1 広がるDNA鑑定  朝日新聞切り抜き  2005.2.16

 「60兆個とされる人間の細胞に存在するDNAには二種類ある。・・・核DNAとミトコンドリアDNAだ・・・。現在のDNA鑑定は、1億8千万人の中の一人を特定できる精度となっている」。犯罪捜査から災害や戦没などによる遺骨からの識別、更には人類の起源などまで様々な分野にこの手法は使われている。たった一個の細胞に含まれているDNAが生殖によって手が手となり、足が足、心臓が心臓になるなどの奇跡的な情報を遺伝子として秘めている。こうした奇跡とも思われる不思議さはどこからきたのだろうか。

2 野宮(のみや)の別れ 書籍のコピー、時期不明

 六条御息所については既に発表したけれど(別稿「六条御息所」参照)、これはその朝顔の姫君、つまり娘の話である。源氏との恋に疲れた六条御息所は、新しい斎宮に選ばれた娘に付き添って伊勢下向に付き添うことにする(賢木)。朝顔を一人の女として書こうと思ったのが、結局は六条御息所の苦悩を示す物語になってしまいそうなので未完のままコピーになっている。そう言えば、「勝手に源氏物語」もしばらく筆を折ったままになってしまっているなあー。

3 大間のお盆  メモ、NHK朝の連ドラ「私の青空」 2000.7.15 

 大間ではお盆の夜は墓地で遊ぶのだそうである。墓地で花火もやっていた。死者との交流をこんな形で残していることに、どこか羨ましさを感じたのだろう。それは死を生との絶対的決別だと感じている現代の常識に反論する一つの例外として痛烈に私たちを批判する。

4 テレビの嘘 メモ、 ニュースかドキュメンタリー番組 2000.7.14

 夫も妻もリストラされてハローワークで職探し中だがまだ無職、つまり無収入。高校生らしい娘がバイト(フリーター)をしていて、これがこの一家を支える全収入だと番組の解説者が言う。言葉として分らないではないけれど、この番組の構成にはとんでもない嘘があるように思えてならない。マスコミは時に事実を捻じ曲げてまで人々の同情や共感を得ようとする。

5 ロストロポービッチの言葉 時期出所不明

 「自分の良心にしたがって行動さえすれば、・・・」、ロストロポービッチ(1927〜2007、ロシアの著名なチェリスト)の言葉だそうである。こんな気恥ずかしい言葉を堂々と言えるそんな気迫や気概に、民族とか国境とかレジスタンスなどという、言葉を超えた膚での思いがどこか身に沁みてくる。

6 「やらせ」 メモ、時期不明

 「やらせ」というのはどこか「筋の通ったシナリオ」があるんだと思うから、そこは我々には絶対に分らない。だから我々はそのシナリオの中からその「やらせ」を見破るしかないと思う。

7 アンデス文明 メモ NHKテレビ、2000.8.29 

 アンデス文明には文字がなかったと言っていた。文字のない文化というのはアイヌもそうだからそれほど珍しくないのだろうか。文字というのは何なのだろうか・・・。

8 音楽を聴きながら メモ、時期不明

 駅立ち売りの日経新聞を机の上に広げ、少し香りのよいインスタントコーヒーを片手に曲を聴いている。橘いずみは「楽しいふり、感じてるふり、迷ってるふり、傷ついたふり、わからないふり、ふりをするふり・・・」と歌っているけれど、人はいつも何かのふりをし続けていかなければ生きていけないのかも知れないと、ふと感じます。

9 したり顔の大人 メモ、時期不明

 学級崩壊だの、援助交際だの、顔黒だのと、最近の子どもについて「困ったもんだ」と嘆くのは分るけれど、したり顔の大人にもそれ以上に困ったもんだ。マッチの火のつけ方を教えるというけれど、我々だって火打石の使い方を習ったわけではない。ガキ大将がいないからイジメがエスカレートするというけれど、昔だってイジメられた側の苦しさに変わりはない。トンボの尻尾をむしったり、蛙の解剖もやったけれど、それで命の尊さを知ったとも思えない。大人も子どもも変な時代になってきている。

10 サクセスストーリーの陰で メモ、2000.8.30

 NHKプロジェクト]は、中島みゆきのテーマソングが番組のイメージに合っていることもあって、興味深くみせてもらっている。この番組はいわゆる現代版太閤記(成功物語)ともいえるものであって、日吉丸のサクセスストーリーと同じように血湧き肉踊る。しかし、成功の陰に沢山の失敗者のいることをこの番組は伝えていない。歌手、運動選手、芸術家・・・、一流になれた者の陰にどれだけ多くの敗残者がいたことか。忘れられ、一顧だにされなかった、成功者よりもずっとずっと多くの成功しなかった者の存在・・・

11 算数と法律 メモ、2000.7.24

 私なんかは特に、教わった知識にとらわれがちなものだから、「バラの花一本」と「チューリップ一本」、足して何本と聞かれたら、迷わず二本と答えるように習慣付けられている。でもこれは、本当はとっても変なことなんではないかと、この頃思うようになってきた。1+1というのは、「バラの花一本」から「バラの花」のイメージと「何本」という計量単位を全部捨ててしまって、そこから「1」というイメージだけを取り出したからチューリップと足し算ができるのである。スイカ2分の1、リンゴ2分の1、合わせて一つ・・・というのは、現実には何の意味もない。意味がないどころかこんなことなど絶対ありえない。ところで、捨象できないのが法律である。刑法199条は「人を殺したものは死刑」とある。たったこれだけの中で人とは、殺すとは、死刑とは・・・
 (メモはここで終わっている。私はここから何を書こうとしていたのだろうか)

                          雑記帳にはまだまだ残っています。雑記帳始末記(2)



                                     2013.2.13     佐々木利夫


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雑記帳始末記(1)
自作のホームページに雑文を発表してから10年になる。資料として作成したメモや切り抜きなどは発表したつど処分しているが、作品にできなかったものが残ったままになっている。それは作品にするだけの力がなかったことを意味しているのだが、それでも私の感性に訴える何かを含んでいたことだけは事実であろう。このまま朽ちさせてしまうのもどこか忍びないものがあり、処分する前にここへ刻むことにした。