携帯電話が電話と言う呼称にもかかわらず電話機能から遠く離れてしまっていることについては、これまで何度かこの場で発表した(私の携帯異聞携帯お化け屋敷)。

 機種にもよるのだろうがゲームが組み込まれ、ライブチケットの購入や会場への入場ができるようになり、駅の改札口を通過することなども可能になった。最近は様々な買い物の場でも、自動販売機や商店の端末装置に携帯をかざすだけで支払いができるようになってきているという。

 しかもそうした携帯での決済機能は、単にキャッシュレスで支払いができるということに止まるだけではない。スーパーやコンビニのレジスターが、POS(販売時点管理)機能を持っていることは既に知られている。来店者の顧客情報(例えば男女別、年齢層など)をレジの店員が打ち込み、既にバーコード化されている商品情報、そして販売時刻などを組み合わせることで流通の重要な情報が得られるというシステムである。もちろんそれに気象会社からの地域別天気予報情報などを加えるならばその販売情報は一層信頼できるものになると言われている。

 そうした様々な情報が携帯の決済機能を使うことで自動的に収集されてしまうのが今の時代である。携帯電話が振り込め詐欺などの犯罪に使われる例もないではないが、こうした決済機能を持つ携帯であれば、当面きちんと登録された正規の契約に基づくものだと考えていいであろう。
 だとすれば、その情報を勝手に使うことが許されるのかどうかはともかく、電話番号の中には契約者の住所、氏名、年齢、性別、決済銀行などの情報が当然に含まれていることになる。

 さてあなたは今日、会社近くのコンビニで鮭のおにぎりを買い、少し足を延ばした公園で短い昼休みを過ごした。なんでもない、しごく当たり前のいつもの行動である。
 あなたは会社で午前の仕事を終え、昼飯にうなぎを食おうか、カレーライスにしようか、軽くざるそばにでもしょうかと考えながらエレベーターに乗る。外は風もなくいい天気である。エレベーターを降りたあなたは、歩きながら見かけたコンビニにふと立ち寄って鮭のおにぎりを買い、その支払いのために店の端末に携帯をかざし、そのまま公園へと向かう。

 それは全部あなたの自由な意思である。誰からも強制された行動ではない。お天気の良さに引かれて、あなたは自らの意思で公園の木陰でおにぎりを食べようと思い、手近な店に入って数あるおにぎりの中から自分の好きな鮭を買った、ただそれだけのことである。こんなこと改めて考えてみるまでもない完全な自己決定である。

 でもあなたがそのコンビニでお昼に鮭のおにぎりを買ったという情報は、あなたの意識するしないに関わらずどこかでデータとして把握されてしまっているのである。
 そうした情報は統計と言う形なのかも知れないけれど、きっとこんな風に囁いている。

 今日の天候と気温からすればサラリーマンの多くは飲食店ではなく、近くの公園や河原などの外で昼食をとりたがるだろう。そうだとするならサラリーマンの多くは鮭のおにぎりが好きだから近くのコンビニを利用するに違いない。コンビニでの顧客の好む商品配置は店の入り口を入って1メートルほど奥で右側の棚の、上から三列目なのでそこにおにぎりを置くのがいい。商品構成はその店を利用する年齢階層から考えて鮭が5割、いくらとたらこが各2割、その他新製品にするのがもっとも売上効率が高い。レジに向かう途中には100円サイズのお茶のペットボトルを置いておく必要がある、などなど・・・・・・。

 この商品配列は私の勝手な思いつきで事実でもなんでもないけれど、そうした情報はあなたを含めたその界隈のサラリーマンの多くが、携帯で昼食を購入した事実が教えてくれたものである。

 曇りの日には何を食いたがるか、雨だったらどう行動するか、気温が低い日はどんな飯にしたがるのか。それは単に昼飯だけの問題ではない。帰り道はどこへ寄ることが多いのか、ビアガーデンは何曜日が多いのか、駅の本屋ではどんな本を買うのか・・・・・。

 どんな情報が蓄積され提供されるのかはよく分からないけれど、もし仮に個人情報にまでその範囲が及ぶのだとするなら、あなたが家を出てから戻るまでの全部の行動が携帯と言う端末で把握することだって可能になっているのが現代なのである。

 そこまでの心配は今のところないのかも知れないけれど、単純な昼食パターンだって予想は可能であり、それはもう予想と言う範囲を超えて「鮭のおにぎりを買う」ように操られていると言ってもいいのである。

 街のいたるところに監視カメラが24時間動いているようになり、私の住むマンションにも防犯という名のカメラが設置されている。暗くなってから帰宅すると、突然にカメラ用の照明が点灯し驚かされることがある。数日で消されてしまうのだろうけれど、カバンを持った老税理士の姿がどこかで確かに記録されているのだろう。
 それは現代の受忍しなければならない範囲内のことだと承知してはいるのだけれど、管理社会の不気味さを予感させるものには違いない。

 そはさりながら手放して7年余、私は未だに携帯を持っていない。スーパーのPOSシステムなどで買い物情報が利用されているかどうかはともかく、少なくとも私の個人情報が携帯から探られることはないのである。



                          2006.7.22    佐々木利夫


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携帯に支配される社会