5月10日(月) 鹿児島入港、そして福岡へ

 コークハイで昨夜は9時頃眠ってしまったらしい。途中、2度ほど目を醒ましたが、4時に起きる。夜明けはまだのようだが、すっきりと目が醒める。顔を洗って甲板へ・・・・。南十字星が見えると名瀬の旅館の先生に聞いて、ちょっとショックだった。鹿児島からは年に数回しか見えないという。南十字星のことなど、どの旅行案内にもなかったので、全然今まで気にかけていなかった。きっと宮古や石垣では見えたのだろうな・・・と今更ながらに悔やまれてならない。北極星を見ていながら、南十字星に思い及ばなかった自分が恨めしい。船上から見えるかと上甲板一周りして目を凝らすが、残念ながらそれらしき姿は見当たらない。何か心残りである。

 佐多岬を過ぎて鹿児島湾へ入ったのだろうか、両岸に灯りが見える。5時、うっすらと明け染めた赤紫の東の空に、桜島がその雄姿を見せる。本当にすぐ目の前にある。頂上にたなびいているのは雲だろうか、噴煙だろうか。2度目の櫻島、再会の鹿児島も天気は上々のようだ。空はぐんぐん明るさを増してゆき、5時15分、もう港の近くへ入ったらしい。本当におだやかな船旅だった。

 5時半下船、岸壁を背にして櫻島が正面に三重、真っ赤な朝日が左肩から昇りはじめる。ポカッと朝日が浮かんでいるのはまるでそこに止まってしまつたかのように、波も煙も穏やかなままである。タクシーを拾おうと思ったが、近距離は乗車拒否にあう。旅館呼び込みが来て、朝食付きで休憩700円だという。場所は西鹿児島駅の近くだと言うし、タクシー200円、朝食2〜300円、それに荷物の一時預かり250円、計600から700円・・・、ざっと頭で計算して大差ないのでそこへ行くことにする。一眠りして6時半頃、朝食は未だなので駅へ向う。釧路までの指定券は1枚もないのだからちょっと心細い。計画のルートで申し込んだら、西鹿児島発のあかつき3号は満員だと言う。最初からケチがつく。大阪直行は諦めて13時45分初有明1号で博多まで、そこからつくし3号寝台で大阪へ、新幹線ひかり、はつかり、おおぞら・・・、どうやら釧路まで帰れそうである。

 旅館へ戻り、朝食。一階レストランで久しぶりのテレビを眺め、8時過ぎ料金を支払って荷物を預かってもらって街へ出る。1時までの時間では余り大したことはできないし、桜島もちょっと危ないと思ったので、市内観光バスAコースに乗ることにする。9時20分発なので、9時に西鹿児島駅前の銀行へ行って、ドルの両替をたのんだら、本店でなければ扱っていないとの返事。日本円残2000円足らず、ちょっと心細くなってきたが、バスの発車までには間に合わないので、一応観光が終わってからにすることに決める。

 前の九州旅行の時に乗ったコースと同じだが今日は快晴で、バスが停まるたびに窓から暑気が吹きこんでくる。磯庭園、南州墓地、城山公園・・・、馴染みのコースだが、どこへ行っても付いて回る桜島、ああなるほど、これは鹿児島のシンボルなんだと分かるような気がした。12時前鹿児島駅で下車、山形デパートの近くまで歩いて、三井銀行でドルを円に変換する。換率354円、90ドル交換したから540円の為替差損である。

 (後日における注)。事実上の円切り上げが始まっている。円でドルを買うときは公定レートの360円だが、逆のときはその日によって若干違うが、円高になっている。この年の8月15日、ニクソン米大統領の輸入課徴金問題、金の売買禁止など一連のドルショックで、日本の為替は9月変動相場制に移行し、円の切り上げを迫られた。11月1日現在、まだフロートの段階だが米側の15%、日本側の10%は話し合いが難航している。今のところ1ドル320円(12.5%の切り上げ)に落ち着くようである。

 12時半、近くの花の木というスナックでスパゲティを食べる。電車で西鹿児島駅へ。旅館へ戻り荷物を1個肩へ、両手に2つずつ持って汗だくで西口改札口へ。途中3回も休まねばならなかった。特急有明1号に乗り込みホッとする。車窓からの眺めは薄曇りの天気になってきたが、緑の色が爽やかである。博多乗り継ぎ、ホームを移る荷物が手に重い。駅前はこのホームから見る限りでは、この前の旅行の時よりきれいになったような気がする。寝台上段に荷物を積み込んですぐ横になる。SF小説読みながらサントリー小びんでコークハイ。すっかりコークハイづいてしまったようである。10時頃、眠ってしまった。それにしてもいやに揺れる列車である。

                                  沖縄旅日記むかしむかし(16)へ続きます。


                                     2012.9.7     佐々木利夫


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沖縄旅日記むかしむかし(15)

 これは1971(昭和46)年4月から5月、まだアメリカの統治下にあり日本復帰を来年にひかえた沖縄へ、日本の北の果てとも言える北海道釧路からたった一人で出かけた旅日記である(別稿「私と沖縄復帰40年」参照)。
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鹿児島、錫門