5月11日(火) 大阪〜新幹線〜東京〜そして北帰行

 2〜3度目を醒まして5時に起きる。6時33分新大阪着。いつもながら荷物には往生する。新幹線のホームは始めてであり、到着したホームからは相当離れている。エスカレーターはあるものの、5つの荷物は本当にこたえる。5分前にようやく列車に飛び込む。発車のアナウンスを録音しようとテレコを回していたのだが、よく見ると回っていない。外してみるとキャブスタンにテープがすっかり巻きついていてどうにもならない。外してほぐしているうちに切れてしまった。折りよく売りに来たサンドイッチのパンを糊代わりに貼り付けようとしたが駄目。B面半分ほど残っているが、諦めて次のテープに交換する。こんなことに一時間ほどかかってしまって、新幹線の情緒を味わう暇もない。少しテレコを酷使しすぎたのかも知れない。

 ひかり8号は定時に発車、東京まで3時間10分。確かに早くすべるような快適さだが、また同時に何とも味気ないのも事実である。13号車10番E、この車両は3分の1ほどの人しか乗っていなくて閑散としたものである。天気は快晴だが、スモッグだか霞だか知らないが見通しは悪い。富士山も見えなかった。10時東京着。またエッチラオッチラ3番ホームを上野まで。

 青森行き、はつかり3号は15時40分発だから、5時間近くも時間がある。この荷物を担いでは身動きもとれないので、改札口を出て一時預かり4個置き、カバン1個で外へ出る。あまり遠くまでは行けないし、今のところ九州から来たとは言え「おのぼりさん」に違いない。結局家出人と同じように上野公園へ。西郷さんの銅像を見てから東照宮が公開されていたので中へ入る。60周年記念とかで中まで見せている。まだ時間が余るので動物園へ入る。日曜でもないのにものすごい人出である。天気はよし、風は爽やかだ。さすがここまで来ると暑いと言う感じはなく、男はほとんど長袖のセーターが上着を着ている。小一時間見物してから上野公園に戻り、地下にもぐって食堂聚楽へ。大ジョッキ傾けて食事が済むと何となく眠くなってくる。

 アメ横をぶらぶら歩き、瑞穂と綾に土産を買う。小荷物一時預かりから荷物を引き出して、隣の赤帽へボストン1個列車まで運んでもらうよう預ける。思い荷が一つ減るとだいぶ楽になる。16番ホームから「はつかり3号」定時発車。あとは一路釧路へ向うだけである。目を閉じると、那覇での、石垣や竹富での、また宮古での、名瀬での出来事が、浮かんでは消え、また脈絡もなく浮かび、思い出が尽きない。絶好の天気に恵まれた沖縄。確かに沖縄は島である。しかし地図で見る島ではない。北海道をも含めた地図を書くときは、恐らくは宮古も石垣も、その地形すらあらわすことはできないだろう。まして竹富島なぞはないにも等しいだろう。

 だが俺は行ってきたのだ。この地に、己の足を踏まえてきたのである。食堂車での夕食、6時と言うのに暮れた空はコバルト色に光っていて、もう太陽の赤みはどこにも見られない。近くの山の稜線だけが、コバルトの空を背景に黒いシルエットとして奇妙なコントラストをさらしている。そこへ窓ガラスに写る己の二重写しの影へ、今はもう遠くなった石垣や宮古の海がだぶる。抜けるような空の青と海の緑が、もう遠くに去った思い出として物悲しく、この20日間の旅の終わりを寂しげに訴える。

 夜10時、福島あたりで寒くなってくる。ジャンパーを改めて引っ張り出すがなかなか寝付かれない。盛岡を過ぎて青森まであと2時間、寝台のないはつかり3号では眠れそうもない。連絡船で眠ることとし、起きていることにする。右側の車窓から一緒に走っている満月が見える。ウイスキーで少し酔ったらしい頭では、こんなことまでがとても嬉しく感じられる。ありがとう・・・。いい夜だ。


 5月12日(水)  青函連絡船、そして我が家へ

 0時30分発、摩周丸で函館へ。船内はまずまずの乗客だが、きゅうくつなほどではない。枕に頭をつけたとたんに眠くなってしまった。函館到着を知らせるアナウンスで目が醒める。4時だ。眠い目をこすりながら、おおぞら1号9号車へ。今日も車中で過ごすのがもったいないほどの天気である。駒が岳にもニセコ連峰にもまだ白いものが残っている。隣の席が釧路に行く若い女性で、青森の姉の家からの帰りだそうだ。話し込んだり、うたた寝したりして、札幌、帯広と列車は過ぎていく。1時45分、あと1時間10分で釧路へ着く。永い旅も、もう終わりだ。

 「旅の終わり」、まだまだ写真やテープ、資料の整理で旅の楽しさは続くだろう。しかし、現に旅は今ここで終わりを告げるのだ。旅は新しい発見の連続だった。すべてが強烈イメージを与え、改めて僕自身を振り返らせてくれた。旅へのあこがはれ人を詩人にするかも知れない。ロマンと驚きと新たな自分を求めての旅、この旅は十分にそれに応えてくれたと思う。沖縄の自然の美しさと、26年間の占領下の現状と、来年の本土復帰と、それらをひっくるめた僕の心の結論は出せないかも知れない。しかし、現実の基地の姿と、エメラルドの海は様々なものを訴えかけてくれた。この20日間の永い旅情と追憶の中から、僕自身の力で結論を熟成させてゆかねばならないだろう。
 これが、このことが、この旅の総決算となるだろう。

 駅から車で家に帰る。真っ黒な顔にみんな笑うこと、笑うこと。なるほどひどい顔だ。綾(下の子)など、しばらく近寄ってこない。


 あとがき

 こうして、20日間の沖縄への旅は終わった。何か、本当に旅だったと言う気がする。九州旅行は観光地へ着いて観光バスに乗って・・・、それがその地を見たことになった。旅行とは案外そんなものかも知れない。例えば札幌に観光に来て、どれほど札幌を見たことになろうか。一週間北海道の旅、確かに知床、稚内、阿寒、摩周、洞爺と代表観光地は見て回れるに違いない。これもまた旅行の一つの姿であるに違いない。

 しかし今度のは「旅」だったと思う。これほど事前に沖縄を研究し、予備知識を持っての旅はいままでになかった。しかも充分な計画の上でのフリーな計画、予約も何もなく、思うがままに自分の意思をぶつけることができた。自分でも驚くほど精力的に歩き回ることができた。この記録を読み返してつくづくと感ずる。

                               「沖縄旅日記むかしむかし」はこれで終わります。


  参考・沖縄旅行に当たって読んだ本

  書      名    著  者  名  等 発 行 所 発行日・昭和
沖縄歴史物語 山里永吉 勁草書房 43.3.5
沖縄ノート 大江健三郎 岩波新書 45.9.21
沖縄精神風景 牧港篤三 弘 文 堂 40.4.5
沖 縄 比嘉春潮・霜多正次・新里恵二 岩波新書 45.5.10
沖縄問題20年 中野好夫・新崎盛W 岩波新書 43.9.10
沖縄・70年前後 中野好夫・新崎盛W 岩波新書 45.8.20
沖縄の孤島   朝日新聞社 44.6.10
日本綴方風土記第8巻 九州・琉球篇 平 凡 社 29.2.25
沖縄からの報告 瀬長亀次郎 岩波新書 45.2.10
アメリカ戦略下の沖縄 朝日市民教室・日本の安全保障・第6巻 朝日新聞社 43.3.15
沖縄返還 朝日市民教室・日本の安全保障・別巻2 朝日新聞社 43.3.13
日本城郭全集No15 熊本・鹿児島・沖縄 大類 伸 43.3.10
沖縄・北方領土   北海タイムス社 45.5.20
森村桂沖縄へ行く 森村 桂   45.
新しい日本・九州3   国際情報社 38.4.10
沖縄・宮古島・石垣島 ガイドシリーズ20 日本交通公社 44.9.1
沖縄 ブルーガイドブック146 実業の日本社 46.


                                     2012.9.13     佐々木利夫


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沖縄旅日記むかしむかし(16・終)

 これは1971(昭和46)年4月から5月、まだアメリカの統治下にあり日本復帰を来年にひかえた沖縄へ、日本の北の果てとも言える北海道釧路からたった一人で出かけた旅日記である(別稿「私と沖縄復帰40年」参照)。
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