医師の不作為と患者の命を並べる同意書の矛盾について、前回ここへ書いた(別稿「
同意書の意味」参照)。今回はその同意とは別の疑問があり、それについて書いてみたい。
ひと月半あまり入院していたことも、ここへ書いたばかりである。入院とは病院に宿泊しながら治療を受けることである。その宿泊する場所を病室と呼ぶ。病室が個室であるときはもちろんだけれど、たとえ複数人の入る病棟でも、個々の患者のベッドは患者専用である。つまり患者一人につき一つであり、ベッドの回りをカーテンがぐるりと取り囲んでいる。個室ではなくてもベッドはカーテンで囲まれていて、擬似的な個室が形成されている。
だからその中では基本的にはプライバシーが守られていると、病院側は説明したいのだろう。確かにベッドの周りは、「見られること」に関してはカーテンで遮蔽されている。だから、着替えや寝ている姿などが他の患者から見られたり覗かれたりすることはない。
それぞれ異なった症状の病人なのだから、別に患者同士がコミュニケーションを図る必要はないだろう。必要な時に医師や看護師などの診察を受けて、「治す」ことに専念すればいいだけだからである。
ところが、「音」だけはプライバシーがないのである。隣のベッドの音は、容赦なく私の耳元へ届くのである。もちろん苦しさに呻吟する声も届くから、場合によっては代わりにナースコールをすることもできるので、必ずしも聞こえることがマイナスのイメージだけとは限らない。
だが、来客との会話、治療のためのマシンの操作音など、聞きたくない、聞かなくてもいい音や声なども飛び込んでくることになる。それはそれで、病室と言う特殊な空間であり、ドアのついた個室とは異なるのだから、音は一種の受忍限度として許容すべき範囲だとも思う。
ところでこれに加えて、もう一種飛び込んでくる音声がある。看護師や医師との会話である。それに聞き耳立てているというわけではないのだが、会話の内容は突き詰めて言うなら「究極のプライバシー」の場合がある。家族などを交えた治療方針などは、面談室などの別室を使うことが多い。しかし、日常の病状や指示に関する会話は、筒抜けに私にも届くのである。
そうしたことも「病室」という特殊空間が醸し出す、許容すべき範囲内の情報と理解すべきなのかもしれない。集団で生活している以上、それなりのプライバシーの漏れはあって当然だとも思える。
これから書こうと思うのは、看護師の患者に対する同意への呼びかけである。朝6時になると廊下や室内の点灯がなされ、看護師による朝の巡回が始まる。体温・血圧・採血などの通常業務である。早朝なので夜勤看護師が多くないせいか、病室単位の巡回にはけっこうな時間がかかる。
それはそれでいいのだが、その時の看護師の患者への声かけが気になるのである。なぜか「体温、測ってもいいですか」、「血圧、測らせてもらっていいですか」、「採血してもいいですか」など、かならず患者の承認を求めるのである。
だからと言って、それぞれの求めに患者がその都度承認を与えるわけではない。看護師のほうも、「・・・いいですか」との声かけはするけれども、患者からの承認を求めようとする素振りは少しもない。「・・・いいですか」と同時に、体温計が差し込まれ、血圧計のカフが腕に巻かれ、注射針が腕の静脈に向かっているのである。
つまり言葉は承諾を求めているけれど、患者も看護師もその言葉には頓着していないのである。看護師が「いいですか」と聞いているのだから、「ダメです」と拒否したらどうなるのだろうかと、へそ曲がりの私はそれなりに考えることもあるのだが、だからと言ってそうした拒否を実行に移すことはない。会話は朝夕の挨拶みたいなもので、互いに言葉の意味には無頓着なのである。
また、こんな場面もある。時に看護師は、「これから○○の検査をします。この同意書にこのペンでサインしてください」と告げる。私だけでない。隣のベッドの患者も同様であるのがカーテン越しに聞こえてくる。「ベッドを起こしますから、ここへサインしてくださいね」の話も聞こえる。内容を理解してサインしているかは分からない。もう何日も食事をしないので栄養剤の点滴をする話もしている。弱弱しい患者の声、とても理解してサインしているとは思えない。それでも看護師はサインをもらったのだろう、そのままベッドを離れる。
前回は主として手術に際しての「同意書」の意味についての疑問だった。今日の同意には疑問も何もあったものではない。同意を求めているのにもかかわらず゛、患者と看護師の間にそうした同意の意識がないのである。しかも、それで書面上は同意が成立しているのである。
かくて日々の看護師との会話は、同意なき同意のままに進んでいくのである。つまり、少なくとも私の入院していた病院では、日常の治療から特別な手術まで、「同意」とは無関係に進んでいっているように思えてならなかったのである。それが、病院の当たり前のシステムなのである。
2020.4.23 佐々木利夫
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