歩き始めたきっかけは体重の増加にある。退職前、マイカーを持っていて歩くことの少ない日常、それに役目柄もあって宴会の多い生活が続き、更に本来の酒好きも加わって、身長は変わらないにもかかわらず体重だけが目に見えるように増え出してきていた。しかも退職してからもいわゆる「飲み会」はさっぱり減らないし、飲み会のない日は自宅での晩酌が続いていたから風船が膨れるように腹も顔も丸みを一層増してきた。

 これではならじと退職後数年を経てダイエットに励むことにした。最初は気まぐれに「地下鉄一駅歩く」程度の思いつきにしか過ぎなかったのだが、そのうちに毎日歩くことが苦にならないどころか一種の励みにもなってきた。何かのきっかけで万歩計をベルトに挟み、手帳にその数値を記録していこうと思いついた。それが平成13年のことである。そしてその記録をパソコンの覚えたてのエクセルに保存しようと考えついた。

 こんなところでエクセルの自慢話をしても始まらないのであるが、毎日の数値の入力はちょっと手を加えることによって月合計、年累計、一日当たりの平均、二年目以降は前年比などがいとも簡単に出せるようになり、しかももう少し勉強すると、入力データがたちまち折れ線グラフに変身するなどけっこう面白くなってきた。そしてその入力に体重データも追記することとした。こうなるととたんに歩くことと体重の相関が目に見えるようになってくる。つまり歩くことに張り合いが出てきたということである。

 上の表は毎日の歩数の年毎の累計表である。歩き始めたのはもう少し前からだったと思うのだが、記録として残っているのは平成13年の正月からになっている。歩き始めてからは途中で挫折することもなく、孫が来て事務所をさぼったり、暴風雨、暴風雪などで地下鉄を利用するなどの日はともかくとして今日まで飽きることなく歩き続けられていることは自身にとっても驚きである。「飽きる」というよりは歩くことそのものがすっかり習慣になってしまい、むしろ励みを超えて楽しみにすらなっている。

 表を見ると分かるが、歩き始めて3年、4年は年600万歩を超えている。調子に乗って小樽や野幌の森林公園まで歩くなど、歩くことそのものが目的になるような気配さえ感じるときすらあった。それでもここ数年は年500万弱、一日平均1万2千歩くらいに落ち着いている。事務所通い以外に年間歩数に影響を与えるような無理した歩きをしなくなったことが原因でもあろうか。

 必ずしも歩くことだけの成果ではないと思うけれど、体重はかつての87キロから約65キロ弱までなんと20数キロの減少を達成することができた。おまけに血糖や中性脂肪なども含めて、通常行っている血液検査結果には一つも異常値がないなど、健康管理にも効果的なようである。

 閑話休題。ところで表題の「四千万歩の男」は、井上ひさしの同名の著作から拝借したものである。この題名に触れたのは数年も前のことであるが、本体の著作は全5巻の大作でもあって実はまだ読んでいない。私が読んだのはこの著作にまつわる対談や講演などの記録を集めた「四千万歩の男 忠敬の生き方」と題するほうである。
 この「四千万歩の男」とは、日本中を徒歩で測量しながら日本地図を作り上げた江戸時代の武士伊能忠敬(いのうただたか)の生涯を描いた著書のタイトルであり、私の中で「四千万歩」のイメージが作られていった源泉でもあった。

 四千万歩なんて途方もない数は私とは無縁のものであり、最初は単なる知識としての伊能忠敬像でしかなかった。ところが、毎年400万歩を歩けば10年で四千万歩になるとふと気づき、そう言えば毎日の歩数が一万歩なら年に365万歩になることだし、私の実績は毎日一万を数千歩超えているのだから年間400〜500万くらいにはなるだろう。だとすれば四千万と言うのもそんなに途方もない数字とは言えないのではないかと思いついた。
 それでこれまでエクセルで集約していた歩数を全部合計してみようかと思いつき、その結果が上の表だったのである。なんと平成13年に一日の歩数を手帳に記録し始めてから今日までの7年と8ヶ月で、私の歩数は3900万を超えていたのである。最近の歩数は大体一ヶ月に40万弱なので、このまま歩き続けていけるならあと2〜3ヶ月で四千万歩に届くことになる。

 伊能忠敬が四千万歩を歩いたとされる根拠は、彼が56歳から72歳までの17年間に測量のために歩いたとされる距離8,889里30町43間を彼が測量の根拠とした自らの歩幅「二歩で一間」で換算したものである。この距離はキロに直すと34,913kmになる。
 伊能忠敬が計測の基礎とした「二歩で一間」は、一間が1.82メートルだからその一歩は91センチに当たることになる。最近の日本人の歩幅は約1メートルくらいと言われているが、江戸時代の日本人は今より小さかったから90センチくらいでいいのかも知れない。とは言っても私の身長もどちらかと言えば小柄な方だし、それに通勤で歩くときはまともな歩き方になっているだろうけれど、冬道は滑りやすいので歩幅は多少小さくなるし、室内の移動や買い物先での店内移動などはどうしても歩幅が小さくなるだろう。だとすれば伊能忠敬の一歩91センチだって私の歩数に乗じるには少し大きいかも知れない。

 そうは言っても四千万歩の男に触発されてこのエッセイになったのだから、伊能忠敬の歩幅をそのまま使うことにしよう。まだ四千万には数十万歩足りないけれど、達成可能が目の前まできているのだから思い切って使うことにする。そうすれば、私も間もなく四千万歩だから、その延べ距離は91センチを乗じた36,400kmに届くことになろうというものである。

 さてここからが快挙である。光の速度は秒速30万kmである。いきなり光速度などと唐突に思えるかも知れないけれど、アインシュタイン好きの私にとって光速度はそんなに違和感のある数字ではない(別稿「時の旅人」、「アインシュタインになれなかった少年」参照)。それはともかくとして光の速度は一秒間に地球を七回り半するということも私の中では常識である。とするなら地球の周囲は30万を7.5で割った4万kmということになる。
 確認のためネットで検索して地球の半径を調べてみた。極半径で6,357km、赤道半径で6,378kmと少し異なるけれど、半径をrとする円周の公式2πrを当てはめて計算すると、地球の周囲は北極・南極回りで39,722km、赤道回りで40,054kmとなるから4万kmに間違いはない。

 だとするなら私は間もなく歩いて地球一周を果たせるかも知れないのである。4万kを91センチで割ると約4千4百万歩になる。そうなるためにはまだ4百数十万歩ばかり足りないけれど、それでも少なくともあと一年このままの歩きを続けるなら到達は不可能ではない。

 体重を少し減らそうかと気軽に歩き始めた男だったが、やがて四千万歩に近づいて伊能忠敬を知り、更に新たに歩いて地球一周と言う我が身ながらとてつもない目標に近づいてきている現実にわくわくし始めているのである。今歩いていることに、新しくそしてすごい目標ができたのである。

  ところでこれを書き終えてしまって気になったのだが、伊能忠敬の一歩が91センチというのはどうも大きすぎるのではないだろうかと思い始めた。「二歩で一間」は記録から見て正しい数値だろう。伊能忠敬の身長に関するきちんとしたデータは見つからなかったが、160センチとの情報をネットで見つけた。だとすれば私のほうが数センチ高いことになる。だが私が自分で確かめてみたところによれば、一歩91センチと言う歩幅は不可能ではないにしてもかなり無理な歩きになる。無理というよりは、そうした歩き方は異様な風体になるということである。つまり普通に歩くスタイルにはどうしても見えないと思うのである。
 恐らく彼は「正確な一歩」に力点を置くため、誤差の少ない自分の歩幅ぎりぎりまでを使った独自の歩き方を開発したのではないだろうか。恐らく彼が測量のために使った歩き方は、通常の人の歩き方とはまるで違った異様なスタイルになっていて、道行く人々を驚かせたのではないだろうか。

 表に掲げた歩数は私の普通の歩き方によるものである。だとするならこれに91センチを乗じるのは無理があるかも知れない。室内での簡単な検証にしか過ぎないのだが、私の普通の歩幅は概ね65センチから70センチくらいである。だとすれば四千万歩に91センチを乗じて得られた36,400kmは、伊能忠敬の実績としては現実的な距離かも知れないけれど、私にとっては必ずしもそうでないことになり、したがって地球一周の夢もまたはるか彼方へと遠のいていくことになってしまうのかも知れない。
 そはさりながら、少なくとも私自身が間もなく「四千万歩の男」になるであろうことは現実である。だとするなら四千万歩の夢を地球一周の夢につなげることも、白昼夢の中に霧散させてしまうほどのことでもないかと少し自分を慰め、決して地球の周囲4万キロを65センチで割り算しようなどとは考えないことにしたのである。


                                     2008.8.29    佐々木利夫

 2008.10.26の歩数が13,179で今年の累計が3,965,225歩になった。これを上の表に加味したところ、13年からの累計が40,008,565歩になって、ついに四千万歩を超えた。四千万を超えたからと言って最近の世界同時金融恐慌が改善されるわけでも、事務所の近くで花火が上がるわけでもないけれど、それでもどこか記念すべき日にしたいような気になる。今日はちょっと用事があるので、せめて明日でも一人で密かに事務所で祝いの杯を傾けるのも一興かと、そんな心積もりでいる。

                                     2008.10.27    佐々木利夫


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4000万歩の男
  
 平 成   歩  数
 13年   3,930,406
 14   5,390,916
 15   6,448,672
 16   6,034,265 
 17   4,818,961
 18   4,793,729 
 19   4,626,391 
 20.8.28   3,136,825 
 累 計  39,180,165

 毎日、毎日自宅から事務所まで片道約50分を往復とも歩いて通っていることはこれまでにも何度かここへ書いてきた。
 事務所を開設したのは平成10年7月のことだが、サラリーマン時代の通勤手当が支給されるという長い間の習慣もあって、最初のうちはもっぱら電車、バス、地下鉄、それにマイカーなどを利用していた。

 健康のためには歩くことがいいくらい知識としては知っていたけれど、バス停一つを歩く程度ならとも角、片道50分もの距離(恐らく4キロ弱)を徒歩で通勤するという発想とはかなりの隔たりがある。