またまた福島第一原発による放射能汚染に関する話題である。先週「甲状腺検査」について書いたばかりだが、福島では大規模な汚染の除去作業が始まった。県全域に撒き散らされた放射能をできるだけ下げて、少なくとも避難している住民がもともと住んでいた地域に帰ってこられるような状態にまで戻したいとの思いである。

 事故発生から間もなく8ヶ月になろうとしている。放射能は単に原子炉を中心に同心円で拡散していったのではなくかった。気象の影響などにより隣接県のみならず遠く東京都にまで拡大していっている。しかもその拡散場所は「ホットスポット」と呼ばれ、まだら模様を示したまま学校や市街地や農地などの住民が直接関わる地域のみならず、広く山林にまで及んでいる。

 こうした汚染地域の中から住民が直接関わり、そして汚染濃度の高い地区から順に放射能を取り除こうとする作業が始まった。これまでにも触れてきたように、放射能は少なくとも今の技術では「煮ても焼いても処理できない」とされている。だから除染と言っても、放射能を消したり中和して薄めたりすることはできない。つまるところ除染とは「放射能の場所を移動すること」でしか解決できないのである。
 ホットスポットのまだら模様とは言っても、少なくとも放射能はその地域一帯に雨のように均質に降り注いだはずである。そして雨に流され雨どいや側溝などを通って低地に溜まり濃縮されていった。それでも雨に流されたくらいでその場所の放射能が、人体にまるで影響がない程度にまで薄まるわけではなかった。

 ならばどうするか。簡単に言ってしまうと、「水洗いと表土剥ぎ」である。建物や舗装通路などの構造物に対しては高圧の水を放射して洗い流す、運動場や庭や畑などの土地に対しては表面の土を一定の厚さまで削り取る、この二つである。恐らくこの方法しかないのだろう。そうした手法について私は特に疑問を抱いているわけではない。「放射能を消去すること」が不可能であるなら、「人体に影響のある場所から、影響のない場所へ移動する」くらいしか方法がないだろうことくらい、誰にだって分かることだからである。

 そして現在問題となっているのが、瓦礫を焼却した灰と共に剥ぎ取られた土の処分である。その土には除染の対象となるレベルの放射能が含まれているのだから、それをどこへ保管するかである。放射能がその力を失う期間は放射性物質の種類により異なるが、半減期(力が半分になる期間)として示されている。そしてその半減期は数日のものもあるけれど数年数十年に及ぶものもあり、ものによっては数百年にも及ぶとされている。半減期でそれだけかかるのだから、無害とされるまでの期間を考えるなら気の遠くなるような管理が必要となる。そんな気の遠くなるような期間をどこに、どうやって閉じ込めておけるか、保管場所や維持管理手法に対する住民や国民の混乱はこれからも延々と続いていくことだろう。

 でもそれはそれで一つの方向を示すことができるかも知れないので、まだ解決策はあるだろう。数百年安全に管理できる保管方法を、国や世界が総力をあげて考えていけばいいからである。たとえ反対意見が強かろうとも、消去するような手段が発見されるまで「特定の場所で管理する」以外に対処する方法がないからでもある。

 でも私には除染にはもう一つ誰も話題にしていない問題点があるように思えたのである。それは除染された水の行方である。除染作業は既に始まっている。ブルドーザーやスコップなどで剥ぎ取られた土については、処分場の問題としてそれはそれで解決していけるだろうことは既に書いた。でも高圧で放射されている水の行方については誰も触れようとしないのはどうしたことなのだろうか。屋根の上の洗浄業者がホースの先から勢いよく飛び出す水で、隅から隅まで洗い流している。そうした作業をしているということは、たとえこの8ヶ月で降った雨や吹き荒れた風などでも、屋根に溜まった放射能が人体に影響がないほどまでには薄まっていないことを示している。

 だとするなら、その勢いよく噴射された水の先、そして洗い流されているほこりや落ち葉などには人体に影響があるほどの放射能が含まれていることを示していることでもある。そのことはそのまま洗浄に使われた水そのものも汚染されていることを意味している。つまり屋根や舗装道路などに吹き付けて放射能を洗い流す作業で生じた水は、そのまま放射能の汚染水になっているということである。

 それは放射能の濃度としては違うかも知れないけれど、メルトダウンを起こした原子炉を冷却するために注入されている水と、汚染水であるという意味では丸っきり同じである。原子炉冷却水は、とりあえず貯水タンクに溜められているし、最近では循環させることで汚染水の増加をコントロールしているから、その意味では一種の密閉された循環系に閉じ込められている。海洋に流れ出したり、循環系から漏れ出すような事故があったなど、閉鎖性に若干疑問はあるけれど、きちんと管理されている限り外部に溢れる心配はないようである。もちろん閉じ込められている膨大な汚染水を今後どう始末していくかの問題は依然解決していないままではあるけれど。

 さて、放射能は弱いかも知れないが、それと同じ意味を持つ除染した汚染水の始末である。私がテレビや新聞などで知る限り、除染作業を請け負ったというコンプレッサーを持っている塗装業者などは盛大に屋根に噴水をかけまくっている。しかしその噴射された水を集めるとか、何らかのフィルターを通して浄化するなどの処理は一つもされていないのである。恐らくその汚染水は屋根から落ちたり、雨どいを通って地上へと流れていくのだろう。地上へと流れた汚染水は好天に乾いていくか、それとも地中へと染み込み一部は側溝などから川へそして海へと流れていくことだろう。

 何度もここへ書いたけれど、放射能は移動するだけで消えることはないのである。確かに汚染された水は乾燥し地中へと吸い込まれ川となって私たちの目からは消えていくことだろう。でもその消える現象は水が目の前から消えるだけのことであって放射能そのものが消えるのでは決してないのである。

 もちろん地上で乾燥した水は地表に放射能を残すことになるから、表土を剥ぎ取るという除染作業を通じて残土処理という流れへと進んでいくのかも知れない。でもそのためには手順として、まず屋根の洗浄を優先し、その洗浄水が完全に乾くのを待ってから表土の剥ぎ取るという作業へ進まなければならないことになる。だが私の見る限りでは、そうした手順が行われている映像も、またそうした手順によるとの解説も伝わってこないのはどうしたことだろうか。そしてそうした手順を踏んだ後でもなお、地中に染み込んでいった汚染水や側溝を通じて川などへ流れ込んだ放射能を含んだ水の処理は未解決になったままである。

 除染で生じた汚染水の処理をどうすればいいのか、私にはまるで思いつかない。それはこの汚染水に限らず、原発事故からこれまでに降った雨の始末にも関係してくるからである。それは放射能に汚染された全地域にまたがる問題である。国としてもその広大さにどうしていいか分からないのかも知れない。もしかしたらそんなこと問題提起されたって誰にも答えなど出せない、始末に終えない現象なのかも知れない。そんな問題提起をされたって「政府も含めて誰にも解決策などない迷惑だけの話」なのかも知れない。

 でも疑問だけは私でも抱けるのである。メディアだって当然その疑問に気づいているのではないかと思うのである。対策や提言もないまま単純に言いっ放し、問題提起の垂れ流しだけを報道するのは場合によっては無責任のそしりを免れないのかも知れない。でも答えが見つからないからといって、問題提起そのものを握りつぶしてしまうようなことが許されていいはずなどないと私は思う。アメリカでの話ではあるが、「長崎原爆のプルトニュウム製造設備のあった米ワシントン州ハンフォードで、地下タンクから放射性廃液が漏れ出た。そのとき川沿いの汚染土600トンが除去され、地下水も汲み上げられて浄化を続けている」との新聞報道もある(2011.10.27、朝日新聞、除染に先例)。水処理だって決して不可能ではないはずである。

 今週、このエッセイと同時に発表した「メディア視線の危うさ」の中で、除染で生ずる汚染水の問題を提起したのはこのことである。私はメディア自身がこうした問題点に気づいているにもかかわらず、「事態の深刻さと、読者のことを考えて」とする名目の下で、「あえて(報道することに)目をつぶっている」のではないかと、どこかで疑心しているからである。


                                     2011.10.27    佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



除染と水の行方