北方領土については何度も書いてきたし、つい先月も触れたばかりである。だが現実は、領土問題と言うのはそもそも解決しないものなのだと定義できるくらいにも遠い存在になっているように思えてならない。しかもそうした状況にありながらも返還運動にたずさわる多くの人たちの中には、「返還を要求するのは誰もが認める当然の行為である」かのように思い込んでいるような節がある。その背景には、もしかしたら国際領土紛争解決裁判所みたいなものがあって、そこで過去の探検記録だとか領土宣言記録みたいな証拠を提出するだけで一発で解決するような思い込みがあるのではないだろうか。
だが現実は、紛争当事国が合意上で「国際司法裁判所」に委ねる以外に方法がない。つまり合意がなければ裁判そのものが始まらないし、判決には拘束力もないと言われている。しかも、互いに「これは紛争ではない、ここはもともと俺のものだ」を既定の事実として主張しているのだし、日本の主張はロシアに比べて弱いとも言われているので、互いにそうした機関に委ねることなど起き得ないのである。
政府も北方領土4島(便宜的に択捉、国後、色丹の三つの島と、歯舞群島についてこのように呼ぶことにする)について「一度も外国領になったことがない我国固有の領土」として主張している。そしてそうした前提の下で現在のロシアによる実効支配は、第二次世界大戦における我国の敗戦に乗じた不当な占拠によるものだと理屈付ける。
だが本当にそんなに単純に両断することで解決するのだろうか。そもそも北海道そのものだって日本の固有の領土というよりは、アイヌ民族の支配地へロシアよりも先に日本が侵攻したのが背景にあるのではないだろうか。
もちろん歴史的に1855年の日露通好条約、1875年の樺太千島交換条約、日露戦争終結時(1905年)のポーツマス条約、1945年の日本敗戦間際のソ連の対日参戦と無条件降伏後の千島列島や北方4島の占領、1951年のサンフランシスコ平和条約、1956年の日ソ共同宣言、1993年の東京宣言、2001年のイルクーツク声明などの経緯をおぼろげながら理解できないではない。
だが、現実のソ連の実効支配に対する我国の「外交による返還交渉」の無力さにはなす術なしの感が深い。本年12月1日にロシアのメドベージェフ大統領が、ソ連時代を含めロシアの最高指導者として始めて北方領土の歯舞を視察した。ロシア側の「我国の領土を大統領が訪れただけのこと」とする主張に、日本は「遺憾の意」を評するだけで手も足も出ないでいる。しかもその「遺憾」の真意すらロシア国民に伝わっていないとの論評もある(2010.12.17、朝日新聞、記者有論)。たとすれば「遺憾の意」とは、日本の政府が国内に向けて単に強がりを見せただけなのかも知れない。
前原外務大臣が就任当時に「北方領土はロシアによる不法占拠である」とした発言も、ロシアの反発を受けてその後封印してしまったようである。日ロは「親日問題」にも更には「外交戦略」からも遠く置き去りにされ、身動きすらとれないように思える。
それは現在の民主党政権が政党としてのまとまりを欠いていることに起因しているのかも知れないけれど、外交問題はどこかやり直しの効かない局面と言うのがあるように思う。「一進一退」を知らないではないけれど、一歩の後退は簡単にできるけれどそれを元の状態に戻すには気の遠くなるような時間とエネルギーが必要になるのではないだろうか。
中国との尖閣諸島問題にしろこ北方領土にしろ、最近の領土問題では相手国の動きに日本が翻弄されているように見えてならない(別稿「
日本の海域」、「
島をめぐる紛争」参照)。
だからどうしろと言うだけの知見も哲学も私にはないけれど、口先だけで頑張っているかのようにしか見えない政府の対応に、どこか「官邸主導」、「政治主導」と言う言葉に幻惑されて、「官僚主導」の余地をあまりにも敵視してしまっている現在の政権の脆さが見え隠れしているように思えてならない。そしてそれは単純に民主党が駄目だったら別の政党を選べばいいということではないと思うのである。民主党は陰の実力者と言われている小沢一郎を国会の政治倫理審査会に呼び出すかどうかで内紛のような状況にある。そしてそうした状況を見透かすかのように、ロシアのプーチン首相が北方領土へ巨額の設備投資をするとの決定を下すなど、着実に「自国の領土であること」の足場を固めつつある。それはまさに具体的な実効支配の表われであり、少なくとも日本人の一人も住んでいない北方4島の住民にとってはその島が「祖国化」していくことでもある。
そんなこんなに日本は日米安保条約だけを頼りに、「遺憾の意」を示すしか方法がないままである。今や世界の警察として君臨していたアメリカもイラクやアフガン問題でその力を徐々に失いつつあり、加えて国内経済の停滞がそれに拍車をかけている。アメリカにとって日米関係はパートナーとして大切とは言うけれど、ロシアや中国との外交や通商の方がずっとずっと大事になってきている。しかも日本とは基地問題で沖縄が揺れている。揺れているではすまないかも知れない。民主党の菅総理は普天間基地の辺野古への移設をアメリカオバマ大統領と約束したけれど、同じ民主党の前鳩山総理大臣が沖縄県民に宣言した「国外、少なくとも県外へ移す」の発言は、多くの県民の心を揺るがせ増幅させたままになっているからである。
恐らく中国の尖閣海域への進出には、アメリカもなんらかの動きを見せるかも知れないけれど、少なくとも北方領土に関しては動くことはあるまい。北方領土問題はアメリカにとってほとんど痛痒の感じない地域だからである。
現在のロシアの北方領土への動きは単なる外交問題の範囲に止まる動きではない。実効支配の既成事実化は、たとえ僅かでも進んでしまったら後戻りをさせることは不可能に近いように私には思える。
領土問題の解決と言うのは武力によるのならともかく、そうでないなら見えないくらい緻密な前進の積み重ね以外にないのかも知れない。そしてそうした前進とは、基本的には官僚による外交交渉の積み重ねによるしかないのではないだろうか。政治は政党による利害が交錯する場であり、時に政権与党は短期間での成果を求めがちであり担当大臣や首相は目まぐるしく交代する。そうした政治をきちんと補完していくためには、継続的な一貫した意思なり外交が不可欠なように思える。
官僚主導と名づけるとどこか政治を無視した官僚の秘密主義を連想させてしまうけれど、通奏低音のような継続した外交交渉は政権に左右されない官僚部門に委ねることも大事なのではないだろうか。
これまでの成果を後退させたり勇み足で相手国の反感を招くことなどはできても、「政治家や政党には目に見える成果を国民に示すことはできない」のが現実ではないかと思える。
北海道の高橋知事が今年11月22日の全国知事会議で菅直人首相に対し、北方領土の早期返還に向けてロシア政府と積極的な外交交渉を行うよう要請し、「全国民の意識、世論を高めていくことがこの問題の解決に不可欠」、「総理の強いリーダーシップのもと、北方領土の早期返還に向けて毅然とした姿勢を示しつつ、しっかりとした戦略を構築し、より強力な外交交渉を行っていただきたい」と述べたとされる(2010.11.23、朝日新聞)。
この記事を読んで私は、知事にはなんのアイデアも作戦もないこと、「私には何もできない。とくかく首相しっかり頼みます」と言っているに過ぎない姿勢に落胆したのである。そしてこれに対する菅首相の応答もまた、「何とかしないと、北方領土に住んだことのある方がおられなくなってしまう。時間との競争でもあり、しっかり取り組みたい」(同上、朝日新聞)と、これまた徒手空拳を絵に描いたような表現、首すくめて「何にもできません」と宣言しているような表現になっていることにも落胆したのである。
外交には国家の秘密、そして時に伏魔殿の要素が含まれることを知らないではないし、私に領土問題解決のためのアイデアが欠乏していることもまた認めざるを得ない。だから対案を示さないままに「なんとかせい」の主張を繰り返すことは私の意に沿わないけれど、それでも現首相の言う「官僚主導から政治主導へ」の動きは、「なんでもかんでも」に適用するのはどこか危ういように思えてならない。
どう官僚をコントロールしていくか、それをどのように国民に公開していくかなど難しい点が多いとは思うけれど、どこか私には「餅は餅屋」に任せることもそれなり大切なことではないだろうかと思っているのである。それは政治にとってもであり、そしてそれに連なる国民にとってもであると信じている。
2010.12.15 佐々木利夫
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