十勝

  始めてですか?
  
 今朝(平17.11.20、日曜日)のNHKテレビ「巨樹は語る」は「雪原に立つ・北海道・ハルニレ」のタイトルで、十勝の大地に根を下ろしたハルニレの古木に語りかける少女の物語だった。その中で何度も十勝と言う名前が繰り返され、それ聞きながら「ああ、十勝はここにもあるんだ」と、かつてのこの地方での勤務を思い出した。

 北海道は都道府県単位では一つの行政区画になっているが、その管轄面積は広大で九州全7県の二倍を超えるものとなっている。そのため北海道は道庁を中心とし、14に分けた支庁という下部組織を置くことで行政機能の効率化を図っている。

 もっとも、最近の国も含めた行政改革推進の動きもあり、北海道そのものも他の自治体と同様財政は危機的で放置すれば赤字再建団体に陥る寸前と言う状態とも相まって、支庁の存在そのものの意義を問われているが、そうした中に大雪山系から襟裳岬へと続く北海道の背骨とも言える日高山脈の東、そして太平洋沿岸の釧路近くまでを占める「十勝支庁」と呼ばれる区域がある。

 もう20年以上も前になるが、この十勝支庁のほぼ真ん中に位置する帯広税務署に勤務していたことがある。その管轄区域は全国第一位の帯広市を中心とする一市十一町二村の14市町村で十勝支庁総面積の約63%を占め、残りが十勝池田税務署管内の6町になっていた(来年2月には幕別町と忠類村が合併して19市町村になる)。つまり、十勝支庁はこの二つの税務署で管轄し、かつ、それが全部であった。

 さてその帯広税務署に赴任して驚いたことがある。もちろんこの地は始めての勤務であり、仕事がら色々な人に着任の挨拶をするのであるが、そのたびにこんなふうに聞かれたことであった。

 「十勝始めてですか」。

 この職場は転勤が多いから、私も人並み稚内や苫小牧、釧路などあちこちに赴任している。そうしたときその地の人がごく当たり前の挨拶として「この土地での勤務は始めてですか」と聞くのは当然のことである。「こんにちは」とか「おはよう」くらいに定番の社交儀礼である。

 もっともこっちは税務職員なのだから、こうした初対面の挨拶にはその相手がどの程度新しい土地なり地域の情報に精通しているかを探ると言う意味も含まれているのかも知れないけれど、その辺のところはきちんと確認できたわけではないから勝手に忖度するのは止めよう。

 だから、「始めてですか」と聞かれたこと自体はなんとも思わないのだが、その聞き方である。普通は釧路へ転勤したらその土地の人は「釧路は始めてですか」と聞くだろうし、苫小牧なら「苫小牧での勤務は始めてですか」と聞くのが普通であろう。

 だから帯広への転勤に対して「帯広は始めてですか」と聞かれたのならなんの違和感もなかったのだと思う。それがこっちの予想しない「十勝始めてですか」は、これまでの長い北海道生活のなかで支庁を単位とした会話など交わしたことがなかったし、十勝という言葉だって天気予報以外ではほとんど聞いたことがなかったものだから、私の会話の語彙のなかに「十勝」という語はなかったといっていい。

 私は札幌勤務が長く退職後の現在も札幌に住んでいるが、その札幌は石狩支庁に属している。しかしながら石狩という表現は石狩市(平成8年9月市制施行、それまでは石狩町であり、石狩川の河口、灯台、砂丘、鮭祭りなどに人気がある)の意味に使うことはあっても日常的に札幌市を含めて使うことなど天気予報の石狩地方という表現以外にはないと言っていい。これは苫小牧勤務時代の胆振(いぶり)支庁の名称でも同様であった。

 それが前触れもなく突然に十勝と言う言葉が出てきたのである。始めのうちは何を聞かれているか分からなかった。相手の質問の意味がこっちの胸に染みこむまでに少し時間がかかるのである。もちろん一度分かってしまえばなんでもないことなのだが、突然の「十勝始めてですか」の質問は見知らぬ異国に来たかのような感触を私に与えたのである。

 このことはこの地方が十勝平野と言う畑作・酪農を中心とした地域として生活基盤が共通していることにあるのだろうが、それ以上にそこに住む人が例えば帯広市であるとか池田町に住んでいるという意味から離れて十勝という地域の住民であるという意識を日常的に持っていることを意味しているのかも知れない。

 しばらくしてから分かったことなのだが、この地方には古くから十勝モンローという表現が使われていた。モンローとはモンロー主義の意味であり、モンロー主義とはかつてアメリカ合衆国の5代目大統領モンロー(就任期間1817年〜1825年)が議会演説で、「南北アメリカでは将来ヨーロッパ諸国が植民地を築く権利のないこと、つまり主権国家としてヨーロッパはアメリカに干渉すぺきでないことを宣言した」ことによるものであり、十勝モンローとはまさに十勝が地域一体として外部からの干渉を受けずに自立していこうとする気概を示しているものと言えよう。

 はてさて、これも平成大合併などと最近全国的に賑わっている町村合併の中での話題であるが、十勝支庁管内全20市町村全部を一まとめにして、なんと「十勝市」という一市にしてしまおうという壮大な構想があると聞いた。

 まだ夢のある可能性の段階なのではあろうけれど、十勝モンローは現在でも健在であると言うことだろう。夢見る十勝頑張れ・・・・。少なくとも一度は住民票を移し帯広市民、いやいや十勝住民となったこの身である。快晴を表す「十勝晴れ」という言葉もあるし、最近開村した飲食店街屋台村も盛況だとの話も伝わってきている。十勝市の構想に密かなエールを送るのも悪くはない。

 帯広での勤務は僅か2年間で再び札幌へ戻ることになったけれど、10数年振りの地方勤務だったこと、初めての単身赴任だったこと、久し振りの現場勤務だったことなどもあって様々な思い出が残っている。そうした記憶のいくつかは既にエッセイとして発表したけれど(『ふるさと銀河線』、『襟裳岬自転車行』)、そのほかにもあの広い大地やゆったりとした十勝川の記憶がなぜか体臭のようにまとわりついて離れない。


                     2005.11.22    佐々木利夫

 追記。11月26日(土)朝のテレビ報道は昨日の道議会で知事が述べた現在の14支庁を再編して6支庁にするとの改革案を取り上げていた。先行きはまだ不透明だが、その中でたった一つ「十勝支庁」だけは名称も管轄も今のままになっていたことがちょっぴり嬉しかった。



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北海道14支庁図

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