就職しても、「この職場に私の居場所はない」と辞めていく若者が多いと聞く。新しい職場探しで居場所が見つかるかと思えば決してそうではなく、転職を繰り返した挙句にフリーターだのニートだのへと流れていくケースが多いとも聞く。
 若者の全部がそうだとは思わないし、若者だけではなく即戦力ばかりを求めている採用する側にも問題があるとは思う。だが「自分の居場所がない」と思い込む方にもたっぷりと原因があるのではないだろうか。

 このエッセイのタイトルを「・・・再び」としたのはこれまでに二度も同じタイトルのエッセイを書いているからである(別稿、「天職と自分探し」、「再び『自分探し』について」参照)。その時と現在とで私の考えに違いが出ているわけではないから、恐らくあんまり違いのない考えの羅列になってしまうだろうけれど、あれから4年も経って若者の世代が代ってきているのにもかかわらず居場所探しの意識が逆にエスカレートしていっているような気がするからである。

 つい最近、東野圭吾の「たぶん最後の御挨拶」と題するエッセイ集を読んだ。筆者はある自動車会社のエンジニアから転進した作家である。その彼がこんな風に書いている。

 「・・・就職して一、二年は無我夢中だった。当然のことながらエンジニアとしても半人前だから、早く一人前にならねばと焦っていた。だがそんなふうに過ごしながらも、一つの疑いが脳裏から離れなかった。
 俺の居場所は本当にここなのか、というものだった。・・・」
(P261)

 だがそうした迷いは「何となく」ではなかった。作品としての完成度はともかく、高校一年生の冬から半年かけて300枚の小説を書き上げ(P260)、転職には「五年間、という期限を設けた。それだけやってみてだめなら、自分には才能がないとすっぱりと割り切り、今度こそ優秀なエンジニアを目指そうと考えていた」(P262)すえの決断だったのである。

 彼が当時の本業であったサラリーマン稼業にどこまで真剣に向き合っていたかは知らない。小説を書き上げるため、時に残業を断ったり仲間との飲み会を避けるようなことがなかったとは言えないだろう。ただそれは単に仕事と作家生活との両天秤をかけていたのとは少し違い、どちらにも真剣に向き合っていたことはこのエッセイの随所から感じることができる。

 選んだ職業が天職かどうかを決めるのは結局自分だろう。だとすれば「天職でない」と判断するのも自分である。「だから天職が見つかるまで探し続けるのだ」とする意見の分からないではない。だが、私にはどうしても天職とは「見つかる」のではなく「見つける」ことであり、場合によっては「作りあげる」ものなのではないかと思えて仕方がないのである。

 人はどんな時も数多の選択の中から一つを選ばざるを得ない。それは昼飯に何を食うかを決めることと意味として違いはない。どんなに選択を繰り返したところで今選ぶのはただ一つであり、その選択を何度か繰り返したところで選択しなかった多くに比べて選んだもののなんと小さく少ないことか。

 一見すれば天職かどうかの判断は自分以外の他者による評価によって決定されるような気がしないでもない。だが、他人がどんなに天職だと言ったところでその仕事が嫌いで嫌いでたまらなかったとするならば、それはやっぱり天職ではないだろう。

 そして天職とはすぐ隣にある。天職とはアインシュタインになることを夢見るような、そんな壮大で全世界に承認されるような巨大なものではない。つつましやかに隣にあると実感でき、自分に中に穏やかに納得できるものではないだろうか。
 それは自分で創り上げていくものだからである。自己満足と呼ぼうが、妥協と呼ばれようが、自分が選択した一つに挑戦し続けることが天職への道である。

 天職はもしかしたらたった一つのものとして己の人生の中核に始めから存在しているものなのかも知れない。だがその天職が何かは神しか知らず、その神とてもその天職が何かを本人に暗示すらしてくれることはない。

 だから「自分が選んだ事実そのもの」が天職の入り口なのである。その事実を根っこに置いてその選択をゆつくり天職に仕上げていくのである。選択を天職にまで育て上げていく過程を自分探しと呼ぶのである。
 「自分探し」などと耳障りのいい言葉だけを残して、そうした育てる努力を人はいつの間にかどこかへ置き忘れてしまっているようだ。

 その原因はもしかしたら若者も含めて現代人は、多様な意味での「面倒くさい」が人生の中に染み付いてしまっているからなのかも知れない。結婚するのも、就職するのも、いやいやそれ以上に会話するとか、飯をくうとか、異性への関心などと言った人として当たり前のことすらも面倒くさがっているのかも知れない。
 そのことは「与えてくれること」に余りにも安住し、積極的に探すことをしない方向へと人がどんどんと進んでいっていることの結果なのかも知れない。

 えっ、お前が選びそして定年まで続けてきた職業は天職だったかとお尋ねですか。さあ、それはどうだったでしょうね。ただ自分なりに楽しく存分に過ごせてきたと言うことだけは言えるようです。もちろんそれなりの努力もした反面、けっこう落ち込んだり迷ったりしたことも多かったですがね。
 それに何というか、今更神様からお前の天職は絵を描くことだっんだとか、音楽家への道こそがふさわしかったんだ、ベッカムを凌ぐサッカー選手にもなれたんだなどと言われたところで、「人生意気に感じるのに年齢は無関係」の理屈は少し大き過ぎる。

 もっとも今のところ神様はそうした天職の存在について何一つ囁いてはくれていないし、こうして税務署生活を終えてひとりの事務所で細々ながら税理士稼業を続けていることにも、小さいながら満足を感じることができている。
 そうして、努力する経過こそが天職への道なのではないかと密かに思っているのである。努力は少しずつの自信につながっていくし、そうした自信の積み重ねから新しい自分が見えるようになってくると、私は自分のこれまでの人生から真剣に思っているのである。

 「努力は決して努力した人を裏切らない」と私は自らの経験の中から頑なに信じている。もしかしたら、多くの人たちは居心地のいい場所と自分の居場所とを錯覚しているのではないだろうか。居心地のいい場所と自分の居場所とはまるで別のものなのではないのかと、この歳になったからなのかふと思うことがある。

 だから私のこれまでは、私の判断による限り天職だったのである。



                          2007.10.24    佐々木利夫


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自分探し再び