5月6日(木) 沖縄最終日

 朝8時に起きる。外は雨、昨日も少し降られたが傘を使うほどでもなかった。今日はそうもいかないようである。旅行始めて以来の雨と言ってもいいだろう。ラジオが台風6号の接近を告げている。今のところ大した風もなく、雨もそれほどでない。明日の出港が気にかかる。なにか土産を買おうと思うが、何にしていいかさっぱり分からない。昼前、ホテルに残って明日の出発の整理を始める。大して買い物はしていないのに、荷物はだいぶ増える傾向だ。これに土産が増えるかと思うと何となくうんざりする。昼から那覇の税務署へ行こうと思うが少し億劫である。12時頃街へ出て琉球新報へ寄り、2ヶ月分の発送を依頼、1時ちょっと過ぎ税務署へ向う。

 バスターミナルのすぐ裏手にあり、わりと貧相な建物である。入り口には組合のビラがデカデカと張り出されており、職場の机の上にも賃上げ要求の三角柱が置いてあるなど、我々の職場の雰囲気とは相当違っている。2階の総務課へ行ったら、総務課長、署長とも不在とのことである。同じ階の所得税課へ行き、課長と会う。係長も3人、課長の周りに集まって色々と話が弾む。那覇には税務署がこの那覇税務署と北署の2つ、本島全体で9つ、他には八重山(石垣)と宮古にそれぞれひ1つずつの計11ヶ所あるとのことである。

 この那覇署は160名程度の規模で、所得税課は調査3係と資料、資産税の5つに分かれている。ここ沖縄では青色申告制度がないと聞いて驚く。そしてほとんどが事前調査重点で納税相談(4月1日〜3月31分を5月31日までに申告)で処理し、特殊事案以外は事後調査はしない方針とのことである。またタバコも酒も販売申請だけ出せば、誰にでも許可が下りるそうである。確定申告書、税額表、そのた色々用紙をもらってきたが、基礎控除が若干程度低いが扶養控除では90ドル、約32000円程度低い。また税率も高いようだ。

 北海道や釧路のことも色々と聞かれ、「雪の中を調査に行くんですか」と、さも寒そうに同情した顔つきで聞かれる。転勤の話も出て、転勤には必ず転居が必要だと告げると、みんなびっくりしている。言われてみれば、東京なんかではほとんどないのだから、驚くのがもっともかも知れない。また、外人税務署というがあって、外人及び旅行期間の長い滞在者、または現地人でない日本人も皆ここへ申告するとの話、はやり少なくとも今は我々は外人なのだ。3時頃謝して署を出る。

 すぐ車で守礼の門へ向う。ホテルを出た頃から雨は上がって、今は少し雲が切れて青空が見える。まったくついている。これで沖縄は一度も傘を使わなかったわけだ。まだ雲が多いが守礼の門、最も観光的な沖縄の風景だが、明日出港の今日、しみじみと感慨が胸を打つ。秘められた永い歴史が僕を引き止める。
 園北屋武御獄〜円鑑池〜円覚寺〜龍譚池〜・・・琉球大学に程近い緑の中の散歩は心が洗われるようである。博物館へ向う。展示場が2つしかなく、片方は紅型の展示をしてあったので展示物は余り多くはない。20分ほどで全部見てしまえるだろう。それにしても紅型は素晴らしい。土産品店で売っているのは紅型とはいえなうような感じすらする。

 近くのバスターミナルから首里バスで那覇港へ向う。この首里バスはそれぞれのバスに名前がついており、桂、楢、柿、紫、寿、竹・・・、何となくとおっとりとした感じを受ける。始発から終点まで7セント、安いもんだ。明日の出港の下準備として港へ行ったのだが、そこのガードマンに色々話を聞いているうちにいやに気さくな人間で、福島の出身だそうである。北海道から来たというと、「僕も知床、稚内へ遊びに行ったことがある」と言う。話が弾んで、土産品を買うならペルシャ堂(一応な派手は一流の店だ)に知人がいるから一緒に行こうと言う。渡りに船とばかり丁度6時に勤務が終わるというので15分ほど待って一緒に行く。

 女物エニカの時計34ドルを見て交渉すると、いきなり27ドルまで下げる。香水シャネル5番、パーカー万年筆、ロンソンガスライター、みな安く割り引いてくれる。彼の住所と名前を聞き、謝して分かれる。釧路へ帰ったら何か送ってあげよう。近くの店で紅型の財布を買い、最後の夜を料亭でもと思い波の上へ行く。しかし、各料亭、那覇、左馬、ことぶきなどもフリーの客は満員で席がない。残念ながらホテルへ戻り、荷物を置く。ホテルのレストランのウェイトレスに那覇で一番美味いステーキを食べさせる店は?と聞くと、波の上のシンディーだという。ふたたび波の上へ出かける。けっこうな味であるが、昨日のコザのステーキハウスには叶わないようである。9時半ころそこを出て、近くのスーパーマーケットで外国製品缶詰やソース、チーズ、バター、チョコレート、その他よく分からないまま数点を買い集める。まるで買出しである(あとで気がついたが、solt・・・、塩まで買ったには驚いた)。

 ホテルへ戻り、風呂に入ってホワイトホース飲みながらこの日記を書いているうちに早くも時計は7日の0時10分、あっという間に終わった沖縄、明日は離れなければならぬ。天候に恵まれて素晴らしい思い出となるであろう。「ストのためテレビ放映しておりません」とのテロップが沖縄テレビの画面に出ている。いかにも沖縄らしく、微笑を誘う・・・、と思う間もなく深い眠りである。

                               沖縄旅日記むかしむかし(13)へ続きます。


                                     2012.8.15     佐々木利夫


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沖縄旅日記むかしむかし(12)

 これは1971(昭和46)年4月から5月、まだアメリカの統治下にあり日本復帰を来年にひかえた沖縄へ、日本の北の果てとも言える北海道釧路からたった一人で出かけた旅日記である(別稿「私と沖縄復帰40年」参照)。
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