しかし残念ながら市立図書館系列には存在しないようだ。次は生涯学習センターでのチェックである。ここは図書館とは連動していないので直接あたるしかない。自宅への帰り道の途中にある西区の生涯学習センター「ちえりあ」の視聴覚資料を探す。資料がコンピューターのデータベース化されていないので職員にも手伝ってもらってカードや書棚のDVDなどを探すが、何点かの古典資料はあったものの目指す卒塔婆小町の映像は見つからなかった。
 道立図書館や国会図書館とも蔵書貸し借りのネットワークができているのかどうか実は勉強不足なのだが、そこまでの執念で探し出すだけの気力がなかったと言うべきなのだろう、追跡は当面断念した。

 その後色々探しているうちに母の知人が能に興味を持っていると言う話があり、しかも「卒塔婆小町を持っている」というので早速お願いしたのだが実は持っていたのは歌本の原文だけで映像ではなかった。

 前回卒塔婆小町について書いたのは今年の5月のことだったから、とりあえず「卒塔婆小町について書いた」という実績があるものだから、現物が見つからないというせいもあるのか小町探しもそのうちに少しずつ熱が醒めてきたというのが本音である。

 そんな時私の中学時代のクラス会が開催された。もう50年も前のクラスメートだが、高校時代の仲間と違って当時の思い出に利害や生臭い感情の行き違いなどもないものだから、これまでほぼ1〜2年おきくらいには開いて旧交を温めている。

 その仲間のご主人に能に造形の深い方が居るという情報を得た。なんでも自宅に能舞台と言うか稽古場を作るほどの熱心さだという。
 そう言うご主人ならきっと有名な卒塔婆小町なのだから練習風景でもいい、何かの映像を持っているのではないかと思いついた。

 手に入った。そのご主人の師匠格の方が踊られた本格的な舞台であり、セットも謡もすべて本物のビデオテープが送られてきた。さて、ゆっくりと歌本を脇に置いて事務所での鑑賞である。

 ところが所要時間1時間40分、しみじみと我が鑑賞力のなさを思い知らされた。私の持っている歌本は地謡の部分が原文と現代語の対訳、登場人物のセリフは現代語訳になっているので、少なくとも地謡の部分は素直に分かるはずだと思ったのだが、これがどうしてなかなかついていけないのである。
 歌本には例えば「一の松まで進む」とか「杖を投げ出す」などの登場人物についての所作などのト書きもあるので、ストーリーを追いかけるのは不可能ではないはずなのだが、謡のほとんどが意味のあるセリフとして聞こえてこないのである。

 ましてや主人公たるシテは面をかぶっているので、声がさえぎられくぐもるものだからなおのこと聞こえずらいのである。しかもこれも誰もが知っていることだけれど、能は動きそのものが極端に少ない。鼓の音だけがやけにポンポン派手に聞こえるのだが、シテもワキも地謡も何を言っているのか分からないし、加えて動きの少ない映像は全体としてストーリーにほとんどついていけないのである。

 言い訳するわけではないが、私はこの卒塔婆小町のストーリーを理解しているつもりである。どこまで本物の理解なのかどうか自信はないけれど、とりあえずじっくりと歌本を読んだし、もちろん分かりにくい表現も多々あったけれどそれなりに100歳の小町の気持ちについて理解したつもりであった。
 にもかかわらず私はこの舞台が理解できなかった。演じられている能舞台の映像からではどうしても小町の苦悩を理解することなどできなかったのである。歌本の助けを借りながらでも小町の悩みが舞台からは伝わってこなかったのである。

 これで私は思ったのである。これは演じる側の問題ではない、つまるところそうした能と言うものに対してその能の筋書きも語られている謡の言葉のあらましも分かっていながら舞台についていけないのは受け手側、つまり私の問題なのだと言うことを。

 そしてそれを承知の上で更に思ったのである。少なくとも私は能に関しては理解の能力がなかった。しかし、だからと言ってその理解力のないことをなぜか少しも恥ずかしいとは思わなかったのである。
 能は海外でも上演されている。国際会議の場やアメリカなどでも上演されており、そこで能を見た外国人が、日本の古典芸能は素晴らしいと感激している場面を見たことがある。その時は特になんとも感じなかったのだが、現実にこのビデオを鑑賞してみて、そうした感動の言葉にはどこか作られた嘘または意識された見栄みたいなものがあるのでないかと思ったのである。

 こうした考えは理解できないものを自分以外のせいにする「すっぱいぶどう」(別稿参照)の系譜につながるものなのかも知れない。自分が理解できないからと言って他人にも理解できないだろうと思い込んだり、相手のほうが悪いなどと責めるのは余りにも矮小な傲慢だとの謗りを免れないかも知れない。

 だが待って欲しい。私は能の芸術性そのものを否定しようとしているのではない。ただ能は一体誰のものなのだろうかとこのビデオを見ながら考え込んでしまったのである。私を庶民多数派の代表とみなすつもりはないけれど、もともと能といえども庶民から生まれその支持の下に発展してきたのではなかったのか。
 確かに貴族や特権武士階級に浸透していったのも事実だろうし、もしかすると能の持つより高い芸術性の香りはそうした選ばれた雰囲気の中で醸し出され熟成してきたものなのかも知れない。
 しかし、そうした上流世界に埋没したことが逆に能を自らを檻の中に閉じ込めてしまった要因になってしまったのではないだろうか。

 同じ古典芸能の中に歌舞伎と言う分野がある。能が室町時代に完成されたと言われているのに対し、歌舞伎の全盛期は江戸時代である。だが能と歌舞伎には共通のドラマが多い。むしろそのことは歌舞伎がその題材の多くを能から得たからだと言ってもいいであろう。
 そして歌舞伎は江戸のみならず上方、更には地方へと広がり、ドラマのみならず演者も含めて多くの人々を熱狂させ、部落の祭りの素人歌舞伎や子供歌舞伎など、大衆芸能の分野にまで浸透していった。

 歌舞伎の分かりやすさはどうだろう。もちろん言語体系も異なっているから歌舞伎の言葉がそのまま現代に通じるかどうかは疑問なしとしないけれど、ストーリーも演者の見栄も含めた動きの多い所作も更にはあの豪華な舞台や衣装、花道や回り舞台やせり上がり、それに顔に描かれたくまどりの派手さや役柄の分かりやすさなどなど、そして客席からの掛け声などによる舞台との一体化、どれもが能には見られない歌舞伎独特の特徴である。

 そうした分かりやすさを、大衆に迎合した結果によるものであって芸術の堕落だと割り切る考えがあるかも知れないけれど、むしろ人々は能にはない分かりやすさの中に楽しみや古来からの伝統を見たのではないかと思うのである。

 エリート集団に囲まれ、象牙の塔の中に閉じこもった小数集団の中でのみ生き残っているかに見える能とは一体なんなのだろうかとビデオテープを回しながら改めて私は思ったのである。

 こんなことを書いてしまうとわざわざビデオテープを送ってもらった方に申し訳ないし、その方が一生懸命に能の勉強をしていることに水を差すようなことにもなりかねないのではないかとも思うけれど、そんなつもりはさらさらない。とは言いながら、実は2度このテープを鑑賞した結果、私には能の鑑賞眼のないことを改めて思い知ることになったのである。
 もちろん一つのテーマで能を通して鑑賞したのは生まれてこの方卒塔婆小町が最初である。能にはまだまだ多くの作品があるし新作能も発表されているのだから、この一つだけでそんなふうに断定してしまうのは間違いだとも思う。

 ただ、理解されないことに対して、「理解しない奴が悪い」と言う理屈付けも成り立つけれど、逆に「理解させようとしない側にも問題があるのではないか」という指摘も同じ程度の重さを持つのではないだろうか。

 能はこれからも今のままの姿を頑なに続けていこうとするのだろうか。それとも現代の多くの人々にも理解できるような変貌を遂げようと努力していくのだろうか。シテが面や装束を替えるための前場と後場の間を利用して演じられ、独自の発展を遂げてきた狂言を通じて子供や若者へ能への理解を深めていこうとする運動もあるやに聞いた。
 また脳死をテーマとした新作能が東京の国立能楽堂で来月上演されるとの記事を最近のメルマガで読んだ(05.9.26付m3.com)。ただSS席18000円、「ライトアップされた能楽堂中庭で高級日本酒が振舞われ、美酒に酔いながら人の生死を考える宵」という発想には多少違和感のないでもないが、ここにも新しい能への模索が見られるのかも知れない。
 このほか最近人気のある「薪能」は、目的が地域振興のための演出で本来の能とは異質なものだとする意見もあるけれど、変化を一概に邪道とか堕落などとは考えない道筋を伝統芸能といえども探っていく必要があるのではないだろうか。

 何故かと言うなら、私はこの卒塔婆小町のストーリーが大好きなのである。だから能以外の小説や舞台劇などに能の世界が侵食されていく現状がなぜか口惜しいような気がしてならないのである。能といえどもその価値は有識者だけによる評価なのではなく、もっと単純に「能を見たいと思う人々の意思の総和」にあるのだと思いたいのである。



                            2005.09.27    佐々木利夫


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卒塔婆小町後日談
  
 私が能の卒塔婆小町に触れたいきさつについては既に発表した(別稿卒塔婆小町参照)。そのエッセイの中で能の小町に会いたいと書き、それから映像探しが始まった。まず手始めはネットで札幌市立図書館の視聴覚教材にあるかどうかであった。もしどこかの図書館での存在が確認されたなら、たとえその図書館が我が事務所から遠く離れていようとも、予約を通じて手に入れることが可能である。