プログラムとはコンピューターの作業を命令する手順である。始めはマシン語と呼ばれる二進法、実用的には16進法による味も素っ気もない英数字二桁の羅列であった。それが少しずつ進化してきてフォートランやコボルなどの翻訳言語という英語ではあるが命令と単語が結び付けられるようなものの組み合わせに変わってきた。
 私がパソコンと呼ばれる趣味人にも手に入るような安価なマシン(それでも数十万円はした)を手にしたときには、BASIC(ベーシック)という言ってみれば「加算せよ」、「くり返せ」、「1か0かで命令の順序を変えろ」、「印刷せよ」などといった、単純な単語の組み合わせで命令を作れるような専門語が普及してきた。

 私がパソコンにチャレンジしたのは、今から50年近くも前になる(別稿「私のパソコン事始め」、「コンピュータがやってきた」参照)。夢中になってゲームや円周率や仕事のデータ分析などのプログラムに挑戦したものである。その後もコンピューターそのものの進化に伴いプログラム言語も進化を続けていった。だがやがてパソコンは持ち主が自分でプログラムを作って楽しむマシンから、専門家の作ったプログラムをマシンに組み込んで利用するものへと変化して行った。その典型的な変化が「ウインドウズ95」の発売であった。

 ウインドウズ95の発売は、パソコンをたとえそれが素人にしろ好事家のマシンから大衆のマシンへと変身させることになった。ただそうした変化は、パソコンがまるで中味の見えない(つまりプログラムの内容が利用者には分らない)マシンへと変化させていくことでもあった。コンピュータは他人の作ったプログラム(つまり、ソフト)を単に利用するマシンへと変身していき、まさにブラックボックスへと変わっていったのである。そしてそれはそのまま私のプログラム言語からの離脱でもあった。

 もちろんそうしたソフトは、私とは格段に実力の違う専門家の作ったものであり、内容、スピード、エラーの少なさ、実用性・有用性なども比較にならなかった。とは言ってもプログラム言語そのものが秘密であったわけではない。ウインドゥズというアプリケーションに対応する言語は誰にでも公開されており、一冊千円前後の解説書を購入することで私にも作れる可能性はあった。だがコンピューターの機能そのものが、インターネットやメールの送受信など、私がベーシックやフォートランで学んだ時の言語の命令の範囲をはるかに超えるものになっていった。そうしたハードの進化に、老骨の身が追随していくのはとても難しいと分った。それで新しいプログラム言語への挑戦は、多少の食指を誘うことはあったものの結果的に私の前から消滅していくことになった。

 ところでそうしたプログラムの進化が、全く別の方向へと進化していっていることが、つい最近見たTED(テッドカンファレンス、NHKeテレで毎週放映しているアメリカでのトーク番組)で分ったのである。登場したのはプログラム言語の開発者であった。

 彼は、パソコンのモニター画面に表示された、例えば「絵の選択」、「右へ動く」、「声や音を入れる」などの表示のあるアイコン(小さな画像)を選択し組み合わせることで、自由な動きを持つ映像などが自作できるプログラムを開発したのだそうである。しかも自作した画像などを簡単にインターネットに公開できるのだと言う。またそうした公開された他人の映像を自分のパソコンに取り込んで、魚の絵をライオンやにわとりに変えることもできるし、背景に自分の撮影した写真を使うような加工もできるのだそうである。そのほか絵の移動や拡大縮小なども自由にできるようで、結果的には他人の作品を利用して自分のオリジナルな作品を作ることも可能になる。

 彼の83歳になる母親が、彼が作ったこのプログラムを利用して作ったという1枚のコンピュータ画面を示した。その画面を見ながら彼は「賞をとるような作品じゃない、プログラマーになろうという気持ちもない、それでも母は表現の幅を広げることができた」、「これを通じて息子と交流できたし新しいことを学べた」と言う。そのことを否定するつもりはない。母が息子を誇らしいと思ったとしても、その気持ちに水を指すつもりもない。

 ただ彼が、彼の作ったプログラム言語を多くの子ども達が覚えることで「学びが学びを生む」だとか、「コンピューターの利用によって子供の表現力が増す」、「プログラム言語は難しい記号から開放されて、子供たちにも理解できるものになった」、「子供にとって必要だ」とまで言い切ることに、どこか疑問を感じてしまったのである。

 彼の思いの筋道に間違いがあるとは思わない。また、彼がプログラマーなのだろうから、自分の開発した言語が子供にも理解できるものだとする自慢したい気持ちも分らないではない。だが、その発言が例えば「福島産の米はどこよりもおいしい」という表現を福島の人から聞いているような、どこか手前味噌の臭いがしてならなかったのである。福島の米の話題は、それに「東日本大震災」という味付けを加えることでその臭いを多少なりとも消すことができる。しかし、彼の言うプログラムにはそんな味付けがないから、結局は自画自賛の臭いだけが残ってしまうような気がしたのである。

 言葉は手段でしかない。もちろん、言葉なしには思想も文化も芸術もないだろう。そういう意味では、プログラム言語といえども言語の一つだろうし、それは音符や文字も同じであろう。もしかしたらダンスの振り付けをすることだって同じかも知れない。だが文字を覚え言葉を理解することと、小説を書くこととはまるで別物だと思うのである。音符を覚え五線譜の機能を理解したところで、それだけで作曲や演奏ができ、ベートーベンやモーツアルトになれることとはまるで違うと思うのである。そうした音符から音楽への飛躍を、彼は理解していないような気がしてならなかったのである。手段と目的が混同していると感じてしまったのである。

 彼は「大切なことが学べます」と言う。本当にそうだろうか。興味ある者にチャレンジできる環境を与えるのはいい。でも言葉を覚えることと、人の前で演説し感動を与えることとは、全く、完全に、そして徹底的に違うのである。何にだって学ぶことはできる。絵手紙にも、詩吟や散歩やスイミング、なんなら世間話やケンカ口論にだって、そこから人は学びを見つけることができるだろう。

 にもかかわらず彼のスピーチには、「こんな簡単なプログラム言語を開発しました」ということと、「子供の学びのためにはこれを利用することが必要です」とが、あまりにも近づき過ぎていたのがどうにも気になってしまった。世の中のどんなつまらないことに対しても、「そのことが教養を高めます」みたいな連結は可能であるだろうし、事実そうだろう。

 そこまで連結してしまったら、詩を作り、歌を歌い、弱い者を慰めることだって「世界の平和」につながるかも知れない。もしかしたらテロリストは原爆を使ってアメリカを壊滅させることの中にこそ真の世界平和があると信じているかも知れない。それは募金箱の中に私たちが10円を投げ入れることにも、畑で野菜を作ることにも世界の平和はあるかも知れない。でもなんでもかんでも「世界平和」につなげてしまったら、その接続詞は無意味なものになってしまうのではないだろうか。そうした連結そのものには意味がないような思いを、私はこのプログラム言語開発者の発言に感じてしまったのである。そしていつものへそ曲がり癖が出てきて、そうした乖離や普遍性のゆえに彼のスピーチそのものにどことないうさんくささを感じてしまったのである。


                                     2013.10.9    佐々木利夫


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