいつもの緑内障の目薬と数種の目薬の自己管理を委ねられ、私の点眼管理は日々異なることになってしまい、混乱に一層の拍車をかけることになったのである。
 
 翌日になった。医師の検査を受けて、「はい正常です」とだけで白内障の治療は終了した。退院していいと告げられ、一週間後の再検査の予約を入れられた。小一時間かけてベッド周りの身の回り品を整理して、帰宅の途につくことになった。特に感動的な場面などどこにもない、 ごく日常的な当たり前がそこにあるだけだった。白内障手術は、かくもあっけなかったのである。

  術後の回復視力にまで、書くのが届きませんでした。「白内障術後日記」に続けます。



                        2020.10.6      佐々木利夫



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白内障手術記