「そうか、もう君はいないのか」、このタイトルは私のオリジナルではない。2年ほど前に読んだ、作家城山三郎が書いた、亡くした妻についてのエッセイ「どうせ、あちらへは手ぶらで行く」(新潮社、2009年)に添えられていた副タイトルの勝手な引用である(別稿「こんな老い、こんな死」参照)。でも逝ってしまった仲間の記憶が頭をよぎるたびに、なぜかこの言葉が浮かび私の脳裏に付きまとって離れないのである。

 12月1日(日)夜、仲間や知人が多く集まって通夜が始まった。彼の信仰について話したことなど一度もなかったけれど、仏教式で送ることも、意味不明のお経の言葉が延々と続くことなども、今はどうでもいいと思っている。やけに明るく微笑んでいる彼の遺影が、明る過ぎる照明に照らされた祭壇から私を見ている。だが私は多くの参列者の中の一人でしかない。奥さんにお悔やみを伝えたところで、坊さんの説教を聴き、葬儀委員長の話を聞き、彼の旅行写真がショパンの別れの曲に乗って会場に映されたところで、そのことと彼の死とはどこか結びつかない。もっと言うなら、私がここにこうして参列していること自体がどこか「嘘臭い」ように思えてならない。

 通夜が終わる。三々五々に参列者は帰り始め、その中に私もいる。仮にこの場に残って棺の彼に声をかけたところで、それもまたどこか自意識過剰の演技であり、嘘っぽいような気がしてくる。事務所近くを通る仲間の車に同乗させてもらって、一人の夜の事務所へと戻ることにする。自宅まで送ろうかとその仲間は言ってくれたけれど、今夜は事務所で一人の通夜がしたい。そんな気持ちでいつもの椅子で冷たい日本酒をグラスに注ぐ。酔いは少しも回ってこない。夜も更けてきて、当たり前のように自宅へと向かう私の姿がJRの駅のホームで風に吹かれていた。「一人の通夜」なんて粋がってみたところで、所詮はこれしきの思いでしかないと、どこかで感じていた。

 12月2日(月)は告別式であった。人が他人の痛みや死について鈍感であることを知らないではない。転げまわるような痛みを訴える人を目にしたところで、私はちっとも痛くなんかない。同情や共感はできても、私自身が痛いわけでも苦しいわけでもない。これしきの存在として人が作られてきていることくらい、当たり前のように私は理解してきた。彼の死も、結局はそうなのだろうか。やはり他人の死でしかないのだろうか。その通りだという声がどこかで囁いている。

 火葬場へ行く時間が迫り、別れのセレモニーが始まった。参列者が棺を回る。一輪の花を添えて私は棺の中の彼を見た。眼鏡をかけたいつも通りの彼がそこに横たわっていた。だがその目が再び開くことはない。突然に、まさに不覚とも思えるように涙が滲んできた。棺のへりを拳で軽く叩いてしまった。つい数日前に話した彼がもう居なくなってしまう、そのことがどこか理不尽で口惜しかった。先に逝ってしまった彼が、どこか身勝手で無責任であるかのように責めている私がいた。

 人はなかなかすぐには死なないものなのかも知れない。人が必ず死ぬことくらい当たり前に分かっている。彼が死んだことだってちゃんと理解できている。でもそのことと、彼の死を納得できることとは違うような気がする。事務所の電話が鳴る、留守電が点滅している、来客が事務所のチャイムを鳴らす、そんなことにもふと彼が出てくる。寒いプラットホームで一人で電車を待っているときに、方向の違う電車を彼と二人で待っていた飲み会帰りの姿がふと浮かぶ、なんにもすることのない事務所の空白にもポカッと彼が出てくる・・・、普段なら決して考えることなどないのに、ふと予感なく彼が浮かんでくる。そしてその度に「そうか、君はもういないのか」が頭を通り過ぎる。日に何度もその言葉が私を襲う。そして言葉はそこで止まってしまう。それは私の中で彼がまだ、きちんと死んでいないからなのだろうか。

 人は二度死ぬという言葉を聞いたことがある。一つは私たちが普通に理解している死であり、もう一つは「その人を忘れてしまう」ことによる死である。そうした意味では、彼は私の中でまだ死んでいないのだろうか。忘れきってしまうという長い時間をかけて、人は少しずつ、本当に少しずつ死んでいくのだろうか。

 彼の死は、彼自身が望んだような死だったと思っている。「やり残したことがないとは言えないが、十分に満足した生き方だった」、告知を受けてしばらくしてから彼は自分の人生をこう話したことがある。仕事も、妻との生活や旅行も、子が生まれ孫ができ、そしてそれぞれが元気で過ごしていることも含めて、満足できる人生だったと話していた。だから彼の死は、私にとっては「格好のいい死」だった。
 あえて理想的な死とは言うまい。それでも「できることはやった」上での、了解できる死であったことは認めざるを得ない。

 それでも私はどこかで、私が思い描いている「じたばたする人生」を、もう少し彼に押し付けてもよかったのではないかとの思いから離れられないでいる。自分の死に対する決定権が、自分にあることを否定しようとは思わない。本人が「これで良かったのだ」と思うなら、それを一番に尊重すべきだと思わないではない。それでもなお私は彼に対して、もう少し「じたばたして欲しかった」との思いから抜けられないでいる。それを後悔と呼ぶのではない。もしかしたらそうした思いは「私自身の身勝手さ」によるものではないかとすら感じている。でもどこか苦いのである。彼が「そうか、もう君はいないのか」と私の中に姿を表すたびに、そうした苦さが付きまとってくるのである。

 それは彼の死が「格好良かった」からなのかも知れない。私の中でそんな「格好良さ」に対して、少し嫉妬しているからなのかも知れない。もっと格好が悪くて、人間臭くてじたばたする死、そしてそんな死が人の死なのだと思いたい気持ちが私の中に残っているからなのかも知れない。私は、彼が抱いたであろう命への思いの中に、怖いとか、悲しいとか、不安だとか、そんな弱気なものがあって欲しかったと思っているのだろうか。
 だからと言ってどうしたらよかったのか、私には何の答えもない。抗がん剤治療や放射線治療を受けたほうが良かったなどと言いたいのではない。でも彼の死までの時間は、その死を回りの者に納得させる区切りとしてはまるで足りなかったのではないかとの思いから抜けきれないでいる。そして悲しんでくれる人が一人でもいるなら、その人のためにも「生きることへの執着」を、その人の記憶の中に残す努力をして欲しかったと思ってしまうのである。もちろんそれが私だけの身勝手な思いであり、決して彼を責めているのではないことくらい、私自身が知っていることではある。

 そして今日も何度となく「そうか、もう君はいないのか」を繰り返す。それは恐らく明日からもまた同じように繰り返されることだろう。残された者はその人の死が本当の死になるまで、そうした思いの中を彷徨い続けていくのかも知れない。

 彼から届いたメールの中に、今でも気になっている一通がある。2013.10.25 金曜日 午後1:23着信、死の約一ヶ月前に受けた一通である。それにはこんなことが書いてあった。「医者の言うことは、余り信用できません。来週月曜日と火曜日の検査予定が入っています。火曜日は緩和ケアの面談です。当初から緩和ケアの予定でしたが、来週火曜日になってしまいました。」、これだけである。これがメールの全部である。

 短い内容だけれどこの医師不信のメッセージは、私に何かを伝えたかったように思えてならない。彼は最後まで自己決定を貫いた。自分の命さえもその決定に中に含め急ぎ足で去った。そして彼は身の回りの医療関係者に対して感謝の言葉を残したとも聞いた。でも、医師に対する不信の思いもまた、私は何度も彼から聞いたことがある。こうした感謝と不信の間を行き来する揺らぎは、彼の命に対する迷いの一つなのかも知れない。彼が何を伝えようとしたのか、それともこのメッセージを「命への迷い」と感じてしまう私の思いそのものが思い過ごしなのか、私はいまだにその答を見つられないでいる。彼にその疑問を聞き返すこともできないまま、その迷いは私の中に滓のように残ったままになっている。

 (3)「ガンとの闘い」で書いた苫小牧の仲間と、久しぶりに私の事務所で飲んだ。いつもの三人が二人になっていた。12月16日の夜だった。通夜に参列して事務所に戻り、一人で飲んだその時から始めての酒であった。断酒を意識していたわけではなかったが、飲む機会がなかったことや自宅でも飲むような気力がなかったこともあり、久しぶりの酒になった。そして酒を飲むことでしか彼を偲ぶ手段のないことに少し残念なような気がしていた。いつものスナックは、ママの妹が突然心筋梗塞で倒れ意識不明になったとのことで休業していた。苫小牧の仲間とは死んだ彼と通った別の居酒屋に行き少し飲んで別れた。私はその居酒屋に残ったまま一人で飲んで、自宅へ戻って更に少し飲んで・・・、なんか中途半端な思いの残った一日だった。

 これまで彼の思い出を5回にわたってここへ発表してきた。追悼文などと言うにはおこがましい駄文だが、少なくとも彼への素直な思いである。ともあれこの5回目を以って一区切りにしたいと思っている。彼の死は、まだまだ私の中に残り続けるだろうけれど、少しずつ薄れていくことの中に彼を押し込めることもまた、彼との思い出になっていくことだろう。それでいいんだと、考えるようにしている。どうせ私も彼と同い年なのだし、心は「いつお迎えがきてもいいよ」の覚悟と、「でも今すぐでなくてもいいよ」との未練の間に揺れているのだから・・・。


                                     2013.12.18    佐々木利夫


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