4月29日(木) 糸満名城ビーチで海水浴、琉劇鑑賞

 ちょっとゆっくりして、9時ホテルを出る。交通公社に寄って、明日の石垣島への飛行機を頼んだが満員。7日頃まで空席なし、との返事だ。とにかく早目に石垣か宮古へ行きたいので、とりあえず石垣は諦めて宮古島は空席ありとのことなので申し込む。果たして宮古から石垣へ行けるかどうか全然分からない。今のところ宮古→石垣は明日、明後日とも満席である。ちょうどゴールデンウィークに入ったので、当分は無理なようだ。とにかく明日宮古へ行ってから考えることにしよう。

 今日も快晴、朝のうちなので少し涼しい風が吹いているが暑くなりそうだ。立法院の庭はキンセンカの花壇が満開に咲き誇っているし、葉のすっかり落ちたテイゴの樹には真っ赤な花が見事に咲いている。シュロの樹がうっそうと葉を茂らせ、昨日のデモの残骸が少し残っているが、青い空と木々の緑にそれらはとても美しく感ずる。少しその辺を散歩し、あまり天気が良いので南部戦跡めぐりの観光バスは延期することとして、糸満の名城ビーチへ海水浴としゃれることに決めた。

 腹ごしらえ・・・と思ったが、朝なのでまだ食堂が開いていない。そのままタクシーで糸満へ出る。1.25ドル。近くの食堂で焼きソバを食べる。これがソバなのだろうか。とてもラーメンとは思えないほどうどんともラーメンともつかない食い物だ。味はまあまあといったところで、まず一心地ついた。サンオイルを仕入れて車で名城ビーチへ向う。入場料20セント払って中へ入る。沖縄は海岸のほとんどがさんご礁の浅瀬である。大きな岩このビーチには少ないが、砂が全部サンゴの砕けたものなので裸足の足の裏がとても痛い。

 今日は天皇誕生日の休日なので、相当な人数が集まっている。しかし、観光客はほとんど見当たらず、町内会か門中の会合のようである。外人の姿も2〜3人である。泳いでいるのはほとんどが子どもたちで、大人は10人ほどしか裸になっていない。シャワールームで着替えて海へ足を入れる。なるほど、少し冷たい。皿は抜けるように青く、日光は膚に痛い。サンオイルを塗ってしばらく日光浴。回りの人間に比べて裸が白いのが少し気になる。昼の日差しと風がとても気持ちがいい。海は遠浅で相当進んでもへそくらいまでの深さしかない。15分ばかり泳ぐ。入るときは冷たいが、入ってしまうとちっとも気にならない。薄緑の海、那覇空港へのコースになっているのか頻繁に上空を横切る飛行機、波はなく本当に穏やかだ。

 2時半過ぎ、糸満ロータリーまで車で。そこからバスでホテルへ戻る。3時半。シャワーを浴びるが相当日に焼けたらしく、ぬるくしてもひりひりする。4時。ホワイトホース水割りを2〜3杯ひっかけて、ほろりとしたところで街へ出る。開南交差点から平和通りをぶらぶらする。途中、物乞いがヴァイオリン片手に琉球民謡を弾いている。同じ曲を繰り返し繰り返し弾いているのだが、ヴァイオリンも民謡もあまり上手くはないが、何かしっとりと訴えるものがある。三越へ入りぶらぶら見物。近くの食堂で夕食をして6時、沖映本館へ入る。しばらく休館していたというが、今日から新しく琉球歌劇が始まりこけら落しである。あまり混んでいなく、前から6列目あたりの少し右寄りに腰掛ける。テープレコーダーの点検とカメラを三脚に据付け、レリーズをつけると準備は整った。

 とにかく素晴らしいの一言に尽きる。歌も会話も、言葉はほとんど分からない。しかし、ストーリーは、僅か分かる言葉と動作でほとんど理解することができた。
 最初は「桃売り少女(ムムウイ・アングワ)」、古い物語らしい。昔々仲のよい男女があったとさ。女が地頭に見初められ、側女として差し出すよう庄屋に伝える。庄屋の家のため村のためとの説得で娘を無理に納得させる父、迎えのかごの前で怒る男、切々と悲しみを訴える女、無理に連れ去られる。舞台変わって地頭の館。5人ほどでの四つ竹踊りが終わると女は田舎の身なりであらわれ、悲しげに歌い舞う。地頭も共に舞う。妬むように見ている正妻と従女。

 地頭が去るとさっそく女をいじめにかかる。殴る蹴る。やがて正妻、いままでの疎遠に対しての地頭への恨みとばかり、従女に命じて館に日を放つ。燃え盛る炎、渦巻く煙。火事が治まると地頭が出てくる。女は焼死したと告げる正妻。焼け跡に死骸があり悲しむ地頭。やがて館の火事を気遣って女の父親と恋人の男が登場。女の死を知らされた両人とも愕然として声もない。悲しみながら女の骨を壺へ納めて退場。しかし女は死んだのではなく。正妻に引きづられて登場。いきなり殺そうとする。そこへ地頭が戻ってきたのであわてて羽織を女の頭からすっぽりと被せ、これが放火の犯人、今手打ちにしようとしたところだと告げる。怒る地頭。刀を構えるが切々たる女の声に驚き羽織をはぐと死んだと思った女。正妻は「この女が犯人。あなたは私の言うことより女のほうを信じるのか」と詰め寄る。地頭迷い、家来に真相を究明するように命ずる。

 命ぜられた家来、取り調べようとするが、正妻からずっしりと思い財布をつかまされて頷く。正妻、女を連れて去る。それを見ていて真相を知った地頭は家来を切り倒し女を追いかける。一方女を連れ出した正妻は、崖の上から女を突き落す。・・・と電光と雷鳴、嵐・・・。正妻と従女は己の罪に慄き互いに相手のかんざしを手に胸を付き合い死ぬ。治まる嵐。駆けつける地頭。妻と従女の死体。女の姿はなく、呼べとも応えるものはない。

 一方、女の死を信じた恋人は墓の前に水と花を添える(沖縄では墓に水をかけるようなことはしない。湯飲みで供えるだけである)。男の悲しみの別離の歌。そきへ空から女が落ちてくる(人形)。ちょうどそこが突き落された崖の下だったらしい。叫ぶ男。気がつく女。再会の喜ぶ二人。しかし地頭の思われ者となった以上一緒この世で添い遂げることは叶わないと共に死を覚悟する。そこへ地頭が表れ、これはみな私のいたらないためである、お前たちは一緒になるがいいと伝える。喜ぶ男と女ね父親も出てきて生きている娘に喜ぶ。メデタイナ、メデタイナ、の大合唱。女は桃の入った籠を頭に載せて「桃(ムム)ういましょう」、メデタイナ、メデタイナ・・・で幕となる。

 二つ目の出し物は現代歌劇「渕」、時代は昭和初期だろうか。愛し合っているが結婚できぬ男(紡績会社の監督)と女(機織娘)。やがて女は妊娠、それを知り怒る父親、勘当。女は大阪の紡績工場へ。男の子を産み死ぬ。そこへ男が・・・、手遅れ。男は子どもを帯で腹にかかえながら辻音楽師や炭鉱へと流浪の生活が始まる。福岡の炭鉱で男は女の兄に会う。説得され、引き裂かれる思いで子どもを預ける男・・・。
 それから18年、男は沖縄で人力車の車夫。惨めな生活、昔を知る人々の嘲笑、こらえる男・・・(背景は沖縄の人には懐かしいものらしいが僕には全然分からない)。子どもは叔父の家で育てられ18歳。帝国大学医学部合格、父を探しに沖縄へ・・・。親子とは知らぬ車夫と学生。車夫はふと漏らす「似ている」と女の名を呼ぶ。その名が母であることを知って驚く学生。沖縄へ残るいう息子、東京へ戻れと叱りつける父。波止場まで人力車に父を乗せて引く子。真っ暗な舞台にスポットライトだけが2人の姿を追う・・・。幕。

 割れるような拍手、ハンカチを目に当てている人が多い。再び幕が開くと船の出港、ドラの音、船のおもてに日の丸の旗、いきなり軍艦マーチが入る。全員が出てきて客席へ向って手を振る。再び幕。
 時計は10時半を少し過ぎている。ほとんど分からない言葉なのに、この感激はどこからくるのだろうか。

 ホテルに戻って荷物の整理。ホテルを引き上げて宮古、石垣へ向うためだ。今の時刻は0時15分、少し焼きすぎたらしく背中や腕がひりひりする。・・・オヤスミ・・・。


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                                     2012.6.25     佐々木利夫


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沖縄旅日記むかしむかし(5)

 これは1971(昭和46)年4月から5月、まだアメリカの統治下にあり日本復帰を来年にひかえた沖縄へ、日本の北の果てとも言える北海道釧路からたった一人で出かけた旅日記である(別稿「私と沖縄復帰40年」参照)。
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