「シトロンの花の香り」の続編です。

 突然頭に浮かんだ「シトロンの花の香り」と「クェベラコーサ」と言う二つのフレーズとメロディーが、イタリア民謡の「オーソレミオ」ではないかまでは、たどり着いた。しかしながら、オーソレミオの日本語訳の歌詞に「シトロン」もしくはオレンジらしき果物の名前は出てこない。

 そこで気付いたのは、私たちが良く知っている「ホタルの光」の記憶であった。この曲はスコットランド民謡で、友との別れと再会の歌だと聞いたことがある。そして聞くところによると、「ホタルの光、窓の雪・・・」で始まる日本語の歌詞は、完全に日本独自の創作で原曲の歌詞とは無関係だという話である。

 つまり、ネットで「蛍の光」の日本語訳を調べたとしても、その翻訳が原曲に忠実であったとしたら、そこに「ホタルの光」や「窓の雪」と言った言葉を見つけることなどできないのである。つまり、作詞者が原曲にはない「シトロン」と言う語を、勝手に翻訳歌詞に加えたのではないかと言う疑問である。

 そう思いつくと、逆にネット検索は便利である。様々な方法でこの歌詞を探ることができる。そしてとうとう、オーソレミオの日本語歌詞の中に「シトロン」を見つけることができたのである。

 オーソレミオ(私の太陽)

 うるわしき 南の国
 もゆる陽の 輝きよ
 シトロンの 花の香り
 野辺に流れて 漂よう

 憧れの・・・
                     作詞 野口耽介(とうすけ) 生没年不明

 確かにオーソレミオの日本訳の歌詞に、シトロンなる語があったのである。作詞者である野口耽介が、どんな思いで原詞には見当たらない「シトロン」という言葉を訳詞の中に使ったのか、そこまでは調べられなかった。原曲のこの部分は「さわやかな空気はお祝いの日のようだ」と訳されており、シトロンとはまるで関係がない。

 検索しているうちに、この日本語歌詞が昭和34年の高校1年生の音楽の教科書に載っていたとの記述を見つけた。私が高校を卒業したのは昭和33年だから、載ったとされる時期は卒業の翌年であって期間的には少しずれている。

 だが時代的にはほぼ一致するので、もしかしたら載ったのはもう少し早い時期だったのかもしれない。そして私は高校の音楽の時間で、この歌を歌ったのかもしれないのである。私は授業としての音楽は、嫌いだったような気がしている。しかも、音楽は多分任意の選択科目だったような気がしているので、理屈から言うと選択しなかっただろうと思う。

 そんな風に思う一方で、音楽の授業ならレコード鑑賞などの時間は居眠りできる、歌うときは口パクで誤魔化すことができるなど、楽でサボれる教科だとのかすかな記憶がどこかに残っている。もしかしたら私は、音楽が嫌いであるにもかかわらず、そんな不純な動機ゆえに、教科として選んだのかもしれないのである。

 そしてサボるばかりではなく、時には真面目に授業に参加したのかもしれない。そして恐らく、「オーソレミオ」を原語と野口耽介の日本語訳で、同級生と一緒に合唱したのかもしれないのである。

 今となってはそんな記憶はまるで残っていない。にもかかわらず、私はこの歌詞をたとえ部分的にしろ、そして中途半端なうろ覚えにしろ知っているのである。そしてそして、鼻歌もどきではあるものの、メロディまで覚えているのである。

 シトロンを見つけることができたことで、この曲に対する私の疑問は解決した。一応すっきりしたことになる。でも、記憶とは何と気まぐれなものだろうか。私たちは記憶を自由にコントロールすることはできない。最近行われた大学入学共通テストでも、試験開始直前まで参考書に首っぴきになっている受験生の姿が放送されていた。間接的にしろその姿が、記憶を保持し続けることの難しさを裏付けている。

 一方で、痴呆症などで大事な記憶が失われている悲劇が語られる。他方、忘れることは人間の持つ大切な条件だと思うときもある。果たして記憶とは一体何なのだろうか。ここに書いたシトロンの記憶なんぞ、覚えていたところで私にとって何の役にも立たないように思える。忘れてしまったところで、何の不利益も受けないだろう記憶である。

 にもかかわらず、私(もしくは私の中の無意識)は恐らく60年以上も昔の、そして恐らく一過性の気まぐれでどうでもいいような歌詞とメロディーを、頭脳のどこかに記憶として残していたのである。そして、何の脈絡もなく、それが不意に再生されてきたのである。

 そして言えることは、この記憶は私だけの記憶でしかない。誰とも共通することのない、私単独の、しかもどうってことのない、どうでもいい記憶である。思い出したからと言って何の感慨なり利益をもたらすことなど望むべくもなく、また仮に忘れてしまったところで、何の不利益も被ることのない無意味な記憶である。

 もっともこの事件のせいで、オーソレミオがイタリア民謡というよりはナポリ民謡であることを知った。とは言え、それが何を意味するのかは必ずしも良く分らない。山形の民謡を日本民謡と呼ぶことや、沖縄民謡を日本民謡に含めることと同じような意味なのだろうか。それとも民謡をイタリアとナポリに区別することには、私には理解できないような何か特別な意味でも隠されているのだろうか。新たな疑問の発生である。

 また、私の好きなサラ・ブライトマンの曲 Time To Say Goodbye が、彼女とデュエットで歌っている盲目の男性テナー、アンドレア・ボチェッリの作曲になるものであり、新しい曲ではあるものの「著名なイタリア歌曲」として分類されていることも知った。

 更に更に、イタリア民謡のいくつかを、久しぶりにネット動画で聴くこともできた。

 記憶の役割とは、こうした次なる新しさにつながる糸口としても、理解すべきものなのだろうか。



                        2021.1.22    佐々木利夫


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シトロンの花の香りー2