友人の中には「そろそろ仕事を減らしたい」と言いつつ「忙しい」を繰り返している者もいるけれど、税理士を廃業して悠々自適の生活へ入っている者も少しずつ増えてきている。まあ、共に70歳を超えてきているのだからむしろ廃業へと向うのが自然の成り行きかも知れない。

 さてそうした中での私の毎日である。肩書きこそ「税理士」を名乗り、いっぱしに自宅外に事務所と称する個室まで持つ生活である。仲間の中には小さな事務所を退職金の一部で購入した者もいるし、仲間同士や先輩などと共同事務所を開いている者もいるが、自宅を事務所として兼用しているスタイルが一番多い。
 ところで私の事務所だが、自宅から4キロほど離れた区役所近くの小さな繁華街の片隅に、いわゆるワンルームマンションの一室を賃借りして開業している。したがって自宅を事務所にしている者に比べるなら、いわゆる賃貸料を含めた事務所諸費用の分だけ贅沢と言える暮らしなのかも知れない。

 もっとも贅沢かどうかはその人の価値基準によるから一概に言えないだろうけれど、少なくとも自宅事務所よりも事務所費用の分だけ余分な支出をしなければならないことだけは論を俟たない。まあ、つまるところその余分な支出を、より見返りのある収入でカパーできるか、もしくはその余分であることそのものを楽しみと感じることができるかどうかが自宅か自宅外事務所かの選択の違いというべきであろうか。

 ところで私の場合、事務所の存在は今では後者の意味になっている。数年前から事務所の採算は取れない状態が続いているからである。続いているというよりは、むしろそうした方向を選んだと言うのが正解かも知れない。つまり、採算を考慮して仕事を続けるか、それとも仕事以外の道を選ぶかの選択を自らに課したということである。
 採算の問題だけを考慮するならこうした場合、事務所を閉じて自宅で細々ながら仕事を続けるか、それとも思い切って税理士を廃業するかのいずれかを選ぶことだろう。しかし私はそのいずれも選ぶことはなかった。事務所を維持したまま仕事を縮小し、採算割れによって生じた時間を楽しもうと考えたからである。それはこうし時間の使い方もまた、老境に向っていく私自身の「すさび」であると考えたからである。

 「すさび」とは「成り行きに任せる・心のおもむくまま」の意であるが、時に「気ままに遊ぶ」の意味も持っている。もしかしたらそうした思いは、長い公務員生活を終えてこうした事務所を持つことを考えたそのことの中に内在していたのかも知れない。
 私がこのホームページを開設したのは2003年の1月だから、8年も前のことである。その頃に作成したままの文章が、プロフィールのページに今でもそのまま残っている。そこに私はこんな風に書いた。
 
 仕事のあんまり好きでない税理士なんて、自分でも変だとは思うけれど、いままで一生懸命働らいてきたんだし、ここらで少し自分だけのために自分の時間を使うというのも悪くない。
 武士は喰わねど高楊枝、やせ我慢も続けてみればそれなりさまになってきて、毎日自宅と事務所の往復に一万数千歩、四季それぞれの移ろいに、趣味と少しの仕事重ねています。もちろん私が武士である保証は何もないことを承知の上でのことですが・・・。


 この頃の私はまだ仕事に忙しかったのだが、それでもどこかで「自分だけの時間を見つける」ことに思いを馳せていたということであろう。そして次第にここで過ごす自分の時間の確保(それはつまり赤字の覚悟でもある)のために資金を少しずつ貯め始めることへと向っていったのである。そしてどうやら準備が整いつつあると考え、4〜5年ほど前からその実行へ着手することにした。

 だだそれは思ったほど簡単なことではなかった。使用人はいないし家族の手伝いもない、まさにたったひとりの事務所なのだから問題ないだろうとたかをくくっていたのだがそれは甘いことが分かってきた。毎月の経費の捻出そのものは、事前に計画していたのだからそれほど難しいことではなかった。一番の問題は顧問先とどうきれいに別れるかであった。仕事を受けるときは、仕事の内容とそれに要する時間、そしてそれが既存の仕事の中に押し込めることができるかの判断と受け取る報酬の額だけで決定すれば足りた。だが税理士の仕事というのは顧問先が個人にしろ会社にしろ相手の中身、つまりプライベートな部分にどうしても入り込んでしまうからである。

 それを「顧問先との信頼関係」と言ってしまえばそれまでだけれど、逆に言うならそうした信頼が互いの「しがらみ」ともなって、変な例えになるけれど巷間言われている「離婚に要するエネルギーは結婚に比べて膨大なものになる」に似てきてしまうのである。もちろんばっさり「明日から分かれます」みたいな言い方が通じないわけではないけれど、相手を途方状態に追い込んだり、恨まれながら別離を宣告するというのはこれまでの付き合いから言ってどうしても避けたいと思ってしまうからである。

 だから顧問先と円満に分かれるためには、それとなく相手に探りを入れたり、場合によってはさりげなく廃業を匂わすなど、短くても1年、長ければ2〜3年はかかってしまうのである。一番安易な方法は、知人の税理士などを後任として紹介することである。だが、先輩や仲間の話を聞くと、そうした方法をとると、どうしても後任を通じて仕事が跡を引きずってしまうことがままあり、きれいな離婚にはいたらないことが多いというのである。どうしてもきれいに、しかもはさみでばっさり切るような別れ方が望ましい。

 そんなこんなで苦労しながらも少しずつ顧問先の整理がついた。仕事仲間との付き合いも、ほどほどの範囲にすることも大切である。さいわい現役中からゴルフは嫌いで通っていたので、そうした心配をしなくてすんだことは楽だった。かくして私は、この小さな事務所の中でひとりの時間をどうやら確保する態勢を作り上げることができたのである。さてこの「ひとりの時間」、知人の中には、例えばマイカーで同乗者のいないたった一人での運転は、寂しくて耐えられないと言う者もいるけれど、どうやら私には当てはまらないようだ。

 もちろん孤立無援だけがここでの生活ではない。税理士事務所の看板を掲げたままにしてあることや、ホームページで税理士であることを標榜していることなどもあって、時には税務相談などの電話や訪問もあって、いくばくかの飲み代を稼ぐこともできている。だからと言って家賃を賄うほどの仕事があるわけではない(引き受けないことも原因である)ので、たっぷりの時間が私には訪れることになったのである。
  さて私の毎日の「すさび」については、その始まりの段階でこんなにも長文になってしまった。もう少し内容に入り込むつもりだったし、書けるとも思っていたのだが、この続きは来週にでも回すことにしよう。どうせ私はたっぷりの暇人なのだから・・・。

                                     老税理士のすさび(2)へ続く



                                     2011.2.10    佐々木利夫


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