日本人の桜好きには民族的な遺伝みたいなものが関係しているのかも知れないけれど、私の桜好きの背景にもそうした桜好きのDNAが大きく影響しているような気がする。いつの間にか私のホームページにも札幌市内のさくらの写真を発表するページが増え、既に7年目を迎えた(別稿「
気まぐれ写真館」内の『札幌さくら旅』参照)。
桜への興味は考えてみるとかなり若い頃からあったような気がしている。記憶に残る最初の桜は、私が生まれた夕張でのような気がしているから(別稿「
昔、夕張鉄道があった(1)」、「
同(2)」参照)、だとすればまだ小学生である。そうした傾向は大人になってからも変わることなく、静内の二十件道路や浦河の軽種馬育成牧場界隈、帯広の百年記念公園であるとか厚岸町の国泰寺などへもわざわざ出かけて行った記憶がある。北海道内ばかりではない。夫婦で遠く京都の円山や哲学の道や北野天満宮・三千院・醍醐寺、岐阜の馬込や根尾村淡墨桜、それに北上河畔や三春や井川町の日本国花園や弘前、更には田沢湖・金木芦野公園・角館・盛岡などなど東北各地へもパック旅行やマイカーで桜狩りに出かけているから、桜への追っかけもけっこう本格的だと言えるかも知れない。
それでもなぜか札幌の桜には出会う機会がそれほどあったとは言えない。最初は事務所への道すがらの桜に多少興味がないではなかったが、近くの三角山周辺の花の写真を撮ってホームページに発表しているうちに、つい桜にも手が出てしまい、それが事務所のある西区界隈だったものだから「西区の桜」として一まとめに掲載したのが発端であった。
ところでその内にはたと困惑する状態が生じた。ホームページに公開した最初の桜のタイトルに「西区の桜」を使用してしまったものだから、翌年の桜の写真のタイトルをどうするかの問題にぶっかってしまったのである。まあ横着のついでに例えば「西区パート2」とすることも考えないではなかったのだが、それではいかにも安直で芸のない話であり、撮影地域を別の区にするか思い切って札幌以外の桜にまで切り替えるかなどの選択を迫られることになってきた。
まあ、一年限りで発表を中止したところでそれほど差し障りのあるホームページではないのだが、もともとカメラ好きで安い製品ながらせっかくデジカメを手に入れたこともあって、1~2回で発表をちょん切ってしまうのはいささかもったいないような気がする。
それに私のホームページはエッセイを中心としたいわゆる「字ばっかり」のサイトなので、どちらかと言うといささか色気に欠ける感じのしないでもない。札幌には西区よりもっと有名な桜の名所もあることだし、その見物を兼ねながら撮影を続けると言うのもあながち悪くはない。
そんなこんなで大きなタイトルを「札幌さくら旅」と名づけ、札幌市を構成する区を単位として毎年一区ずつ巡ることで自分なりに了解をつけた。最初は良かった。翌年の撮影が中央区になるであろうことは、札幌の一番の桜の名所であり札幌の桜開花の標準木が植わっている北海道神宮の円山公園がその区にあることを知っていたからである。
タイトルは決まったことだし、西区から中央区へと翌年の撮影も順調に続けることができた。自分で決めたことなんだし、単に写真を撮って切り張りするだけなのだから、勝手に中断したところで誰から文句が出るものでもない。それでも自分で決めたこと自体がどうにも足かせになって、逆に我が身を拘束してしまうのはどうしたことだろうか。
さて撮影2年が過ぎて3年目、札幌に長く住んでいながら仕事に明け暮れた我が公務員生活の中には、札幌の桜の記憶がほとんど存在していないことにふと気づいたのである。地方勤務の時には何度か機会があった「花見」の記憶も、夜桜見物にうつつをぬかした記憶も札幌に関してはまるでないことに気づいたのである。思い出すのは稚内の山下公園など、札幌以外の地方署に勤務した時のジンギスカンや牡蠣貝などで酒酌み交わす仲間との宴会の記憶ばかりであった。つまり、札幌に桜が咲いたとのテレビに映る上記円山公園やその他2~3の情報以外に、私には札幌に関する桜の知識がまるでないことに突然気づいたのである。
私は西区の自宅を出て同じ西区にある事務所までを毎日歩いて通勤している。中央区はその事務所からもう少し歩いた先の隣の区であり、そこの撮影も翌年無事済ますことができた。さて次はどこを選べばいいのだろうか。そう言えば「おいらん淵」と呼ばれている豊平川のほとりの桜も見事だと聞いたことがあって、そうした思い付きだけで中央区の次は南区界隈をターゲットにすることにした。3年目にしてそろそろ情報はネタ切れに近い。身近なのは事務所とは反対方向になるが自宅の背後にある手稲区である。ネットで検索してみると、なんと軽川(がるがわ)と呼ばれる川沿いの堤防に桜並木があるとの情報が飛び込んできた。
そこでやっとネットの検索で札幌の桜の情報を知る手がかりを得ることができたのである。ネット検索は便利であった。それでその手助けを得て手稲区、豊平区、白石区、北区とどうやら続けていくことができた。札幌市の区政は、1972年の7区から始まって現在は10区に増えている。これまでで7つの区を制覇したことになるから、残るは3区(東区、厚別区、清田区)である。だがいずれも遠く馴染みのほとんどない地域である。まあ地下鉄やJRを使えばそれほどでもないのかも知れないが、どこも地理不案内であり目的地にうまく到達できるかどうか自信はない。
ところでここまできて更に新しい当惑が出てきた。桜というのは、もちろん山に自然に生えているのが本来の姿なのだろうけれど、現実的にはどちらかと言うと近くに住んでいる人たちが並木や公園の記念樹や寺や神社やお城などのシンボルみたいな形で植林したものが歳月を経て名所になっているのが多いような気がする。しかも植林してから花を愛でることのできるある程度の大木になるには、数十年と言う風雪を必要とする。と言うことは、北海道の開拓者や数代後の子孫が更に遠くの子孫のために努力したであろうかつての植林がないと、今の桜はないということでもある。
さて、札幌の開拓は小樽から札幌へと向かい、石狩川流域へと進んできた。そのため残っている東区、厚別区、清田区などはその反対方向にあって、北海道開拓としてはいささか遅れた地域になっている。現在でこそ市街地化の著しい地域として開拓当時とは無関係な発展を続けてはいるけれど、開拓の当初は湿原や原野だったらしくいわゆる開拓の槌音と呼ばれるような伝統からはいささか遠かったようである。そのためかいくらネットを検索してみても、「桜の名所」と呼べるような情報が他の地域から比べてなかなか見つかりにくいのである。
せっかくここまで続けてきた「札幌さくら旅」である。こんなことで中断するのは忍びないものがある。そこで見つかりにくいながらも、僅かにしろ「桜」のキーワードのヒットが多かった厚別区を今年の撮影区として選ぶことにした。
今年の桜は開花が遅い。昨年の北区の桜の撮影は5月3日だったし、その前の年はなんと4月27日だった。それなのに今年は5月7日になってやっと札幌の桜の開花宣言が出されたような状況であった。それからも寒い日や雨の日が何日も続き、通常なら開花宣言から3日くらいで満開の情報が伝えられるはずなのに、一週間待っても道内の開花宣言はポツリポツリ伝わってくるものの札幌の満開の情報はない。
毎日、自宅から事務所まで歩いて往復していると書いたけれど、その道々にも数本の桜がある。ところがそんな寒い天候の中にありながらなんと散り始めてきたのである。雨に濡れる桜にも風情はあるかも知れないけれど、できれば青空の下の満開の桜のほうが写真になりやすいし、桜本来の姿を示しているような気がする。
そうは言っても通勤の桜は自分の目で見ることはできるけれど、今年の候補予定地の厚別区の今を知ることはできない。西区と厚別区とでは多少気候が違うかも知れないけれど、同じ札幌市内である。西区の桜が散り始めたのなら、厚別区も同じではないかと気が気ではない。
それでやっと天気予報が晴天を知らせるのを待って14日の朝、地下鉄に乗った。一応厚別区の公園や街路樹などの所在場所や桜がそこにあるとの情報を得てそれらを地図に落としてからの撮影だったが、予想通りそれほど期待した内容ではなかった。西区は散り始めていたのに、厚別区はどこもまだ多少早かったようである。しかも種類ははえぞ山桜だけのようで、いわゆる染井吉野のような華麗、絢爛、豪華と評されるような花の姿を見ることは残念ながらできなかった。
私の選んだ厚別区の桜コースは地下鉄新札幌駅をスタートして、大谷地流通団地東側緑地→信濃中学校グラウンド横→厚別南中学校脇→馬場公園→上野幌公園→青葉中央公園→野津幌川沿い青葉緑地→もみじ台西公園→熊の沢公園→陽だまりロード→厚別公園→地下鉄大谷地駅、これが今回の撮影ルートである。
撮ってきた写真は現在整理中で、終わり次第ここへ発表しようと考えているが(別稿「
札幌さくら旅・厚別区」参照)、今年の桜の撮影を終えての感想は一言で言って「疲れた」であった。なんと上記のコースの全部を私は歩き通したからである。午前10過ぎから午後4時近くまで、地図を片手にひたすらに歩き通したのである。自宅から事務所までの歩数も入っているけれど、この日の歩数計はなんと「39,681歩」を示していた。いつもの事務所通勤では往復で1万2~3千歩程度だから、なんと三倍もの4万歩を私は一日で歩いたのであった。
地下鉄に乗って事務所へ向かう車中の座席の私のつぶやきは、ただ一言「足が痛てえ」の繰り返しであった。車中での休息くらいで痛みは止まらず、事務所から自宅までも歩かずにバスを使うことにした。一晩寝て翌日も足首の痛みはまだ引かずバスになった。その日の帰りにはどうやらいつもどおり歩くことができるようになってくれたけれど、そんなこんなで今年の桜はどこか楽しめない中に終わりを告げてしまったような気がしている。撮影から一週間が経った今でも編集作業は遅々として進まず、足の痛みは消えているにもかかわらずどこか気の乗らない毎日が続いている。そして、来年はどこにしょうかと、今から気が重くなってきているのである。
2010.5.21 佐々木利夫
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