まだ8月である。北海道はお盆(月遅れの8月16日)を過ぎると波が高くなってくることや肌寒くなってくることなども加わって、海水浴とはほぼ縁がなくなってくるので8月であっても夏の終わりの感じられる季節になってくる。二十四節季は既に8月7日に立秋を迎えているから、手紙や葉書の慣用句による限り今は「残暑」の季節である。
 とは言ってもまさに残暑であり、夏の暑さがまだまだたっぷりと居残っているはずの季節でもある。

 ところが僅か数日の記憶を残して今年の夏は本当に瞬く間に過ぎて行ったような気がする。朝夕事務所まで歩いており、毎年の経験では上着を事務所に置いたままワイシャツを腕まくりし、額の汗をハンカチで拭いながら歩くのはそれほど珍しくなかったと思う。今年もそんな経験がなかったわけではないけれど、ニ〜三回程度のほんの僅かな記憶しか残っていない。

 なのに8月にして既に外は秋の気配である。帰り道の午後6時過ぎが次第に黄昏の色を深めつつあることは既に以前から経験しているけれど、それは夏至を過ぎたことの証左であり、むしろ体に感ずる夏は夏至を過ぎてから来るのだから日没が少しずつ早まっていくことにそんなに違和感はない。

 ナナカマド

 秋の気配は歩きながら気づくことが多い。イヤホーンを耳にしながらの通勤だから、そんなにきょろきょろしているわけではない。だが見上げる空にナナカマドはいつの間にか赤い実をつけていて、青空そして少し色づいてきた葉の緑とのコントラストが際立っている。ナナカマドは札幌の街路樹としていたるところに見られるが、種類が違うのかそれとも生えている環境が微妙に影響を与えているのか、時に橙色の実や真っ赤な実、まだ赤さの足りない樹などが散在しているけれど、どれもこれも次第に赤さを増してきている。赤い実に白い雪の積もる風景はまだまだ先のことだろうけれど、一足先に街路樹が秋を知らせてくれる。
 そう言えばセイダカアワダチソウの黄色もいたるところに見ることができるようになってきた。

 コスモス

 コスモスを「秋桜」と書くと知ったのはもしかしたら「さだまさし」の歌からかも知れないが、風に長い首を揺らせているコスモスの花は少し寂しげでまさに秋の風景である。日本中いたるところで水仙や向日葵など花の広場が年を通して賑わっており、北海道でも同じである。私が訪れただけでも、白滝や東藻琴の「柴桜」、雨竜の「ひまわり」、鵡川の「たんぽぽ」、上湧別の「チューリップ」、上富良野の「ラベンダー」、美瑛の「ポピー」など多様であり、コスモスも遠軽町の太陽の丘えんがる公園や滝川の空知川河川敷などで賑わっていた。

 ただそうした広場に乱れているコスモスは、背が高い割には花がこじんまりしていて、葉の緑にややもすれば華やかさが埋もれがちである。だが通勤途上で見るこの花は、道端でも民家の庭でもせいぜいが数本、十数本程度であり、群生というほどヴォリュームには達していない。そのせいか一つ一つの花を身近に感じることができる。だから風に揺られている姿も直接私に話しかけてくる。そしてその回りの地面には数片の花びらも落ち始めている。数日前にも、歩いている私の目の前で花びらの一片が風に舞った。「あぁ、コスモスってのは花びらも散るんだ・・・」と私は思い、花なんだから散るのは当たり前のことなのにそのことに今まで少しも気づかなかったことを不思議な思いで反芻させられた。そうした思いもまた秋の気配の一つであろうか。

 ススキ

 私の歩くことの多いJR沿いの道は、線路に沿って1キロ近くもススキが群生している。群生といっても「ススキヶ原」と呼べるほどの広さではなく、鉄路に沿ってせいぜいが巾1〜2メートルで帯状に続いてるだけである。冬になるとすっかり雪に埋もれ枯れてしまうから、春先には線路がそのまま見通せるほど丸裸になる。美しい花が咲くわけでもなく、少しずつ成長している姿に普段は気づくことなどまるでない。夏、私の背を超すような草丈になってもその姿は時折すれ違い追い越してゆく列車の姿を僅かに隠す程度だから、その存在に気づくことなどほとんどないと言っていい。
 それがこの頃なると突然穂先が白くなりだして「俺を忘れるな」とばかりに自己顕示をするようになってくる。成熟の季節には早いので、いわゆる風に穂先の揺れるような一人前のススキとは呼べないまだ硬さの残る姿ではあるけれど、それでもこれまで気づいてくれなかった人たちに抗議でもするように、日ごとに穂先の白さを増してきている。「あぁ、中秋の名月が近づいてきているんだな・・・、ところで十五夜はいつなんだろう・・・」、と私に思い出させるこれもまた秋の予兆であろうか。

 

 空がいつの間にか高くなってきている。春先と違って空気中の湿度が低くその分空の透明度が高くなっているからなのだろうか。事務所から帰る午後6時から7時頃にかけてがちょうど夕暮れになる。朝は東に向かい太陽を正面に受けて事務所へと歩くが、帰り道はこの反対だから同じように西日に顔向けて歩くことになる。とは言っても夏を過ぎたこの季節になってくると山の端に落ちる姿を見ながらが多くなってくる。黄昏と言うのは「誰そ彼」から来ていると聞いたことがあるから、すれ違う人もシルエットになって見定めが難しい今のような状態を言うのかも知れない。
 夕焼けがきれいである。単に西の空が紅くなるだけではない。真上の雲も、時には東の雲さえもが紅く色づいている。刷毛で掃いたような雲、ウロコ雲と呼ぶのかイワシ雲と呼ぶのかそれとも筋雲、ひつじ雲と言うのか、これらの名称が同じ雲の状態を指しているのかどうかさえもよく分からないけれど、無数の小さな雲の塊りが半分を紅く半分を灰色に染めて空高く浮かんでいる。その下を室内灯を灯した無人の「上野行き」寝台列車が、始発の札幌駅へと向かうのだろうすれ違いざまに走り抜けていく。

 サンマ

 サンマが安くなった。スーパーでも一尾数十円程度である。前回ここへ書いたように私が料理するのは日常的には昼飯だけだし(別稿「男の料理」参照)、それにここは事務所だから煙を出して焼くサンマが食事として並ぶ機会はほとんどない。私の本来のサンマの食べ方は頭ごと丸ごとだが(別稿「サンマのまるかじり」参照)、それでもフライパンにクッキングペーパーを敷き、そこへ頭とはらわたを外した切り身を並べるくらいのことや、砂糖醤油でゆっくり煮込むことくらいは不器用な私でも出来ないわけではなく、仲間との飲み会の肴などに利用している。
 佐藤春夫の「秋刀魚の歌」は妻に逃げられた作者と友人谷崎潤一郎の妻との背徳の歌ではあるけれど、この事務所にはそんな気配はまるでなく、台所に横たわるサンマの姿はただただ秋を知らせる銀色の刀である。

 ここ数日、途中で少し汗ばむ気配がないではないけれどワイシャツの袖を下ろしたり、上着を羽織っての通勤になっている。東京ではビアガーデンがまだ盛んだとテレビが報じていた。そう言えば今年はビル屋上のビアガーデンみたいな場所へは行く機会のないままに終わってしまったようである。もっとも大通り公園で毎年7月中旬から約一ヶ月ほど開かれるビール祭りだって、時に熱燗が飲みたいなどのジョークが飛びだすくらい寒い日もあるのだから、この時期札幌では既にビアガーデンは開いていないだろう。
 あと20日ほどで秋分の日である。つるべ落としの夕暮れはこれからの帰り道をますます暗くしていくだろうけれど、秋は暦からも膚からも否応なしに近づいてくる。



                                     2009.8.30    佐々木利夫


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気がつくと秋の気配