羨ましいと思ったわけではない。真似したいと望んだのでもない。トルストイの小説「アンナカレーニナ」は「幸福な家庭は全て互いに似ているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」というフレーズで始まっている。これは喜びは人に共通しているけれど、不幸や老いや死などのマイナーな状況はその人それぞれのものだといいたかったのであろう。だから老いることも死を迎えることもそれぞれその人固有のものであって、決して共有や共感などできるものではないのかも知れない。

 そうした思いを理解しつつも私は、羨ましいのとは別にこんな老いやこんな死も、人生としてありかなとこの本を読みながら思ったのである。老いや死を直接書いた本ではない。2007年に79歳で生涯を終えた作家城山三郎の「どうせ、あちらへは手ぶらで行く」(2009年、新潮社)を読み終えての感想である。タイトルは己の死への覚悟というか気構えを思わせるが、副タイトルには「『そうか、もう君はいないのか』目録」とあるとおり、彼の死の7年前に68歳で亡くなった妻への回想である。

 この本は彼の執筆というよりは、発表を意図していなかっただろうノートへのメモから引用したものである。遺族が没後にそのノートから選択して一冊に纏め上げたのだから、そうした意味では本人以外の思惑による意図的な編集が加えられている事実は否定できないだろう。没後2年にしての刊行であり、自身はもちろん親族や知人などの他者に対するプライバシーにも配慮する必要があるだろうメモだからである。恐らく副タイトルどおりに亡き妻に関する部分を中心に纏められたことに違いはあるまい。

 だがそうした亡き妻への思いとは別に、私はこの著作の行間に垣間見える城山三郎本人の老いへの実感、死への思いになぜかしみじみとした共感を抱いたのであった。彼の死は急性肺炎で入院し、間質性肺炎を併発してのものだったから、私たちが想像するような大往生とは少し違うだろう。また入院中の死だから、いわゆるポックリで代表されるようないわゆる突然死とも少し違うかも知れない。79歳はそれなり高齢ではあるけれど、まだ老衰と呼ばれるには少し早い年齢でもあるだろう。

 それでもなお私は彼の死への向き合い方というか老いへの思いに、どこか身近なものを感じたのである。彼の老いの感じ方は決してきれいなものばかりではない。本という形で発表されることなど考えることなしにメモしたものだろうから、時に赤裸々であり時に素直でもある。だからこその実感があり共感がある。

 城山三郎はどちらかというと経済小説家としてのイメージが強く、私の好みのジャンルの作家とはいささか違っていることもあってそれほどなじみがない。こうして800本を超える私の雑文の中でも彼が登場する場面は、僅かに「老税理士のすさび(3)」の中に「逆境に生きる」からの「一期の盛衰、一杯の酒」の引用、「ひとつのいのち」の中での詩「旗」の引用、「非常識な憲法9条」の中での「戦争で得たものは憲法だけだった」というフレーズの朝日新聞天声人語からの孫引きくらいに止まっている。

 それでも今回読んだこの本の行間からは、彼の老いへの思いが素直に伝わってくる。それを「じたばた」とは言うまい。言わないけれど、少しじたばたしている感じがどことなく身近でありユーモアもあり、私の今と重ねることができるような気がしたのである。

 歩け 歩け(P108)

 このごろ わが家では/いろいろな物が歩き出す/メモが歩く/メガネが歩く/鍵が歩く/原稿まで歩く/約束も歩く/言ったことも/言われたことも/歩き出す/歩くだけならいいが/駆け出すやつもいる/百キロマラソンに/出かけるのもいる/たいていは/忘れたころ戻ってくるが/そのまま天国に行って/待っているやつもいる/どうせ あちらへは/手ぶらで行く/みんな気ままに/天に向って/歩け 歩け/


 
物忘れを皮肉った詩なのだろう。体がふらつき足もともおぼつかないし(P113)、とにかく物忘れ、物探しに明け暮れて、疲れる(P115)ようだ。50s前後の体重の僅かな増減の変化に、ほぼ全編を通じて気を配っていることは素直に伝わってくる。酒飲み過ぎて前後不覚になったり夜一度しか起きずに朝まで熟睡できたことに快哉を叫ぶ(P136)などにも共感できるものがあるし、突然思い立った箱根行きのバスに同乗した老人やオバタリアンの喧騒や車内宣伝のうるささへの不機嫌(P114)などにもさもありなんとの思いが伝わってくる。

 彼の生き様と私とはまるで違う。生活にも環境にもほとんど共通項がないと言ってもいいだろう。それはそうなんだけれど、この本からは老いていくことへの淡々とした思いが実感として伝わってくる。それは決して達観だの悟りだのと言った抽象的な思いではなく、むしろ「軽いじたばた」からくる共感であることに、素直に私自身を重ねることができたのかも知れない。

 タイトルの「どうせ、あちらへは手ぶらで行く」は上述の「歩け 歩け」からとったものであろう。そしてそのあちらとは黄泉の国への旅立ちを意味しているのだろうが、この著書を読む限り彼がそれほど身近に死を意識したような場面はない。いずれ妻のところへ行くだろうことは感じていたかも知れないけれど、このタイトルから感じられるような「死への覚悟」みたいな意識はほとんど感じられない。せいぜいが「それほど遠くないいつかは死ぬかも知れないが、それまではせいぜい我が身を大切にしてゆっくり生きていこう」みたいな思いが本音ではなかったかと思う。その「ゆっくりの中身」がたとえ「体調不良」や「深酔い」や「寝不足」や「ふらつき」であったにしてもである。


                                     2011.11.29     佐々木利夫


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こんな老い、こんな死