市場でのサンマが午後6時過ぎになると安くなって山盛り買って始末に困ったという話は前回発表した(サンマのまるかじり)が、安くなるのは何もサンマに限ったことではない。これも帯広での思い出話である。シーズンになるとサンマに限らずどんな魚だって同じようなものであり、そうしたなかにイカもある。

 普通イカはせいぜいが一匹(イカは一杯という)単位で買う。買ってから気づいたのだが、イカの胴体の皮むきというのがそれはそれは大変な作業なのである。イカの皮は見た目にはそれほど目立つものではないから、それとは知らずに胴体をそのまま刻んで刺身にしてしまい、口にしてから「これはなんだと」とあわてたこともあった。

 刺身として食うためには、薄いけれどかなり手強い透明な皮の始末が必要だと知ったのはこの後である。かくしてイカに対する最初の皮むきへのチャレンジとなる。どうやっていいか分からないから、包丁の刃を使ってリンゴの皮を剥くように、またはサンマのウロコを外すようにこそぎ取ろうと色々工夫するのだが、少しは剥けてくるものの身が傷だらけになるだけでさっぱりきれいに裸になってくれないのである。次に考え付いたのが軽く熱湯を通せばいいのではないかということであった。だが煮つけではなく刺身で食おうと思うときに熱湯処理というのはなんだか刺身本来の目的から外れているような気がしてならない。

 女房に聞いたのか、それとも職場の女性からなのか、はたまた馴染みのスナックのママさんからの助言によるものなのか、イカの皮むきには一定のルールが必要だと分かった。
 まず足と内臓を外しきれいに洗う。次いで布巾などで耳と胴体を押さえ、耳を胴体のほうへ滑らないように外し始めると、これがまた面白いほどきれいにむけてくるのである。きれいにむけるなんてものではない、この動作は快感でもある。まるでゆで卵の殻が苦もなくつるん外れたような快感である。一匹だけで終わらせるには勿体ないほど癖になる作業である。

 さてイカはそんなに高級魚ではない。冷凍ものを買ってまで年中食いたいと思うほどの料理好きではないから、手に入れるのはシーズン時であり、つまりは刺身にして食おうと思う時が多い。
 シーズンのイカは特に安い。したがって買う量も一杯ではなくどうしたって三杯、四杯という数になる。そうなると最初の一杯は刺身にするとしても残りは冷凍庫に入ることになる。

 もちろん足を外して皮を剥き、開いた形でラップに包んで冷凍すれば、技術の問題はとも角好きなときにイカソーメンなどの自作も可能であるというものである。

 だがこうした食い方は煮付けも含めてイカゴロを捨てるという問題がある。イカゴロは食べ方に工夫は必要だがいわゆる魚の内臓のように本来的に捨てるものではない。だからといって簡単に生で食ったり焼いたり煮たりして食えるものでもないから結局は捨てることになる。

 数杯のイカを前にして、刺身と煮つけしか能のない単身赴任男はふと考える。下手な考え休むに似たりは常に自分に言い聞かせている言葉だが、仕事の時間以外は暇の有り余る単身赴任である。自分なりの新しいレシピを身につけるのも悪くはない。

 身近にある市販のイカ料理には色々ある。焼きイカ、イカめし、酢漬け、リング揚げ、などなど、それなり思いつくがけっこう調理が面倒くさそうである。簡単そうに思える焼きイカだって、一夜干しの味を覚えた身にとって、それなり手間がかかろうというものである。
 はた、と気づいたものがある。塩辛、しおからである。飯のおかずとして日常的に食卓に並んでいることが多いではないか。しかもイカゴロも入っているし、ゲソも利用できるではないか。
 これだ・・・・、この思いつきに俄然張り切る単身赴任の男がいた。

 さて思いつきはいいとして、問題は作成過程である。材料はもちろんイカ全部が基本である。塩辛にはほかに何が入っているだろうか。当然に塩は必要だが、単身赴任者といえども味噌、塩、醤油それに砂糖などは必需品だから特に用意する必要はない。
 唐辛子も確か入っていたはずだし、僅かではあるが蜜柑の皮も入っていたような気がする。それに美味い塩辛には米粒のようなものが入っていたから、きっと麹で熟成されているに違いない。
 作り方は簡単だ、材料を混ぜ合わせるだけでいい。麹は手元にないが近くのスーパーには置いてあるだろう。蜜柑の皮だって手に入れるのは簡単だ。
 麹は漬物用に小さな紙袋に入って売っておりそんなに高いものではなかった。蜜柑は100円で3個や4個買えるから、食った残りの皮を部屋の中に放って置けば自然に乾燥するし、それを粉々にすればいいではないか。同様に鷹の爪と称する唐辛子も手に入った。

 最近は血圧の問題もあってあんまり塩辛は食わないが、もともと好きな食品である。イカゴロを加え、その中にほんの少しの鷹の爪の輪切りと細かな蜜柑の皮と塩・・・・・、これに麹を混ぜて熟成させるだけで素晴らしい自家製の塩辛ができる・・・・。考えただけでその美味さが想像できるではないか。しかもイカを耳もゲソも小口に切って材料を混ぜ合わせるだけでいいのだから、我が腕でも十分に可能である。

 さて、材料はそろった。作成にはそんなに手間はかからない。皮つきのままでもいいのかも知れないが、とりあえず皮をむいたイカをきざむ。ゲソも軽くウロコというか吸盤の先についているギザギザ様のものを包丁でこそぎ取る。もちろんゴロも大切な材料であるから袋を壊さないようにきちんと残してある。鷹の爪も小さなもの一本の半分くらいを細かく輪切りにした。蜜柑の皮も手で揉んでパラパラになるほどではなかったがとりあえず乾燥していたのでこれも包丁で細かく砕いた。

 残りは容器である。話に聞くところではセトモノの甕(かめ)のようなものを使うらしいが、手許にそんなものはない。しかもそんなに大量に作る必要はない。今回は我が生涯最初の試作品である。上手くできたら次回に量産すればいいではないか。
 少し大きめのまさに我が努力にふさわしい大きさの蓋つきの塩辛の空き瓶があるではないか。ちゃんと「塩辛」と印刷されていて、これ以上適切な容器はない。

 そろえた材料を容器に詰める。ゴロもちゃんとしぼつて入れた。麹もほぐして入れた。少し化学調味料も入れたほうがいいだろうか、砂糖もスプーンに一杯くらいは入れたほうがおいしくなるのではないだろうか、みりんはあったかな・・・・。最後になって様々な決断を迫られる。

 加えた材料を割り箸でかき混ぜる。なんと素晴らしい出来栄えではないか。色といい見掛けといい市販の塩辛よりも一段と上等である。少し味見してみる。イカゴロの味が強くまだ塩辛の感じはしない。だがこれは数日間熟成させれば済むことである。それがいつになるか良く分からないけれど、時折り味見してみれば我が五感が完成の時期を教えてくれるだろう。

 容器の蓋をきっちり閉めて、とりあえず冷蔵庫に保管する。食べられるようになるまでには少なくとも3日や4日はかかるだろう。楽しみである。
 ところが、4日経っても5日経っても我が自慢の塩辛はさっぱり味がなじんでくれないのである。いつまで待ってもいわゆる作り立てのナマの味のままなのである。

 それで気づいたことがある。冷蔵庫のせいである。低温保存では塩辛が熟成することはないのである。既に数日を無駄にしているが、冷蔵庫ではなく室温で保管すべきだったのである。
 やおら冷蔵庫から出して台所近くの棚の上に置くことにする。これならいいだろう。

 作り始めてから既に一週間も経ってしまい、熱気が醒めてしまったからなのだろうか。なんとそのまま数日、塩辛の容器の存在を忘れていた。
 どのくらい経ったのだろうか。手にした容器の塩辛は見かけ上、とてもきれいな製品に仕上がっているではないか。しめしめ、この状態なら満足できるだろう。
 私は夕食を前にして、我が努力の結果を味わうべく、期待と興奮を込めてその容器の蓋を回したのである。

 そのとたんとてつもない出来事が起きた。なんとガス噴出である。塩辛と印刷された密閉ガラス瓶の中からシュッと音がして、突如として異様な臭いとともにガスが噴出したのである。
 味見をするまでもない。我が栄光の塩辛は瓶の中で完全に腐敗していたのである。ガス噴出とその異臭だけで味わってみるまでもなくその事実は証明されている。完敗である。完璧を期した我が試作品は、何一つ報われることもないままに瓶ごとゴミとして処分されることになったのである。

 そしてその後日談である。塩辛に熟成が必要なことは始めから分かっていた。この場合の熟成とは緩やかな発酵を促すことである。ところで塩辛の熟成には毎日毎日、できれば日に数回も、中味を静かにかき混ぜてやらなければならないのである。かき混ぜることで発酵が進みいわゆる塩辛になっていくのである。

 発酵と腐敗とは意味は同じだそうである。単に人に役立つか否かで判断するのだと聞いた。朝出勤して夜遅く帰る、しかもけっこう飲み会が多く、時には金帰月来で札幌往復などという不規則な生活の単身赴任者には、そもそも日に数回もの手入れが必要な塩辛を作る資格など始めからなかったのである。
 私はこの、「毎日かき混ぜる」という優しさを込めた声をかけ続けることを怠ったということのために、我がいとしき塩辛から腐敗、そしてガス噴出と言う逆襲を受けたのであった。

 私の塩辛へのチャレンジはこの一回限りとなった。その後も相変わらずイカを買ってくるけれど、刺身にするくらいが定番料理のままである。ただし皮むきだけは上手くなったぞ・・・・・・。


                        2006.3.8    佐々木利夫


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塩辛ガス爆発事件