5月3日(月) 宮古島で海水浴

 目があいたら7時。電灯も付けっぱなしだった。8時50分朝食。雲がところどころに浮いている素晴らしい天気だ。チェックアウトして今日の宿泊先「宮古観光ホテル」へ向う。小路を抜け、人頭税石の前を通ってタクシーで。ホテルはゴルフ場の広い芝生の中にあり、平屋のもったいないほどの贅沢な作りである。時間が早いので部屋はまだ空いていないので、一応フロントへ荷物預けて車で熱帯植物園へ向う。石垣島もそうだったが、宮古もタクシーの基本料金は15セントであり、まずバス並みに気楽に乗ることができる。約10分、人も車も少ないうだるような熱気の中、アスファルトも溶けそうなほどの青空の下、植物園へ着く。入り口の夾竹桃、管理事務所の屋根から垂れ下がるブーゲンビリアに歓迎されて中に入る。入場無料。

 宮古島のほぼ中心、鍋蓋嶺の小高い丘陵地帯に作られた植物園で、珍しい亜熱帯、熱帯植物が約300種類以上もあるそうだ。いたるところ見知らぬ植物と色とりどりの花が咲き乱れている。ハイビスカス、アマリリス、テイゴ、僅かその程度しか名前は分からない。子供の日が近いので真っ青な空に鯉のぼりが僅かの風を受けて暑そうに泳いでいる。木陰に入っても風がほとんどないのでものすごく暑く、汗がにじみでてくる。三脚のついたままのカメラを肩にぐるりと一回りしたが、汗がどっと噴き出してくる。それにしても素晴らしい眺めである。11時半頃、車でパイナガ浜を通りホテルへ戻る。この晴天にパイナガ浜の美しさは例えようもない。

 しかし誰一人泳いでいない。もっともこの暑い日中に泳ぐのは観光客くらいなもんで、地元の人は年中泳げる上に普通はもっと日射のやわらぐ夕方に海に入るのだろう。部屋に入ってそのままホテルの裏の海水浴場へ向う。海水浴場といっても珊瑚礁の岩の切れ目の僅かの砂浜があるだけの場所であるが、小さな入り江に真っ白い砂が目にまぶしい。正面に伊良部島、空には2〜3片の雲、何という抜けるような青さだろう。始めてののんびり出来る今日の日、あわただしさに取り紛れて忘れていた落ち着きを取り戻す。海もまるで冷たさは感じられなく、そのまま入ると日に焼けた皮膚に心地よい。

 遊びに来たのだろうか、男の子3人を連れた父親が長男らしいのを連れてモリを持ち、水中眼鏡片手に沖へ泳いでゆく。残った2人は服のままで水の中でバシャバシャ泳ぎだした。何ともほほえましく楽しそうである。泳いではサンオイルを塗って、また泳ぎ・・・、またサンオイル・・・、海中に冷やしておいた昨日のホワイトホースの残りをチビチビやりながらタバコはポニー。午後の日差しはさすがにこたえ、時折掠める雲の陰にホッとする。

 4時近く、なんでも「まき まや」とか言う女優だか歌手だかのモデル撮影会があるとかで、本人が海岸にあらわれた。サンオイルを貸した縁で、ビキニのモデル嬢と一緒に写真を撮り(表題写真)、北海道から来たというと驚いた顔を見ながら4時半、部屋へ戻る。4時間以上も海岸にいたので、背中は真っ赤に焼け顔も相当に黒くなった。この肌の黒さが釧路土産だ。昼食も忘れたらしい。とにかく今日のギラギラと照りつける直角の太陽とむせかえるような木々の緑、抜けるような空と海、浜辺に打ち上げられた小さな貝やサンゴのカケラ、白い砂、ポッカリと浮いた雲、今日の宮古の海は何に比すべきもなく美しい。

 名所も旧跡も少ない宮古だが、この空と海のある限り、この古いしっとりした街のよさを持っている限り、幾度訪れてもストレンジャーを裏切ることはないだろう。端へ、遠くへと石垣か、叶うべくんば与那国まで行って宮古は省略しようと思った僕だったが、また同じように旅行者は宮古は敬遠しがちであると聞くが、決してそんなことはしないほうがいい。確かに石垣は素晴らしい、竹富も言葉にならぬほどの感銘を僕に与えてくれた。恐らく与那国も西表も素晴らしいところだろう。だからと言って宮古を省略していいという理由にならない。何も見るべきところがなくても、よそと同じような写真にしかならない風景しかなくても、この目で見、この膚で感ずる宮古は、やはり宮古以外のものではない。宮古だけの宮古にしかない何かがある。言葉にならず、フイルムにもならない何かが・・・ある。

 八汐丸で宮古へ着いて2時間の停船、この時間を利用してサッと眺めてそのまま那覇へ向おうかともチラリと考えたこともあったが、そうしなくてよかったとしみじみかんずる。宮古2泊、晴れるなら明日も泊まりたい、それほどの感激をいま僕は感じている。
 7時10分、日が沈む。真っ赤な夕日にこそならなかったが、ヤシの葉陰に雲間に隠れ沈む太陽、空はまだ青いのに夕闇が急に迫ってくる。それらはしっとりとした旅情で僕を包み、空に青さとは対照的な飛行機雲の直線がそれを一層かき立て悲しくさせる。歓楽極まりて哀歓多し、表現できぬ嬉しさが高まると哀しくなるのだろうか。

 夕食後、昨日は街へ出たが今日はおとなしくすることにした。背中がヒリヒリすると思ったら皮がむけてきた。いかにサンオイル塗ったといっても、少し焼き過ぎたらしい。暇なのでホテルのバーへ行く。何でも8時からダンスパーティがあるそうだ。ホワイトホース、ジョニ黒ストレートを飲みながら待つ。なかなか始まらない。2人〜3人と入っていくがさっぱり始まってくれない。入場料1ドル・・・、そのうちホテルの宿泊人は無料サービスしますから入ってくださいときた。さっそく会場へ入る。それでもなかなか始まらない。宮古時間といって、いつでもこんなのだそうだ。やっと始まったのが何と10時。全く恐れ入る。スターと踊ろうとかなんとか銘打って現れたのが、先ほど浜で逢った「まき まや」と「園圭子」とかの両人。バンドが始まったがみんななかなか踊ろうとしない。2〜3曲のあと、園嬢と、次いでまき嬢とスローテンポで踊る。

 鹿児島から来たという男性と二人で席につきながらパーティを眺め、ナポレオンを飲む。2ドル50セント。本土ならさしずめ5千〜6千円以上はするだろうに僅か900円、全く嬉しくなる。グラスを暖めながらゆっくりと口に転がしこむ。丸い口当たりがとっても爽やかで香りもまた格別である。ご機嫌だ。
 12時半、一応パーティは終了した。あとは有志で踊るそうだが退散して部屋(106号室)へ戻ると。冷房がひんやりと効いて、ほてった赤く皮のむけた背中に心地よい。明日は那覇・・・、もう寝よう。

                           沖縄旅日記むかしむかし(10)へ続きます。


                                     2012.8.1     佐々木利夫


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沖縄旅日記むかしむかし(9)

 これは1971(昭和46)年4月から5月、まだアメリカの統治下にあり日本復帰を来年にひかえた沖縄へ、日本の北の果てとも言える北海道釧路からたった一人で出かけた旅日記である(別稿「私と沖縄復帰40年」参照)。
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