別稿「介護とチーム」の続編です。

 健康保険や介護保険などが、小額な医療費しかかからない者と高額な医療費を要する者とが同じような水準で保険料を分担することで成立するシステムであることくらいは知っている。つまり、健康な者も重篤な者も同じような負担金を納めて、それぞれの医療費を互いに分かち合う一種の互助会だということである。

 だが現実はこうしたシステムが成立しにくくなっていることは、様々な報道で明らかである。一時間待って三分診療で病院経営が成立していた時代なら、こうしたシステムはうまく機能したかもしれない。各人の保険料の負担もほどほどで、病院経営もそれなり採算が合っていた時代が永く続いていた。

 ところが日本には、人口減少に加えて少子高齢化という現象が到来した。それはそのまま、病気がちな無職の高齢者の増加と保険料負担者たる健常者の減少という現象を招くことになった。

 また医療研究の進化は、高額な先進機器の開発と診断費用の高額化を生み、経済は非正規就労者を大量に生むことで、「まともに保険料を払えない階層}」の増加を生み出すことになった。

 そうした環境の変化に、更にこの別稿「介護とチーム」でも書いたような、患者に寄り添うスタッフの増加要求という「優しさの要求」が加わることになった。

 こうした圧力が、一過性のものであるなら、それはそれでその圧力に耐えられるかもしれない。たとえ借金でしのいだとしても、あと一年、あと二年頑張ろうと努力することくらいはできるだろうからである。

 だが高齢化はこれからまだまだ続くのだし、一度「優しさ」を背景としたシステムが出来上がってしまうと、そこからの後退は、仮に僅かであっても至難となる。

 もちろんそうした優しさを享受する側に、不満はないだろう。でも、この尾道方式と呼ばれるシステムには、「優しさもまた費用がかかる」とする、基本的な事柄への説明が欠けていると私には思える。

 デパートのエレベーターは無料である。現象面だけ見るなら、エスカレーターもまた無料である。そうした行為を推奨することなどないだろうとは思うけれど、仮にそれらを利用して遊んだとしても利用料金を請求されることはない。

 でも無料にもコストがかかることは、考えてみれば自明のことである。エレベーターやエスカレーターの設置費用はもとより、運行や保守のための費用など、コストは当たり前にかかるのである。

 それは誰が払うのか。常識的には利用者である。遊園地のジェットコースターなどのように、利用する者がその費用を負担すべきである。ところがデパートにはそれが成立していない。

 そのコストは、デパートの陳列されている全ての商品に上乗せされているのである。衣類にも化粧品にも、靴や家具などあらゆる商品に、僅かずつではあろうけれど、確実に上乗せされているのである。

 優しさのコストもまた、商品やサービスなどの価格に上乗せされているのである。医療保険の場合、もしかしたらその上乗せは保険料という形ではなく、税金から負担されているのかもしれない。それでも、コストは「誰かが負担しなければならない」の原則が揺らぐことはないのである。

 そしてそれは現在の保険システムを適用する限り、多くの場合その負担者は「患者以外」であろう。更に患者以外といういうことは、患者家族もその範囲から除外されることを意味している。

 痒いところに手が届くシステムを、一概に否定しようとは思わない。だが、こうした尾道方式をはじめとする在宅医療や往診、更には高度の先進医療や高額な医薬品の開発などは、コストの増加という避けられない現実を私たちに突きつけてくる。コストの増加は、そのまま保険料の増加を意味する。そうした負担に、私たちはどこまで耐えられるのだろうか。

 社会はこうした矛盾を抱えつつ、際限なく膨れ上がっていく。矛盾の根源は、優しさへの要求と言う圧力である。もっと優しく、もっと親切に、もっともっと手厚く、弱者に愛の手を・・・。そうした要求は際限なく続く。そしてその要求は常に正義であり、順当なのだと、人はどこかで思おうとする。

 そうした思いは、私自身に対する献身的な介護スタッフ(それも優しくて親切で、まさに痒いところに手の届く人)の要求へと結びつく。それは「我慢しない私」、「感謝しない私」、「次から次へと要求だけする私」、「無理難題を繰り返す私」、「不平不満を言いつのり、不可能ばかりを要求する私」を生むのではないか、そんな恐怖が同時に私を襲う。

 「おんぶにだっこ」の要求は、何も赤ん坊だけの特権ではない。大人にも老人にも適用される、人類共通の要求(わかまま)でもある。そうした要求に、社会はどこまで応えられるのだうか。応えるのが社会の義務なのだろうか。


                        2020.8.1        佐々木利夫


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介護とチーム(2)