前回発表した「
よのなか ルールブック」の続きです。
H 信用と言う貯金をしつかりためる。
信用と言うのは何からできているのだろうか。それは貯金のように溜めることができるのだろうか。利息までつけようとは思わないけれど、信用とはまさにザルと水である。意図して作り上げられるものではない。それは無形の泡のように、現れがたくすぐに消えてしまう。
一番簡単な信用は「お金」でできている。その「お金」を他人のために使うことで、信用なんぞいくらでも作り上げることができるような気がする。「お金」のない者の持つ信用、それがどんなものなのか、ありそうに思えるけれど私には想像すらつかない。
I 「つまらない」なら、自分でおもしろくする。
それができないから、私たちは常に苦労している。そもそも、自分で面白くするという発想は、まず第一に「自分が面白くなる」ことだろう。「つまらない」気持ちでいるときに、自分で自分を面白くすると言う発想が自分の中に湧いてくるだろうか。だから努力して面白くなることを自分で考えろというのかもしれない。だが、Gと重複するかもしれないけれど「つまらない」気持ちはほとんどの場合、「金がない」ことが背景にある。「金のないことによるつまらなさ」は、果たしてどんな風に解決できるのだろうか。
J たまには「よい子」をやめてみる。
どんなとき、人は「よい子」でいられるのだろうか。そうしたよい子とは、演出された「作り物のよい子」なのではないのか。人が自然な意味でよい子でいられるのなら、そもそもよい子をやめてみるという発想そのものが必要ないのではないか。無理したよい子、作られたよい子だから、よい子でいることに疲れるのである。だからやめたくなるのである。
K 健康には気をつける。大事な人のためにも。
自分のためにではく、他者のために健康の管理をせよという。それは果たして本当に健康に気をつけることになっているのだうか。
L 「おしゃれ」は自分のために。「身だしなみ」は相手のために。
言葉遊びのような気がする。この二つは、果たしてどこが違うのだろうか。共に、他者を意識した行動ではないのかと、おしゃれや身だしなみに気を使わなくなってきた老人は思う。「鏡よ鏡・・・」と白雪姫の継母は語りかけるけれど、その呟く相手は果たして自分なのか。「世界で一番美しいのは・・・」の鏡からの回答は、果たしてどんな意味を持っているのだろうか。
M 人を好きになることは、「最高の勉強」だと知る。
たとえそれがストーカーだと非難されようとも、好きになることは相手に対するまごうかたなき純愛に違いはないのだから。迷うことなくまっしぐらに突き進もう。それこそが「最高の勉強」になるのだから。
N 選んだ道を自分で「正解」にする。
それでいいのだと思う。自分で選んだ道こそが、誰にも否定できない自分だけの正解になるのだから。自分だけが正しくて、それに反する他者の忠告や反対は、どんな場合も間違いになる。私は生涯を通じて独立自尊を貫き通すことができ、そしてその自尊だけが正しい道なのである。少し違うかな。筆者は「正解だ」と言っているのではなく、「正解にする」のである。つまり、無理やり正解にしてしまうのである。そのほうがいい。なぜなら、まさに聞く耳をもたないことになるからである。それって本当・・・?。
O よのなかはそんなに甘くない。それでも、「この世界はいいもの」と信じる。
よのなか甘くないことを自覚しつつ、それでも「いいものと信じる」というのは、努力なのか、それとも信仰なのか。はたまた錯覚への誘導なのか。また、どうしたらそれが「いいもの」だと信じることができるようになるのだうか。念仏を百万回繰り返すことで、人は浄土へ行き着くことができるのだろうか。
書籍の広告文なのに、その書籍を読むことも購入することもしないまま、まさにへそ曲がりの身勝手さを発揮してしまいました。恐らく筆者の思惑とはまるで違うのだろうと、これまた身勝手に思っています。
2020.11.29 佐々木利夫
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