始めから山田温泉に行こうと思っていたわけではない。正味2年間しか勤務しなかった単身赴任の帯広での、とある冬も終わり近い暇な日曜日のできごとである。

 帯広は冬でも快晴が続くいわゆる十勝晴れの日が多い。内陸部だから寒さはそれだけ厳しいけれど、少し春めいてきて部屋に閉じこもって過ごすにはもったいない気候になった。恐らく前日の土曜日にでも突然に雪の然別湖(しかりべつこ)を見たいとでも閃いたのだろう。湖畔には2件の旅館があり冬でも営業していると聞いているから売店もあるだろうし昼飯くらいはなんとかなるだろうとたかをくくり、その日の朝刊と薄い文庫本一冊をリュックに詰めJR帯広駅前から湖畔行きのバスに乗る。

 どうせ予定のない暇な日曜日である。湖畔の宿の温泉にでもつかりロビーでしばし読書するのも異邦人の楽しみの一つでもある。
 朝の目覚めが早かったのか、それともその時間しかバスが動いていなかったのか、始発から2時間弱、終点に降り立ったのは午前10時少し過ぎ、しかも私一人であった。

 然別湖は十勝地方の鹿追町の北、大雪山国立公園の南に位置する山間の緑に囲まれた天然の湖である。温泉側の対岸にある天望山は1200メートルほどのそれほど高くない山だが、二つのいただきをつなぐ稜線が滑らかな上唇の形をしており、湖水にうつるその姿と合わせて「唇山(くちびるやま)」とも呼ばれている。今はネイチャーセンターなどもできてもっと賑やかになっているらしいが、当時は僅か2件の旅館と水原秋桜子の歌碑くらいしかないひっそりとした静かなそれだけの観光地であった。

 着いてすぐとりあえず帰りのバス時刻を調べて驚いた。今着いたバスが折り返し帯広に戻るのは分かるけれど、次の便はなんと午後4時過ぎ、6時間以上もあるではないか。
 だからと言って着いたばかりで景色を見る暇もないままに、乗ってきたバスでそのまま戻るわけにはいかない。ここで過ごす6時間の覚悟を決める。

 今でこそ冬は湖水上に観光客用の氷の建物をいくつか建てて、喫茶、スナック、果ては露天風呂などの営業をしているようだが、当時は湖面も雪に埋もれ僅かに旅館とバス停を結ぶ道が除雪してあるだけで、夏ならば湖畔の散歩もゆっくりとできるのだが道なき雪原を歩き回ることなど土台無理である。

 晴れていたし気温もそれほど低くはなかったが、20〜30分歩き回っただけであとはなんにもすることがなくなった。帰りのバスまではたっぷりどころか今ついたばかりの状態である。

 湖畔の道は湖を半周してから幌鹿峠を越えて隣町上士幌町の糠平湖・糠平温泉へと続いており、知人の車に乗せてもらって何度か通ったことがある。
 だがその道も旅館の横で通行止めの鉄柵に遮られており、かと言って他に見るべき施設もないから早くも温泉につかる以外には万策尽きた状態である。

 温泉に入って本を読むことは始めからの計画に入っていたからそれはそれでいいのだが、それにしても到着後僅か30分足らずでそんな状態になるとは思ってもいなかったものだからなんとなく物足りないものがある。だが景色を眺めるのも終わったし湖は雪に覆われている。そんなに寒くはないがそれでも外は冬である。目的もなくふらふら歩き回るにはやっぱり寒いしなんと言っても所在がない。

 そんなときである。その通行止めの鉄柵の向こう側の道が除雪されていることに気づいた。毎日除雪しているからではないためか、それとも昨夜降った雪がそのまま残っているからなのか2〜3cm積もってはいるものの湖畔道路が延びているではないか。車の跡もないし人の足跡すらついていないけれどちゃんと歩ける状態の道路である。

 そう言えばこの奥に「山田温泉」と言う小さな一軒だけの温泉宿があったことを思い出した。通行止めになっているのだから当然に冬は営業していないことはすぐに分かる。だが確か、そんなに遠くはなかったような気がする。この除雪された道がどこまで続いているか分からないけれど、ダメだったらその時はその時で戻ってくればいい。途中までにしろ行けた道は戻れる道理だから歩いてみようと思い立った。

 スキーヤーは、だれも通っていない新雪に自らのシュプールをつけるのが喜びだと聞いたことがある。それと同じである。この真っ白な新雪の道に己の足跡を残すのも快挙である。鉄柵の脇をすり抜けて向こう側に足を踏み入れる。これが私の山田温泉行の第一歩であった。

 帰りのバス時刻は分かっており同じ道を戻るのだから、それまでに間に合うように少しゆとりを持たせて片道の時間を決めればいい。
 天気はいいし、車も通らない道は静かで、小鳥のさえずりくらいしか聞こえない。時折道を横断している小さな足跡はウサギだろうかそれとれもキツネだろうか。冬だからたとえ居たとしても冬眠中だろうし、そもそも「この近くに熊の噂はなかったよな」などと自分に言い聞かせ、まぶしく晴れた一人だけの道を歩く。

 道はどこまでも同じように続いており、白銀に紛れて路外へ踏み間違えるような恐れもない。一人の足跡を後ろに残してこの歩きは快適である。
 後で気づいたのだが、湖畔から山田温泉までは約6キロの行程である。車でこそあっという間の距離だと思ったが、目的地は決めたものの確たる場所が分かっているわけではなく、ただあてどなく湖畔の曲がりくねった道を歩いているのだからけつこう遠いものがある。

 どのくらい歩いたろうか。戻りの時間を気にするほどではなかったが、湖が終わったかなと思えるところに目指す山田温泉の建物が見えてきた。道から数十メートル奥にあるのだか、なんと旅館の入り口まで除雪してあるではないか。
 もちろん閉鎖中である。建物の周りを少し歩いてみる。・・・・と、旅館の裏側から湯気がたっているではないか。温泉である。温泉なのだから客が居ようが居まいが年中湧いているのは当たり前と言えば当たり前である。露天風呂ではなく建物の中の浴槽からの湯気であったが、裏口なのだろうかドアは鍵もかかっていなくて開けたすぐが湯船である。

 恐る恐る指を差し入れた浴槽はちょうど良い湯加減である。まるで「お待ちしていました。さあ、お入りなさい」と誘っているようなものである。無人の旅館の無人の温泉である。この一里四方に私以外一人として居ないここは別世界である。
 帰りのバスまでにはまだ十分に時間はある。無人とは言え無断で建物の中に入るのだから、どこか犯罪めいた気のしないでもないが、開いているドアの片隅にある無駄に湯を流している浴室である。浴槽の片隅に荷物を置き、その上に着ているものを脱いでひとときの温泉三昧にひたる。

 湯につかってみて少しぬるいことに気づいた。指で確認したときは雪道を歩いてきて体が冷えていたからなのだろうか、それなりいい湯加減だったのだが、こうしてすっぽり体を浸してみるとけっこうぬるめである。入っている分にはそれほど感じないが湯から体を出すとさすがに少し寒い。

 それに湯に入ってしまってから気づいたのだが、実はタオルを持ってきていない。然別の温泉に入ろうと思って来たのだから、それくらい用意してきても良かったはずなのだが、タオルくらい貸してくれるだろうと思ったのが間違いだった。

 頭や体を洗おうとは思わないが、体を拭くのにハンカチ一枚ではどうにもならない。だからと言って濡れたままで肌着を着るわけにもいかないし、このぬるい湯と室温では体が乾くまで肌をさらしたまま涼むことにも無理がある。
 さて、どうする。悩んだあげく、持ってきた荷物の中にある今朝の新聞を使うことにした。新聞紙は水の吸い取りはいいはずだし、それに朝刊は枚数も多いから体を拭く程度には十分間に合うではないか。

 いいアイデアではあった。新聞紙を少し揉んでくしゃくしゃにしたのを何枚が用意してからおもむろに体を湯船から引き上げる。だが思わぬ事態が発生した。確かに新聞紙は体の水気を良く吸い取ってくれるのだが、印刷のインクが体についてしまうのである。体に新聞紙を押し付けて水気を吸い取るくらいまではなんともないのだが、拭き取るようにして使うと印刷インクが体中についてしまうのである。

 風呂に入って体をきれいにするどころではない。わざわざ真っ黒に汚しているのである。インクはついたばかりだからもう一度湯船に入れば落とすことはできる。だがそれでは解決にならない。なんとしてもせめて下着を着ることができるまでには体から水気を拭き取らなければならない。湯から上がるとけっこう寒い。どうする、短い時間での決断が迫られる。とっさの場合である。新聞紙タオル代用作戦はそのまま継続することにする。体が黒くなろうが下着が汚れようが構うものか。

 かくして我が冬の山田温泉行はなんだかとてつもない結果になりながらもけっこう満足することができ、無事同じ道を然別湖畔まで歩いてバスに乗ることができたのであった。

 こんなこともあったよなと、ふと思い出す遠い記憶であるが、それにしてもけつこうあちこち転勤して歩いているのに、なぜか帯広が一番の思い出、しかも仕事したことよりも詰まらない出来事のほうが印象深い思い出につながつている。
 然別湖にはこの後7月の第一土曜日に開催される「白蛇姫祭り」でも泊まったし、もっと後になって車を手に入れてからも二度ほど訪ねたことがある。静かで深い緑に囲まれた山の中の温泉の遠い遠い、どちらかと言えば何ともくだらない、そしてなぜか忘れられない思い出である。



                        2006.1.14    佐々木利夫


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然別湖・山田温泉行