単身赴任の思い出と言うのは、どうしても食うことにつながる話が多くなるようだ。それは結局のところ普段から食べることの全部を女房であるとか職場や近くの食堂、そして夜は宴会などと言った人任せにしていたことのつけが回ってきたことの証左なのかも知れない。
 単身赴任者のために専用の食堂を用意している地域もあるし、行きつけの居酒屋を食堂代わりに利用している猛者もいるけれど、多くの場合ある日突然に掃除洗濯はもちろん、お茶を飲むのもコーヒーを淹れるのも自分で何とかしなければならないという現実にぶつかる。それは赴任前からの覚悟とは別の意味で不意打ちである。

 週に一回奥さんが手作りの惣菜をまとめて持参してきてくれるとか、金帰月来の折に仕上げてもらった洗濯物と一緒におかずを持ち帰るというパターンを繰り返す者、俺は目玉焼きしか作れないなどと自慢なのか嘆きなのか良く分からんせりふを繰り返す者もいないではないが、それだって飯を炊いたりパンを焼く程度の基本的な作業は自分の役目になる。

 わたしはそれほど横着ではなく、それなり朝晩欠かすことなく台所に向かっていたし、場合によっては興に任せて昼の弁当作りまですることだってあった。税務職員として勤務していた北海道帯広市での始めての単身赴任にぶつかった時の遠い記憶である。

 そんなある日、なんとずしりと重い「マツタケ」が一本手に入ったのである。なんたってマツタケである。「香りマツタケ、味シメジ」と言うし、「マイタケ」は見つけたときに自然に踊りだすほどにも貴重なきのこだとも言われているけれど、それでもマツタケはきのこの中の王者であろう。そのマツタケを丸ごと一本、仲間が届けてくれたのである。

 ところがこのマツタケ、上の写真ではサイズがよく分からないかも知れないが、とにかくでかいのである。テレビなどで一本数千円、東京のデパート価格では小さな籠に数本並べて数万円とも言われるものを見たことはあるが、そんな映像よりもずっとずっとでかいのである。

 両手の親指と人差し指で○を作る。一本なのにちょうどそのくらいの太さがあるのである。もちろん長さもそれに比例しており、ゆうに20センチはあるだろうか。ずんぐりむっくりで傘の開いていない形は無理にこじつけるならマツタケに似ていると言えなくもないけれど、きのこなんてのはみんなこんな形をしているんだから怪し気さの解消にはほど遠い。

 どうもこれはマツタケとは違うんではないか。それに得体の知れないきのこなんぞ決して食うものでないことくらいはきのこ中毒の記事は毎年のように新聞を賑わしていることからも十分に承知である。
 そうした顔つきを察したのか、山歩きの好きなその仲間は、これは十勝(帯広市を含めた10数町村の地域総称である。詳しくは別項「十勝始めてですか」を参照してください。)の山でよく取れる「白まつたけ」と呼ばれるきのこで、間違いなくマツタケの仲間であり味も保証すると太鼓判である。

 これだけ大きいきのこだし、例えばシメジやシイタケなどと間違られるような形状ではない。毒キノコと間違えられるような紛らわしい普通のきのこの形をしているのだったら礼を言って受け取り、翌日ありがとうをもう一度繰り返すだけで食べた振りのまま生ゴミの仲間にしてしまうことだってできるのだが、これは他のきのこと間違われるような姿形をしているわけではない。

 しかも、なんと言っても目の前にあるのは美味いと太鼓判を押されたマツタケである。ダイヤモンドとまでは言えなくとも誰もが垂涎の的であろう天下ご免のマツタケである。食わずに生ゴミ行きだなんて、そんな浅はかな仕業など金輪際できるものではない。

 それに持ってきてくれた仲間は、親切にも調理方法まで教えてくれた。@小さな虫がいるかも知れないので薄い塩水に1時間ほど漬けて置くこと、Aスライスしてバター焼きで食うのが一番美味いことの二点である。
 これならフライパン一丁で簡単に料理ができるではないか。いかに料理下手な単身赴任といえども、この程度の作業ならばお茶の子さいさいである。高級料亭の小さなコンロの金網の上でグルメの粋な客を待つ板長自慢のマツタケの気持ちが分かろうというものである。

 さて翌日になった。なぜ翌日なのか。実はバターがなかったのである。私はもっぱら和食であり、ごはんに味噌汁を鉄則としていて、パンにコーヒーなどという生活はこれまでほとんど経験がない。したがってトーストにバターという食習慣がない上に、これと言ってバターを使うような料理のレパートリーもなかったことが原因である。

 バターこそどこにでも売っている。マーガリンが代用としてそれなり人気のあることも知っている。だがチャレンジしょうとしているのはマツタケである。どうしたって本物のバターを手に入れなければならない。そんなに覚悟を決めるほどバターは高価な品ではないが、一番小さいのをスーパーで手に入れる。

 これで用意万端整った。もちろんこのバター焼きで飯を食おうというのではない。冷蔵庫にはビールが冷えているし、お望みなら日本酒も押入れの中で出番を待っている。なんなら焼酎もウイスキーも日本酒の横に鎮座ましましている。

 塩水に漬けたきのこからはなるほど数ミリの白い虫が2〜3匹出てきた。だが、どうせじっくり火を通すのだし、そもそもそんなことを気にする性格ではない。思う存分マツタケが食えることのほうに気持ちはすでに先走っている。

 まな板の上にマツタケを置き真ん中から静かに包丁を入れる。なんと素晴らしいことか。二つに割れた切り口からは真っ白な地肌が見事に現れる。気になる虫食いの跡もないし、傷んだような跡も見えない。スライスした柔肌は、まるで赤ん坊の尻のように柔らかく弾んでいる。

 フライパンが熱くなった。バターが溶け、香ばしい匂いが立ち込める。頃はよし、5ミリほどの厚さにスライスしたマツタケ2枚を静かに載せる。目の前でマツタケはキツネ色に変色していく。何度か裏を返し表を返し、数分で十分に火が通った。

 皿へ移しテーブルへと運ぶ。冷えた缶ビールをグラスに注ぎ、料理の前にまずは喉をうるおす。至福の時である。さていよいよ天下の珍味、しかも手作りのマツタケへの挑戦である。

 実は私はマツタケのこうした食べ方をしたことがない。一番の馴染みといえば「マツタケのお吸い物」と称するインスタント食品であり、次は宴会などで1〜2度味わった「マツタケの土瓶蒸し」程度である。マツタケを丸ごと焼いた料理はもちろんのことマツタケご飯さえも記憶にないのである。

 そんな私にとってこのマツタケ食い放題はまさに歴史的快挙である。ビールで冷えた口で、まだ熱さの残るマツタケを静かに噛みしめる。おお、今宵はなんという豪華なひと時であろうか。

 ちょっと待った。なんだか変だ。マツタケの味がしない。もちろん料理の味に薀蓄(うんちく)を傾けるほど私はグルメではないし、マツタケの味そのものだって講釈するだけの力のないことは自他共に認めるところである。それでもマツタケのお吸い物にしろ土瓶蒸しにしろマツタケの味と香りくらいは分かっているつもりである。

 それが我が手作りの料理には香りどころか味もないのである。もちろんバター炒めなのだから、バターの味と香りはしている。でもそれだけなのである。実際に試したことはないから想像で言うしかないのだが、例えば木片のバター炒めと同じである。それを料理なんぞと呼ばないだろうが、ティシュペーパーだってバターで炒めたならそれなりの味はするだろう。それと同じである。目の前のマツタケにはバター以外のなんの味もないのである。
 不味いと言うのではなかった。苦いとか臭いとか変な味とか、そうした癖もないのである。無色透明、まるでなんにもないのである。バターの味と香り、噛み切れるだけの歯ざわり、ただそれだけのものなのである。

 かくて我が人生に至福の一ページを加えたであろう快挙の日はあっけなく失望の中に幕を閉じたのであった。バターの味しかしない木片に何の魅力があろうか。こんなものにバターを使うくらいなら、熱いご飯に載せて醤油を数的垂らした、俗称「バター醤油ご飯」のほうがどれほどおいしいことか。

 マツタケはあえなくそのまま生ゴミへと変身することになった。飲み始めたビールを途中で中断するはずなどないだろうから、目玉焼きかサンマの塩焼きかそれなり1人の酒盛りは続いたのだろうが、その後どうしたかの記憶はない。ただあまりにも期待していたマツタケへの破れた夢だけが、その後も忘れられることなく私の人生に未練がましく今に至るまで残されることになったのである。

 後日、このきのこはマツタケではなく、正式名称を「モミタケ」と言うモミの木などの針葉樹の根元に発生するシメジの仲間だと分かった。食用可とあるから食べられるのだろうけれど、スーパーなどで市販されるような気配もなかった。ただ、思いを寄せた彼女から素っ気無く扱われたかのようなこの記憶は、トラウマのようにその後の私に残り続けたままである。

 ところでこの白マツタケは、最近急激に市場に出回ってきている「エリンギ」というきのこに、サイズや形を別にすると食感が良く似ているのである。
 だから私は仲間との事務所での飲み会の様々な鍋の材料探しにスーパーへ出かけることも多いのであるが、このきのこに関してはどうしても材料として使うのが億劫になってしまっているのである。決してエリンギに罪があるわけではないのだが・・・。


                        2006.5.09    佐々木利夫


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白まつたけ食い初め日記