3.11の東日本震災で福島第一原発が破壊してから、8ヶ月が過ぎた。これまで、これに関連したテーマでいくつここへ書いてきたことだろうか。少し前に「もう書くことはないだろうと思っていたのに、また書く破目になってしまった」と書き(別稿「
除染と水の行方」参照)、次の週にまた同じようなテーマで書いてしまった(別稿「
甲状腺検査」参照)。それにもかかわらず次から次へと書くネタが湧き出してくる。
その発想の源泉は原発そのものをテーマとしたいからなのではない。この未曾有の事故に対する政府や行政や専門家などの対応が、単なる原子力問題を超えてそれぞれの立場からのあまりにも広範囲な問題を私たちに提供し続けていることが分かってきたからである。
先月26日、10月26日は「原子力の日」である。「○○の日」みたいな記念日作りは、行政や企業のみならず業種団体などを含めた多様な場面から提起されており、きちんと調べたことはないけれど恐らく一年中それらで埋まっているだろうし、場合によっては同じ日に異なるテーマのいくつかが重なっていることだってあるのかも知れない。それぞれの記念日にそれぞれの意味があり、その日を何かのきっかけとしてそうしたことどもから啓発される思惑を少しでも国民に知ってもらいたいとの気持ちがあるのだろう。多くは何らかの歴史的な行事などが行われた日を持ってくることが多いようだが、単なる語呂合わせにしか過ぎないケースもけっこう多いことにも、逆にその日に寄せるひとからならぬ思いが伝わってくる。
そうした企てをとやかくは言うまい。大正12年に起きた関東大震災に因んで9月1日を「防災の日」として災害に関する様々な取り組みに活用したところで、また1月10日を語呂合わせで「110番の日」として警察の啓発に努めようとすることだってそれほど違和感はない。そしてそれと同じような日に「原子力の日」がある。これは日本で最初に原子力発電が行われた日だと言われている。
そうしたことについて私はほとんど知識がなかった。原子力の日があることくらいはどこかで記憶していたけれど、それが1963年の東海村の動力試験炉が日本初の発電に成功した日を記念して設けられたことなどまるで知らなかった。原子炉の火が灯ったのは私が23歳のときであり、今から50年近くも昔のことであることに逆に驚いている。
評論家山本七平はその著書「『常識』の非常識」のなかで、原子力の日についてこんな風に書いている。
「・・・だが私は、後代は人類の歴史を原子力以前・以降と分けるのではないかと考えているので、この日は日本史にとっても最も重要な記憶されるべき日となるかも知れないと思っている。・・・この開発・利用が人類の文化に与える影響は、画期的といわねばならない。というのはこれは、『火でない新しい別の火』であり、人類の今世紀初頭までのエネルギー利用とは全く別のものだからである。・・・『原子力の日』は日本にとって、新しい方向へと踏み出した重要な日だと言わざるを得ない。毎年この日には必ず、エネルギーと日本の将来という問題を、各人の問題として考えたいものである」(同上書P88、山本七平、文春文庫)。
この本は当初昭和61(1986)年に単行本として発行されているらしいので、今から25年も前の著作になる。今年の3.11における原子炉崩壊事故を経験した後になってから読んでみると、後出しじゃんけんのようでいささか卑怯な気のしないでもないが、少なくとも彼もまた原子炉の安全神話の中にどっぷりと浸かっていたことが分かる。それは彼だけの責任ではないだろう。「原子炉の日」を定めたこと自体が、まさに理想の火としての意義を国民に啓蒙したかったからであろうからである。なぜならその日を祝うことは日本のエネルギー政策の発展と日本の飛躍をこそ願うことにあり、決して事故に向けた対策の強化であるとか津波への防災などの強化へ向うものではなかったからである。
その当時から地球温暖化などの問題が提起されていたのかどうか私は知らない。それでも石炭や石油を使わない「新しい火」は、資源の乏しい日本にとってはまさに奇跡を呼ぶ打ち出の小槌でもあったことだろう。まさにこの日は日本にとって、ばら色の未来を約束するものであったと誰もが思ったことだろう。
そして記念とした動力炉試運転開始の日から数えて48年、この日はまさに山本氏の言う意味とはまるで正反対かも知れないけれど、
「・・・毎年この日には必ず、エネルギーと日本の将来という問題を、各人の問題とし考えたいものである」を正確に反映することになった。
恐らく誰もが人類は原子力をコントロールできるものだと理解していた。この新しい火は、素晴らしい人類の未来を約束するものだと世界中が思い込んでいた。だが現実はその思いは単なる思い込みにしか過ぎなかったことが、チェルノブイリやスリーマイル島における事故そして福島でのメルトダウンという最悪の形で明らかにされていったのである。今回福島で起きた途方もない事故の現実は、原子炉というのはコントロールできないことを前提に考えていく必要があることを、我々にあからさまに突きつけたのである。
今年も原子力の日である10月26日はいつも通り巡ってきたけれど、その日が話題になることはなかった。もちろん私の得ている情報は、その日が原子力の日であることを知らせるニュースや報道が私の耳に届かなかっただけのことでしかない。私が知らなかったというだけで、日本中の原発などでこの日を契機とする記念行事や避難訓練などが行われなかったことの証明にはならない。
でもこれだけ原発が話題になっている渦中であるにもかかわらず私にニュースとして届かなかったということは、たとえそれが私の耳という狭い情報網の範囲内にしろ、少なくとも記念行事みたいなものは行われなかったことを示しているのではないだろうか。そしてなぜかメディアもまた「今日が原子力の日である」ことについて独自の企画にしろ触れることのなかったことはどこか気がかりである。
根拠を具体的に示さない単なる安全ですとの宣言と想定外みたいな言い訳だけが繰り返される中で、被災地の中古車からもサンプルからすり抜けたと称する米などからも依然として放射能は私たちの身辺に広がっていくばかりである。「原子力の日」をどうするかについては、政治も関係者も毎年の行事なのだから検討のまな板には載せたはずである。彼らはこの日をどのように感じたのだろうか。そして誰もが頬かむりすることで、私たちに原子力の日の存在そのものを無関心化させようと企んでいるのではないだろうかと、つい余計な心配をしてしまったのである。
2011.11.24
佐々木利夫
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