5月2日(日) 宮古島へ

 朝6時半起床。薄曇だがところどころに青空が見える。恐らく晴れるだろう。7時、食事済ませて目の前の桟橋へ。船名「八汐丸」、何日かに一便しかないのか相当混雑しており、観光客よりも一般客の方が多い。待合室に「きゅうり、へちま、いんげんまめ、にがうり、ばしょう、まんごう、ゆうがおは、沖縄本島への持込は禁止されています」との貼り紙がある。同じような地域なのに移出禁止物品があるなんて変なところだ。8時乗船、見送り人が大勢来ている。左手に竹富島を見ながら舟はゆっくりと進む。水平線には靄のようなものがかかっていて、西表は見えない。日差しが時折の雲に遮られながらも、膚を焼く。風は生暖かく海上とは思えないほどである。むしろ船室の方が冷房が効いていて寒いくらいである。航路のほとんどをデッキに寝転んで過ごす。今までの日焼けの上に一層黒くなったようだ。一等船室を申し込んだが、船室もあまり立派ではなく、食事もまずい。それに昼の数時間の船旅では、晴れてさえいればほとんどデッキに出ているので、あまり一等の価値はないような気がする。ウトウトして3時、宮古平良港入港。

 宮古は山がないので平たい島だ。荷物はカバン一つだけなので街へ出て沖縄ツーリストへ寄り、旅館「ホテル日の丸」と明後日4日の那覇への飛行機の予約をする。旅館は小山氏から宮古観光ホテルがよいと言われたが満室だったため明日宿泊することに決めた。ホテル日の丸も新築なったばかりの港に近い張水神社のすぐ前にあって、とても感じのいいところである。旅館を4時頃出て張水神社へいく。今日は旧の花祭りのせいなのだろうか、参拝者が絶えない。境内の一本だけの見事に高いヤシの木には5〜6個の黄色い実がついており、そよ風に葉が揺らいでいる。また境内にはカジュマルの樹がその足をうねうねと延ばし、幹のいたるところからひげのような気根を空中に垂れ下がらせている。

 仲宗根豊見親(ナカソネトヨミヤ)墓へ。珊瑚礁の石を階段状に積み重ねて造った大きな墓地で、中央窪地の墓前には庭や井戸がある。豊美親は1335年頃の戦乱を治め宮古の統一をはかった頭職で、墓にはその一門が納められている。中は雑草が茂っていて寂しい。
 更に歩いて人頭税石へ。民家の近く、海岸の見える道路わきにポツンと何の変哲もなく、説明書きの札が倒れたままである。人頭税石は賦測り(フバカリ)石ともいい、男女15歳以上の身長を測った石。高さは1.25メートルあり、子どもがこの高さに成長したとき課税された。この税制は薩摩が沖縄征伐(すなわち、島津の琉球入り)の1609年から始まり、明治30(1897)年までの300年弱も続いた。永い圧政と酷政の歴史がこの夕闇の迫りつつある場所でひしひしと感ずる。

 遠く伊良部島が見え、石垣から乗ってきた八汐丸が今、那覇へ向けて出港していく。5時、その長く伸ばした汽笛に誘われるように暮色が迫ってくる。ホテルへ戻り街へ出る。賑やかな通りが3本ほどしかない小さな街だが、こじんまりして歩きやすい。道々には仏僧華や夾竹桃、ブーゲンビリアの花が咲き乱れ、蒸し暑さの中に南国を感ずる。レストラン「みやこ」で食事、ホワイトホースの水割りに和定食はちょっと似合わないが美味かった。バーへ入るにはまだちょっと早いし、何だか東京から名もない歌手が2人来ていて、宮古喉自慢をやっているが超満員で、入場おことわりになっている。芸能の少ないこの地方では、一大行事なのだろう。市場へ入る。名も知れぬ魚が並んでいる。赤や黄色の魚は何ともどぎつく、魚臭さとあいまって何だか毒でも含んでいるような感じである。

 夕方街を歩いて感じたことだが、ここの中年以上の女性には琉球マゲが多い。着物は左前であり、頭に荷物を載せて歩く女の人にも数多く遭った。港から爪先上がりの道に並ぶ赤い瓦に白い漆喰の屋根の低い家並みと琉球の古い風俗、宮古は石垣に比して見るべきところは少ないが、旧さの残っているしっとりした落ち着きを漂わせている。時間つぶしに映画館へ、東映のヤクザ映画をちょっと見て10時頃外へ出る。もう普通の商店はほとんど戸を閉め、市場通りから港寄りの飲食店街の小さな看板が急に活気を帯びてくる。3件ばかりはしごする。飲みながら感じたが、話が半分ほどしか通じないことである。できるだけ僕は標準語を話しいてるのだが、話が半分ほどしか通じない。那覇ではこんな感じはなかったが、こっちの言うことこは半分くらい、向こうの話しかける言葉はこっちにはサッパリ分からなく、ニュアンスで見当をつける程度である。あいまいに頷いているだけであり、結局何とも具合が悪い。相手も僕がどこから来たのか判断しかねているようである。那覇から?・・・、八重山の人でしょう・・・と聞いてくる。なるほどもうすっかり日焼けしてしまったから無理ないのかも知れない。相手もなるぺく標準語を話そうと努力しているらしいのだが、イントネーションやアクセントが違うためか、残念ながら半分も理解できない。ふと日本の中とは言いながら異国(・・・?)を感ずる。

 それでも沖縄では一番酒の値段が安いと言われている宮古だ。たどたどしい会話を続けながら3件目のはしごを終わったらもう既に時計は12時を過ぎている。ほとんど灯の消えた街から見る空はすっかり晴れて、星がとっても近く見える。再び北極星の低いのを見てニヤリとほくそ笑む。ホテルの前へ来てふと張水神社のヤシの木を見上げると半月がくっきりと浮かび、何とも言えない絵になっている。ヤシの木陰の月・・・、何となく帰りたくない気持ちでうれしくなる。シャワーを浴びたらそのままベッドへ・・・、ダウン・・・。

                                沖縄旅日記むかしむかし(9)へ続きます。


                                     2012.7.26     佐々木利夫


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沖縄旅日記むかしむかし(8)

 これは1971(昭和46)年4月から5月、まだアメリカの統治下にあり日本復帰を来年にひかえた沖縄へ、日本の北の果てとも言える北海道釧路からたった一人で出かけた旅日記である(別稿「私と沖縄復帰40年」参照)。
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