井上ひさしの「夢の痂(ゆめのかさぶた)」を読んだ。実は小説だと思って図書館から借りてきたのだが、内容は東京裁判をめぐる三部作の第三部と称する演劇の脚本だった。こうした脚本というかシナリオに接する機会は滅多にないのでそうした興味も含めて面白く読み終えた。

 この本のあとがきによれば、この脚本は2001年から2006年にかけて新国立劇場で三回に分けて上演されたようである。読みながらこれが演じられたであろう舞台のあれこれを想像し、それと一緒にかつて東京で研修を受けていたときに熱心に見て回った歌舞伎座や日生劇場、新橋演舞場などの舞台を思い出した。そしてスポットライトに照らされた花道を行くスターの姿などに思いが及んだ。

 花道とは歌舞伎や芝居などで舞台へ役者が登場するための通路である。通常、舞台の両袖は上手、下手と呼ばれ出演者はそこから登場する。もちろんせり上がりと言って奈落から舞台の中央へとエレベーター様の仕掛けで登場する方法もないではないし、最近ではワイヤーロープなどを使った様々な演出もあることから役者の登場も一様ではない。

 そうした中で花道は昔からある独特の登場方法である。だが舞台から客席の中を縦断する廊下のような通路は、単なる舞台へ登場する役者のための通路ではない。そこもまた一つの舞台になっていることが、花道を独特の場として位置づけている。そして能舞台の橋懸も花道と同じような構造と役割をもっている。

 単なる通路的な構造をどうして人は「一つの場」として創りあげたのかがなんだかとても気になったのである。花道の発祥は舞台の役者に花を贈るために設けられた観客用の通路だと広辞苑は説明している。
 だから花道は最も観客に近い位置にある。そこを演者が通るのは出し物を巡る数々のストーリーの中でのほんの一部分に過ぎないから、常に舞台と接している最前列の観客と比べるなら束の間の接触である。

 だが花道は客席の一番奥から舞台までまっすぐに続いている。観客はこの狭い廊下の両サイドから、時に通り過ぎ、時に途中に止まって見栄をはる役者の姿などを手で触れられるような位置で観ることができるのである。

 そんなに通ではないので確たる言い方はできないのだが、花道での演出は多くの場合主人公一人であるか、せいぜいが道行き(相愛の男女の駆け落ちまたは心中への逃避行などの場面が多い)としての二人だけの空間である。
 もちろん単なる通路であるから舞台装置も小道具も背景を飾る書き割りもない。そこは誰から助けられることのない役者の孤独な闘いの場であり、だからこそ「男の花道」であるとか「花道を飾る」などの言葉が生まれたように、主人公として栄光に輝く場面をも象徴したものであろう。

 そう考えると花道とは、役者が己自身に沈潜することのできる特別な異空間になっているのかも知れない。海外での舞台を見た経験がないので間違っているかも知れないが、この花道というシステムは日本人だけが見つけ出した独自の舞台装置のような気がしている。

 歌舞伎を中心とした花道のイメージは、歌舞伎そのものが能楽から変化したものであることを思うとき、恐らく橋懸から進化したものであろう。能を見る機会など滅多にないし、少し興味があって入手した「卒塔婆小町」のビデオテープもどちらかと言えば挫折してしまった(別稿 「卒塔婆小町」、「卒塔婆小町後日談」参照)。

 だから能は私にとって理解できないままの芸能なのだが、それでもそのカケラでも理解できないものかといろいろ調べてみたのだが、橋懸の意味すらも理解することはできなかった。動きが極端に少なく表情のないかのように見える能の舞台の中で、作者や演者はこの橋懸という空間で一体観る人に何を伝えようとしたのだろうか。

 花道にはスポットライトを浴びる勝利の指定席の意味があるかも知れないけれど、観客という川に隔てられた二つの途絶された空間の結び目としての意味もあるような気がする。川は豊かな恵みを与えてはくれるけれど、同時に見果てぬ対岸への交流の拒絶であり見果てぬ夢を掻きたてる障害でもある。それをつなぐ橋のイメージは人生における未知への転換点なのかも知れない。

 花道はそうした深く己を見つめる静かな水底の漂いを表しているのかもしれない。せめてその水底のたたずまいを片鱗でも垣間見たいものだと探しあぐねている老爺は、その橋の上をウロウロ彷徨うばかりである。
 そんな思いの途切れぬまま残された僅かな時間、私はあてどなく私の花道を探し続けていくのだろうか。



                          2007.6.28    佐々木利夫


            トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



花道、橋懸(はしがかり)