きちんと受理されたかどうか、そこまでの確認はできていないのだが、今日付けで税理士を廃業すると北海道税理士会に届出を出した。別に税理士資格を失うわけではないのだが、税理士会に入会することでしか営業ができない仕組みになっているので、事実上の廃業になる。

 もちろん税理士としての国家資格は有しているので、入会資格に抵触するような特別の事情でもない限り、全国に数箇所ある地方税理士会のどこかへ新たに入会することで再び開業することは可能である。

 だが今更、東京や九州に居を移して、その地で新たに開業することなど思いもよらない。もし仮に税理士を再開するような事態になったとするなら、今の住所地である札幌であろう。だとするなら、そもそも税理士会を退会するような必要なんぞないことになる。

 だから脱会届は事実上の廃業であり、再び税理士稼業に身を投じることなど考えていないことを意味している。つまり、私にとっての北海道税理士会からの退会は、税理士の廃業と同時に税理士資格の事実上の放棄を意味しているのである。

 そうは言っても税理士の仕事は、資格はともあれここ数年事実上していない。事務所こそ維持していたけれど、それは税理士会や支部に会費を支払い、そこから様々な文書を受け取るだけのことであって、まさに「看板」だけの税理士であった。

 だから税理士稼業に特別な未練が残っているわけではない。だがそれでも、「税理士事務所」という私のいわゆる「秘密の基地」が消えてしまうことには、いささかの淋しさを禁じえない。それはまさに男のロマンとも言うべき特別な空間の終焉であり、別次元の喪失につながることでもあったからである。

 確かに他者に誇れるほどの中味を伴った特別な空間ではなかった。自宅から約4キロほどの地にある、ワンルームマンションの一室である。机と椅子と本棚、それにパソコンを置くだけで塞がってしまうような狭い空間である。

 意識でこそ「秘密の基地」なんぞと威張っているけれど、持てる小屋を「○○庵」と名づけた先人の思いとは、天と地ほどの違いがある。そしてその名称も、「佐々木利夫税理士事務所」という素っ気無いものであり、決して「佐々木庵」でも、「風流庵」でもなかったのである。

 もちろん仕事もした。家賃を支払うなど事務所を維持していくためには、ある程度の収入が必要だったからである。だが数年前から、どことない怠惰が忍び寄ってきた。度重なる税制改正や税理士として作成し押印する文書などに対する責任が重くなってきたのである。

 少し貯金もできてきた。交際費や維持費を節約することができれば、細々ながらこの空間をこれから数年間は維持できると考えられた。仕事空間から遊び専用空間への切り替えである。しかも、そこを「秘密の基地」と呼び替えてみると、その響きのなんとすばらしいことか。

 維持費を節約するのだから、贅沢はできない。交際費も節約しなければならないのだから、飲食店へ通うことも仲間との会食なども控え目になる。金のかからない「秘密の基地」、これが私の当面の目標になった。

 さいわい、残された私には金のかからない趣味がいくつかある。在職中から上達しないままに続けてきた楽器(ギター、フルート、まがいものの尺八、オカリナ、キーボード、クラリネット仕様のウインドシンセサイザーなどなど)もその一つだし、買いだめた楽譜も数十冊残されている。

 パソコンはインターネットにつながつており、そこには私だけのホームページ空間がある。サーバー内に「ひとり言」と題したエッセイと自称するジャンルを設け、ほぼ毎週欠かさずに原稿用紙5〜6枚もの雑文を発表できる空間がそこにはある。

 インターネット環境の設営には毎月のプロバイダー料金が必要となるけれど、光電話の回線と共用すればそれほどの負担にはならない。

 そのほか、読書も図書館が徒歩数分のところにあるし、仲間を集めて近くのスーパーへ買い物に行くと、事務所はたちどころに居酒屋に変身させることができる。

 アルコール依存症や体重管理に気をつけることさえできるなら、朝からビールを飲むことも、テレビを見ながらかりんとうを食うことだって気ままである。昼飯も自炊したり我が家の朝食をラップに包んで持参することで解決することができる。

 かくて基本的には「家賃」と「税理士会会費」だけで、私の秘密の基地はなんとか維持できることになった。しかもその内容は、決して節約の不便さに囲まれた窮屈な密室ではなく、「気ままなのんびり」に包まれた豊かな空間になったのである。

 そんな空間が、ある日突然、80歳という大波に押し流されることなったのである。そとれを「寄る年波」と呼ぶべきか、それとも「加齢による老化」と名づけていいのか、それとも単に「不摂生の祟り」と言うべきかは分からないけれど、突然の心筋梗塞と心臓弁膜症の発症であった(別稿「入院への序章」以降の数作品参照)。

 体力の衰えは、そのまま気力の衰えへとつながる。朝起きて朝食を食べて、JRで二駅通ってまた歩いて事務所へ。そして事務所で椅子に座ってパソコンで文章を作成したり読書や楽器に触れる。それらは、楽しみであり、時として贅沢な振る舞いだとは思う。思うけれども、そのどれにも体力が求められ、その体力は「やりたい」と言う、気力から生まれるのである。

 「6月15日をもって貴会を退会します」、そう書いた文書が恐らく受理されていることだろう。その受理で、私は税理士としての営業ができなくなる。そのことに何の未練もないけれど、生まれて、高校を卒業して、そして始めての社会人となったのが国家公務員としての税務職員であった。

 高卒は18歳だったから、定年を迎え税理士となって80歳を超えた私は、60数年を税の世界に身を投じたことになる。いい税務職員だったとも、優秀な公務員や有能な税理士だったとも思わないけれど、過ごしてきた60数年の税の世界は、確かに私の人生そのものだったとつくづく思う。

 これからは年金だけが頼りの人生になる。もっともその年金といえども、国家公務員時代、つまり税務職員として勤務したいた長い時代の社会保険の積み立てが基になっている。だからこれから貰う年金も、税の時代を背景にしていると言っていいのかもしれない。

 そうした意味では、これからも税の職場の過去を背負いながらの生活になるのかもしれない。それでも、それは国家公務員としての過去であり、「税」とは一線を画すべきなのかもしれない。

 その意味で、今日の「税理士会脱会」は、人生における一つの大きな区切りになるのである。税だけに生きていた身が、今日を限り税から離れるのである。仲間の多くが税理士になり、税理士を廃業している。だから税理士廃業は珍しくもなんともない、そこいらへんに転がっている当たり前の日常である。

 それでもその当たり前が、他者を巡っているうちは、私にとって日常の人生だったのである。でも今日からは我が身に起きた、他に替えようのないたった一つの人生になったのである。


                        2020.6.15        佐々木利夫


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税理士廃業