さて前段で書いたようにあふれる様な自分の時間が表われた。それをどう使ったらいいのか。一番楽なのは「何にもしないこと」のような気がするけれど、長い公務員としての職業とその後の税理士稼業とをとりあえず実直(?)にこなしてきた身にとって、この「なんにもしない」と言うのはそれほど楽しいものではない。私の中にも一般の市民感情に近い「仕事をしないのは悪」みたいな気持ちがどこかに存在していると気づいたからである。そうした擬似悪をしのぐような、しかも仕事と言う思いからは少し離れたやりがいをどうやって見つけ出すかが課題である。
 人の生活はとりあえず「衣・食・住」に表われると思うので、それに準じて私もこの小さな隠居所まがいの小庵の日々を記すことにしてみよう。

 

 着るといっても衣装を見せるのが仕事ではないし、それに歳を重ねたからといってそれにふさわしいお洒落が必要なくなるとも思わないけれど、自宅と通勤と事務所での仕事、それにたまに出かける馴染みの飲み屋くらいの生活圏ではそんなに立派な服装の必要はない。
 ところで、退職して自宅で税理士事務所を開いている先輩などの話を聞くと、一番けじめの付けずらいのが服装だそうである。外出するような用事でも無ければ、朝から晩まで、極端に言うなら一日を通して服装に気を使う場面などないからだそうである。起き抜けのパジャマ姿のまま朝飯を食いテレビを見、そのまま電話を掛けたり電卓を叩くことだって可能だからである。そのまま就寝時刻までを過ごし、一日中着たきりすずめのままだって女房以外には気づかれることさえないからである。

 仮にパジャマから着替えたとしても、そもそも自宅にいるのだから背広にネクタイというスタイルになることはない。せいぜいが室内着になるだけであり、それはまさに普段着であってパジャマ姿とそれほどの違いがあるわけではない。

 ところが外部に事務所を持つということは、自動的にパジャマ姿のままで過ごすことはできないことを意味している。そうした時、私が選ぶ服装はどうしても背広になる。背広がどんな人にも似合うようにできた世界最大の発明だとは思うけれど、そのことはさておいて、長い公務員生活を私は背広だけで過ごしてきたことを無視はできない。退職したからと言って突然背広そのものが消えてしまったり捨てたりすることはないから、家には退職まで着ていた背広がそのまま残っている。背広以外にも通勤に使えるスタイルはあるだろうけれど、長い習慣とは恐ろしいもので私の頭には背広姿が染み付いてしまっている。

 そしてその反動なのだろうが、土曜・日曜は背広以外のスタイルになってしまう。土曜・日曜も事務所へ出ることが楽しみなので、私の毎日の出勤は平日は背広、土日は普段着であり、それに季節に合わせてコートやジャンパーなどを羽織ると言うスタイルになる。

 こうした服装の変化、それも背広にネクタイと言うスタイルは少なくとも家庭生活からの切り離しと言うけじめを与えてくれる。つまり、毎朝「これから仕事に行くぞ」(仮に仕事でないにしても)との意識の切り替えができるのである。登山には登山の、旅行には旅行なりの服装があるように、背広にネクタイのスタイルは自分にも遊びとは異なるけじめの意識、非日常の始まりを与えてくれるのである。

 

 「食」と言っても事務所で口にするのは毎日の昼食、そして仲間と飲み会を開くときの酒の肴くらいである。 さて昼食だけれどここ数年は粗食に励んでおり、その内容は主として「イモ類」+「野菜」を電子レンジで処理した温野菜が中心になる。節約のため粗食に耐えているということではないのだが、退職直後の我が体重は87キロもの超肥満体でありダイエットが必要になったこともあって、粗食はその要請に叶うものであったことが一番の要因である。もちろん昼食だけでダイエットが成功するわけではなく、自宅から事務所までの往復を歩くと決めたことや、可能な限り自宅では酒を飲まないことなども競合していると思う。そうした努力の結果、現在の体重は約65キロ前後と20キロ近くも減らすことができ、更なる減量へチャレンジ中なので粗食は当分続くことになろう。
 結果的ではあるが、こうしたダイエットの必要性から昼食の単価は節約へとつながることになった。しかも主目的が減量にあることから、粗食であることに惨めさを感じることがないのは想定外の幸いでもあった。

 一方、時々の仲間との事務所における飲み会での料理は千円会費を集めて私が自作することもあって、昼食の反動で肉を使った鍋料理が多くなる。これにより体重は一晩で2キロ近く増えるのだが、これが逆に元に戻すための粗食昼食の必要性へと更に高まっていく。

 恐らく家庭で過ごしたままなら、昼食もまた妻任せになっていて、ダイエットへの努力も中途半端になったのではないかと思う。しかも自分で作る昼食なり飲み会の料理は、「男子厨房に入らず」からの離脱であり、一種の食生活の妻依存からの自立でもある。ここにも非日常が潜んでいることを知ることができるのである。

 

 「住」と言ってもこの事務所がワンルームマンションの一室を賃借りしたものであることはすでに述べた。ところでこの賃料には冷暖房と水道料金が含まれており、しかも水は温水と水道の両方が使えるのである。そしてそれ以外に管理費や共用費などはかからない仕組みになっている。つまり事務所の維持費として家賃のほかにかかるのは自分で使う電気代と電話代だけということである。もちろん歩いての通勤だからマイカーはとっくに手放しており、駐車料金も当然に不用である。

 その温水をふんだんに利用して、私の毎日は必ずと言っていいほど朝シャワーから始まる。事務所へ着く、コートや背広を脱いで洋服掛けにかける、冬なら暖房のスイッチを入れる、そのままトイレ兼浴室へ向う、これが定番になっているのである。湯船に浸かることは滅多になく大概はシャワーである。そして湯上りの体を冷ましつつパソコンのスイッチを入れる。これからが我が自由時間の始まりである。

 歩いて数分の距離に区役所や区民センターや地下鉄の駅などがあり、10分ほど離れたJR駅までを中心に市街地が広がっているので、買い物も市役所への手続きなどにもとても便利な地区である。区民センターには札幌市の全図書館から蔵書の取り寄せがインターネット経由で可能になったことから一番重宝している。

 もちろんこうしてエッセイを週に2本発表しようと思いついてからは、その作成のための時間も結構必要となる。雑文とは言っても、一つの文章を仕上げると言うのはそれなりの自負もあるから、いわゆるのんべんだらりとした怠惰な時間の過ごし方とは違う意識がある。同じように発表している写真集も、プロバイダーから割り当てられているサーバーの容量を節約するために、JPEGで撮影したデータをGIFに圧縮したりトリミングで必要な部分を選択するなどの加工にもそれなりの時間が必要となる。

 そうしたことどもを「忙しい」とは言わないけれど、少なくとも充実した時間であることには違いがない。そして本を読み、時にはパソコンにつないだ笛もどきのシンセサイザーでクラシック小品などを演奏したりもする。少しずつにしろ上達していくことはどこか嬉しい。事務所にはそのほかにもギターやフルートなども置いてあるのでそれらのいたずらする時もある。テレビ番組は可能な限りブルーレイディスクや内蔵ハードディスクに録画してあるので、その消化もしなければならない。
 そのほか毎月レンタルCDからJポップスの新譜CDを自作するなども趣味として続けており、事務所での時間の過ごし方はこのエッセイのあちこちに散らばっている通りである。時に「今日はなんにもしないぞ」と自分に言い聞かせてテレビを見ながら惰眠をむさぼることのないでもないけれど、とりあえずはホームページへのエッセイ発表に向けた文章作りを中心に、まあ擬似的にもせよ「暇のない」生活が続いている。そしてそれが私の「すさび」への充実へとつながっているのである。

                           「老税理士のすさび(3)」へ続きます。

                           「老税理士のすさび(1)」へ戻ります。



                                     2011.2.15    佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



老税理士のすさび(2)