死海文書の発見は、私の考える以上に世界中を巻き込んだ事件になったようである。この文書が作成されたのは、書体学(文字の書き方の変化などによる時代測定)や加速器質量分析(現物の一部を使った測定)、内証による推定(文書の中に登場する既知の人物や民族への言及などからの推測)やカーボンテスト(資料に含まれている炭素の同元素による測定)、更には同じ場所から発見された陶器の破片や、貨幣の製造や流通の時期などから推定した時代測定などの結果によると、それぞれに誤差とも言うべき違いはあるものの、極めて大雑把ながら紀元前0年前後300年〜400年との結果が得られている(『すべて』P40〜60)。紀元前、紀元後という呼び方や、今年が2010年とされる西暦の数え方がキリストの誕生を座標軸のゼロとしてカウントしていることなどから考えるなら、まさに西暦ゼロ年を挟んだ前後の記録だと言うことになる。

 もっとも2000年近くも昔の資料だというだけで、この死海文書が世界を席巻するような発見だと呼ばれたわけではない。それはまさに、「・・・近年、多くの人びとが死海の巻物や、彼らを巻き込んだ論争のさまざまな面について書いてきた。その結果は、実際に起こった事柄についての混乱だった。・・・(マスコミは)センセーショナルなものを報道し、より広く受け入れられる説よりは奇をてらう説を大きく取り上げる傾向がある。もしある人が死海の巻物の断片の中にメシアに言及する箇所を発見したと申し立て、その言及はキリスト教に途方もなく大きな影響を与えると騒ぎ立てれば、新聞はその発言を流すのである」(『すべて』P13)に要約されていると言えよう。

 真偽を超えてこの文書は研究の名の下に様々な憶測を生み、マスコミを経てセンセーショナルに増幅されていった。しかも死海文書のいくつかは、例えばピラミッドの埋葬品など他の多くの遺跡と同様に、生活のための盗掘や転売などにさらされていた。そして資料としての価値が高まるにつれて当然のことながら贋作と言った風潮を生み、更には正当な博物館や裕福な個人による私蔵と言った需要が価格の高騰や取引の混乱などを一層増幅していったのである。

 「(19世紀は)古代遺物を捜し求めて、広大な・・・土地のいたるところで穴を掘りまくっていた。そのような仕事は実際、およそ考古学として適用するようなものには至らず、宝捜しといったものに過ぎなかった。それがもたらすかも知れない大儲けに比べれば、過去についての知識などは、さほど重要なことだとは思われなかったのであり、・・・そのための賞金は富裕なヨーロッパ人たちが自国の城や別荘に(飾るために)、もしくはいろいろな博物館によって、あるいはそれら博物館のために、提供されていた」(『謎』P152)。

 一方において「1907年7月、教皇庁は一つの勅令を出し、教会の諸教義・教皇の権威・聖書本文の歴史的正しさに疑義を呈するようなモダニスト的企てを公的に断罪した。その後2ヶ月も経ていない9月に、モダニズムは事実上異端と宣告され、その運動全体が正式に禁止された」(『謎』P161)のである。
 つまり、「真実かどうかにかかわらず聖書に反する内容は認めない(認められない)」とするキリスト教組織としての姿勢に、研究者による「神話から史実的研究へ、キリスト教の非神秘化」(『謎』P157)、「イエスを比類なき人類として、しかもなお一人の人間として(捉えよう)」(同P157)とする科学的な検証の思いとが真っ向から対立することになったのである。教会は資料を公開しないことにし、研究者は当然ながら全面公開を求める姿勢をとる。しかもそれに加えて資料の真偽や時代測定の巾(不確かさ)などが、これらの論議に更なる混乱の拍車をかけることになったのである。

 私はキリスト教徒ではないし、聖書に対しても一つの物語としての興味以外にそれほど関心を持っているわけでもない。だから例えば「ノアの箱舟」や「バベルの塔」(別稿「バベルの塔の教訓」参照)などの記述にだって、それが単なる神話なのかそれとも何らかの史実から派生した伝承を示したものなのかについてさえもそれほど興味があるとはいえない。

 それでも死海文書がキリスト教の起源と切り離せない資料であることだけは間違いないようである。前述の「死海文書ってなに?(上)」でも引用したところではあるが、「死海文書研究の歴史は一つのスキャンダルである」(『謎』P183)かも知れない。確かに「死海の巻物は、90年代になると、聖書学の小さな静かなる流れから変じて奔流になり、聖書研究やユダヤ研究の領域を襲ったばかりか、メディアや大衆文化さえも襲う」(『すべて』P327)ようになり、そうした混乱は教会にとって大いなる迷惑だったかも知れない。

 だが、都合の悪いことは「隠す」とか「ないことにする」というのは間違いであり、公にすることでその文書の真贋を検証したり、解釈の妥当性を論争させるような方向へと向かうべきであろう。だからこの資料もまた「信仰箇条ではなく、歴史的、考古学的に重要な文書であり、本来がカトリック教会に所属するものではなく、人類全体に所属するものである」(『謎』P178)と考えるべきもののように思える。

 『謎』の著者は、キリストそのものはパウロが神に仕立てあげたプロパガンダだったのではないかとすら解しているようである(P248)。キリストの不存在というのではなく、「後にパウロから進化していったような『キリスト教』(であり)、・・・ただイエスについてのパウロのイメージとだけ関係するようになった」(P249)とするのである。

 1991年9月、カリフォルニアのハンティング図書館がすべての未出版の巻物資料の完全な写真セットを所有していることを公表し、マイクロフィルムのコピーを10ドルという安い値段で提供すると宣言したようである(『謎』P299〜300)。もちろんそれは当然のことながら写真撮影された部分に限定されているのであり、それが死海文書の全部であるとの保証はない。まだまだ私蔵のまま紛来状態になっていたり、「未発掘の部分が埋もれている蓋然性は高い」(『謎』P301)などとされているからである。

 実は死海文書に関しては1947年の発見以前からも、その存在を示す記録があるとの説がある。なんと805年に書かれたと言うセレキウアの主教、ティモテウスの手紙がそうであり、1878年の骨董品商ディラー・シャピラの事件もそうだと言われているようである。この1878年の事件はシャピラが羊皮紙の断片17枚を購入し調べた結果、それが「申命記」(旧約聖書の中の一書で、モーゼが書いたとされる五書の最後の部分)の古代版であることに気づいたとされる事件である。しかも、その内容はこれまで受け入れられてきた聖書本文とは著しく異なっていたと言うのである(『謎』P306)。この資料はその後教皇庁から学者による閲覧が拒否され結局はニセモノと断じられたとされる。そしてやがてシャピラは自殺し、資料もその後行方不明になったと伝えられている。

 こうした様々な説がどこまで信頼に足るのか私には必ずしも確かめる知識も術もない。先にも書いたけれど、こうした古代遺跡にかかわる資料については、盗掘や偽造などが骨董商人や収集家たちを巻き込んだ世界的なネットワークのもとで半ば公然と行われていたことは想像に難くない。こうした話しは小説や映画などにもけっこう登場してくるし、規模は小さいながらも私が趣味で興味を持っている「忠臣蔵」(別稿「独断忠臣蔵」参照)をめぐる各種資料などにも同じように言えるからである。

 ただキリスト教は教会の教えを受け入れることには完全に自由であるが、少しでも疑ったり拒否することは許さなかったことは門外漢である私にもいろいろな物語などから想像はできる。教会は歴史的に多くの聖書に反する言動を様々な形で制限・禁止、時には弾圧してきた。時にそれは天動説や地動説などの科学に係わるようなものから、魔女狩りなどの民衆を巻き込んだ心理的な操作、更には宗教戦争と呼ばれるような政治や領土の問題にまで強く及んでいる。
 しかも今や、「今日の教会は宗教的施設というよりは、社会的・文化的・政治的・経済的制度である。その安定性と安全性は、それが宣伝する信条や教義からはきわめて隔たった諸要因に依拠している」(『謎』P312)ようになってきているのだから、死海文書の存在及びその真贋や解釈をめぐる研究や論争が一層複雑なものになっていくことは避けられないのかも知れない。

 死海文書について私の知るところはほんの僅かである。それでも始めてこうした文書の存在が私の生まれた頃以降、世界をとてつもない論争に巻き込んできたことを知ったことはとても興味深かった。これからもこの文書をめぐる論争に係わっていけるだけの興味を持ち続けていけるかどうか、かなり疑問ではあるけれど、それでも宗教として信じるのとは別にキリスト教への新しい一面を私は知ることができたのではないかと思っている。

 もっともそうした無責任さは、「キリスト教という宗教も、多くの宗教の一つにすぎず、多くの調書や欠点を持ち、多くの誤謬や欺瞞をも含み込んでいるというようなことは、日本人の多くにとっては最初から自明のことである。(が)、今もってキリスト教の呪縛から解放されていない多くの欧米人にとっては、(この文書の発見は)衝撃的なことであり、」(訳者あとがき、『謎』P346)などからきているのかも知れないし、「ましてや悪い意味でも宗教の相対性が常識化している日本においては、こうした問題提起は少しも衝撃的ではないし、むしろ当然なこととして受け流されてしまいがちである」(同P347)ことも日本人である私の思いを当然のことながら後押ししているのかも知れない。

 だからつまり・・・、私が死海文書に興味があると言ったところで、「だから、どうした」と問われるだけで実はどうしていいか分からなくなってしまうのである・・・。

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                                     2010.6.4    佐々木利夫


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