世の中にはダヴィンチのような天才も数多くいることだから人間全部がそうだとは思わないけれど、人は知ってることよりも知らないことのほうがずっとずっと多いことくらい、いくら私でも理解しているつもりである。ましてや私自身にしてみれば、必要な知識すら覚束ないくらいに勉強不足そのものだから、改めてこんな言い訳をするまでのこともないだろう。

 そうは言うもののタイトルに掲げた「死海文書」に関して、私はその名を聞いたことすらなかったことにいささかがっくりときたことを白状せねばならないだろう。内容を知らなかったと言うのなら、それはその人の興味であるとか趣味の違い、関連する情報から手繰り寄せられるような情報であったかどうか、などから起こり得るとしても、名称くらいは知っていてもいいのではないかと感じたからである。「死海文書」の名称は、もし仮に人伝てにしろ、はたまた乱読した本の中の数文字だったにもせよ、目に触れ耳に届いたならきっと印象に残ったであろう響きと表記を持っていると感じたからである。

 その名に触れたことがあるのにもかかわらず、忘れてしまっているようなことがないとは言えないかも知れないけれど、「死海文書」との表記や言葉のイントネーションなどからすれば、内容はともかく言葉そのものを忘れてしまうようなことはないように私には思える。
 とは言え、死海文書が私にとってそれほど重要であり興味を抱くほどの内容を持っていたかどうかは、実際に関連する本を読んでみて「そうでもないかな」と感じたのだから、どこかで接触していながらも私の記憶ファイルを刺激するほどの興味は引き起こさなかったのかも知れない。それにしても私の記憶のどこにもこの言葉の片鱗すら残されていなかったことはいささかのショックではあった。

 どこで読んだのか忘れてしまったが、最近この「死海文書」と言うフレーズにぶつかり、その内容をまるで知らなかったことにいささか驚いて市内の図書館の蔵書目録をパソコンで検索してみた。そしてこれに関する書物が溢れるほどにも存在していることに、改めて自らの知識不足を思い知らされたのであった。それで気になったからにはともかくも概要くらいは知りたいと思い、「死海文書の謎」(以下『謎』と略称する。マイケル・ベイジェント、リチャード・リー共著、高尾利数訳、柏書房)と「死海文書のすべて」(以下『すべて』と略称する。ジェームス・C・ヴァンダーカム著、秦 剛平訳、青土社)の2冊を取り寄せて基礎知識を得ることにしたのである。

 死海文書の「死海」とは私たちにもおなじみの観光地としての「死海」のことである。このくらいは私でも具体的な場所はともかくとして、「人間が浮かぶ湖」として水着を着た観光客らが湖水の中で浮かんだまま読書している写真などの姿でおなじみであり、その程度の知識くらいは子供の頃からあった。現地に行ったことはないのでネットの請売りになってしまうけれど、この湖はペルシャ湾と紅海に挟まれたアラビア半島の北端に近く、地中海にほど近い砂漠地帯に位置している。南北に長い湖で、西側はイスラヘル領、東側はヨルダン領である。「ロトの妻」(別稿参照)と呼ばれる塩の柱もこの湖の沿岸にあると言われているので、この地域一帯の地盤は塩の結晶でできているのかも知れない。

 1947年と言うから私が7歳の時のことである。そんな最近とも言えるような時期に、この死海の西北部にあるクムランと呼ばれている地区にある山岳地帯の洞窟から、いくつもの素焼きの壷に納められた巻物が発見された。その発見はやがて11もの洞窟に及び、800を超えるパピスルや羊皮紙に書かれた巻物と言うべきか写本と言うべきか、古代の遺跡が発見された。その内容は旧約聖書のほぼ全巻にわたる断片、多くの旧約聖書の注解、クムラン教団(ユダヤ教の共同体)の典礼、教理、戒律などの記録(筆写されたもの)であると伝えられている。これがいわゆる「死海文書」または「死海写本」と呼ばれるものの正体である。

 さて、この死海文書の面白さはここから始まる。この文書が「近現代におけるもっとも偉大な文書の発見」(『謎』P39〜40.)と言われている背景には、その内容がそれまでに研究されてきた聖書の記述と必ずしも整合性がとれていなかったことにもあるのである。つまり「歴史上のイエス(史的イエス)と信仰されるキリスト(信仰のキリスト)という矛盾に直面していることが分かった」(『謎』P14)のである。そして、「その内容と日付に関して頑なに主張されている<合意>に出会うことになったし、これらの文書を偏りなく検討するということが、キリスト教神学の伝統全体にとって、とれほど破壊的なものになりうるかということも理解するようになった」(同、P14)として多くの人びとの興味をひくことになったのである。

 まさにこの文書の発見は「異端審問局」、つまりキリスト教を覆す恐れのあるような事態を審理する部局を巻き込むような世界的に重大な問題提起となったのであり、死海文書の非公開、研究の禁止、といった政治的、宗教的な対立を招くまでになっていったのである。
 それは「関心を持つすべての人びとの間には、『死海文書』研究の歴史は一つの<スキャンダル>である」(『謎』P183)と言われるまでになっていったのである。

 1989年当時、研究者の一人(アイゼンマン)からは、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなど五新聞に資料の非公開は科学的な研究を阻害するものだとして次のような五つの主要な問題点が提起されたとのことである(『謎』P127〜128)。

 @ 「死海文書」についてのすべての研究は、利権と偏向とを持つ学者の一小集団によって不公正に独占されてきた。
 A クムラン資料のごく僅かな部分だけが出版されたにすぎず、大部分は未だに押さえられたままである。
 B 大量のいわゆる<聖書>資料が公開されてきたと称するのは誤解を与える表現である。なぜなら、最も重要な資料は・・・今まで誰も目にしたことのない(文書)から成っているのである。
 C 四十年も経過した今、巻物は、関心を持つすべての学者に公開されるべきである。
 D AMSカーボン14テスト(資料の時代測定のために科学的手法)が・・・直ちに行われるべきである。

                                          「死海文書(下)」へ続く



                                     2010.6.3    佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



死海文書ってなに?(上)