事務所を出て自宅へと向かうのは大体午後6時少し前で、暇に任せて土曜も、場合によっては日曜も通うことが多い。毎回歩いているので片道約4キロで約50分程度を要するので耳からの情報は必須である。時にデジタル音楽プレーヤーを首からぶら下げることもあるけれど、片耳ラジオが同伴することの方がずっと多い。私の持っているポケットラジオはテレビ放送の1〜12チャンネルまで受信できることもあり、通勤時に耳にする番組は、朝はNHKのFM放送の「クラシックカフエ」の再放送、帰りは午後6時からのNHKテレビの全国ニュースとそれに続く「まるごとニュース北海道」が概ね定番になっている。

 だが土曜日の帰り道は全国ニュースに続いて北海道のニュース番組の代りに「週間こどもニュース」が入るので、音声だけではあるけれどこの番組を聴くことが多い。内容は小中学生向けになっているが、現在の日本の状況や世界の動きを分かりやすく解説してくれているので、情報に疎い私にも参考になることが多く比較的熱心に耳を傾けている。

 さて5月30日の放送は北朝鮮の地下核実験を取り上げていた。北朝鮮と日本とは拉致問題を含め様々な確執を抱えている。しかも日本海を隔てた隣国である日本にとって、ミサイル問題はまさに目の前の危機でもある。

 その北朝鮮が人工衛星と称して日本を越えて太平洋へとミサイルを発射したのは今年の4月5日のことだったが、その脅威も止まぬ5月25日に今度は'06.10.9に次ぐ2回目の地下核実験が行われた。週刊こどもニュースが取り上げたのは、この2回目の核実験についてであった。

 家族で今の日本を考えるみたいな作りの番組なので、お父さん役が子供たちに向かって、概要こんな解説をしていた。

 「北朝鮮が行ったのは、サッカーボールほどのプルトニュウムを一気に圧縮して爆発させる実験である。以前長崎に投下された原爆と同じ種類の同じような規模のものらしく、長崎ではこの原爆で7万人が亡くなった。現在核爆弾はアメリカが4000発、ロシアが5000発を持っていると言われており、この二つの国だけで世界の90%を占めている。最近オバマ米大統領は@核兵器を減らすことを今年中に約束すること、A今回北朝鮮が行ったような核実験はすべてなくするよう努力することをロシアに提言したが、これはアメリカとしては画期的なできごとである」

 私はこうした話を聞きながら、どこかとんでもなく大切なことが抜けているような気がしてならなかったのである。核実験を行った北朝鮮を非難することに何の異論があるわけではない。核軍縮を具体的に進めようと提案したアメリカの政策にだって何の異議も唱えるつもりはない。それにもかかわらず、このこどもニュースの解説には大切なことが抜けているのではないかとの思いがしてならなかったのである。

 それは日本が唯一の被爆国であること、そしてその唯一の加害者がアメリカであること、そしてそのアメリカが世界中の核兵器の半分近くを現に保有していることの矛盾になんら触れることがなかったことについてである。
 繰り返し言うが、私は北朝鮮が進もうとしている核保有への道を決して擁護しようなどと思っているわけではない。世界の核保有については以前にもここへ書いたことがある(別稿、「原爆、しょうがない」、「核兵器廃絶の自己矛盾」参照)。私がこれから書こうとしていることは、この別稿の内容を何ら超えるものではない。寧ろ同じことの繰り返しであると言ってもいい。

 にもかかわらずこうして取り上げたのは、このNHKの番組が子供向けであったこと、そうした子供に対してこそきちんと核兵器について知らせるのが大人の仕事ではないかと感じたこと、そうして更に私がこれから書こうとするような疑問を子供たちが抱くことがなかったのだろうか、もしかしたら疑問を持ったにもかかわらずどこかでそうした意見が抹消されてしまったのではないかとの思いが重なったからでもあった。

 核兵器は力である。そのことは単に第二次世界大戦終結の契機になったことだけを意味しているのではない。被爆国が日本だけに限られていること、つまりそれ以後兵器として使用された事実がないこと自体にだって、核の持つ力の巨大さを感じることができるし、各国がこぞつて核兵器の開発に力を注いでいることからもその力を理解できる。そして何よりも、米ロの二大大国が現に世界の核兵器の大部分を保有していることこそが、核保有が力の背景にあることを示していると言えよう。

 核開発を防止しようとする動きをどうのこうの言いたいのではない。だが日本としては、核兵器をゼロにすることについてこそ、唯一の被爆国としてもっとも力強く主張すべきことがらではなかったのだろうか。核兵器の悲惨さについては、戦後60数年を経て風化の問題も心配されているけれど、唯一の被爆国こそが唯一の加害国に対してもっとも強力に要求すべき立場にあるのではないのか。そしてそうした要求をこれからの時代を担う子供たちにこそしっかりと伝えていく努力が求められているのではないのだろうか。

 たとえ被爆国としての経験が戦争と言う怪物がもたらした必然であったとしても、その事実を「止むを得ないこと」だとか「仕方がなかったんだ」、更には「もう昔のことだから」などと是認してしまってはいけない。もし仮に核廃絶が現代でも人類の悲願として位置づけられるものであるならば、日本は唯一の原爆投下国たるアメリカを、報復ではなく核廃絶の一点からだけでも批判し非難し続けるべきではないのか。そしてそれこそが唯一の被爆国たる日本の、核保有と言う暴挙に対するゆるぎない姿勢として求められているのではないのだろうか。

 自らが核を持ちその力を十分に理解している核保有国が、その力を保持したままでその真似をしようとする他の弱小国に向かって「開発するな、持つな、考えることすらするな」と説得しようとすること自体、どこかちゃんちゃらおかしいような気がしてならないのである。
 「俺はいいけど、お前はダメだ」の理屈はどんな時に正当な意見として成立するのだろうか。私の言い分は別稿とし掲げた引用文の中に書いてあるからそこへリンクして参考にしてもらいたいが、「俺も持たないから、お前も持つな」がもしきちんと成立しないのだとしたら、核保有を認めたままで決定した国連の意見や決議などのどこに説得力などあると言えるのだろうか。

 オバマ大統領の意見だって、一見妥当に見えなくはないけれど、彼の見解の中には「核の不使用」に関するメッセージは少しも含まれていないことは注目に値する。それが間接的にもせよ北朝鮮に対する「俺の言うことを聞かないのなら、場合によっては核兵器を使うぞ」とのメッセージになっているのかも知れないし、その辺の政治的な駆け引きの意味にについてはまるで疎い私のことだから、そうした深謀遠慮など及びもつかない。
 ただそれでも、少なくともアメリカが原爆に関する唯一の加害国であること、しかも現に核大国であること、そうしたアメリカが大量の核を保有したまま核問題に正論じみた意見を主張することは自己矛盾ではないかなどを追求することは、被爆国たる日本だからこそできることであり、更には追求していかなければならないことなのではないだろうか。そして更にはそうした思いを次世代に伝えていくことこそが、被爆国の住人として今の時代に残された大人の責務ではないのだろうか。

 私はアメリカが抱えているこんなにも単純な矛盾に、どうしてこの番組に出演している子供たちが一人として気づかなかったのだろうかと訝しく思い、もしかしたら放送時間枠だとか政治的な偏りなんぞの理屈をつけられてそうした疑問がどこかで消されてしまったのではないか、更には編集と言う名の下に無視抹殺されてしまったのではないかと下司のかんぐりみたいな気持ちを強く抱いているのである。
 なんたって、こんな程度の疑問など、大人にとっても子供にとっても疑問と名づけるほどのこともないほど単純な思いであり、同時にないがしろにしてはいけない問題提起なのではないかと思えるからである。



                                     2009.6.10    佐々木利夫


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北朝鮮の核実験