前回の「生と死(1)」では、人工心肺の発明が生と死の境目を不確かなものにした元凶であるかのように書いた。元凶なんて言ってしまうと、まるで人工心肺が諸悪の根源みたいな表現になるけれど、そこまで悪だと断定したいのではない。ただ、生と死の境目を不確かなものにし、私たちが抱いてきた死生観を混乱させた大きな原因になっていることを指摘したかったのである。

 さて、本題に戻ろう。私たちは長い間、二元論の中で死生を捉えることにそれほどの違和感を抱かないで過ごしてきた。それは違和感を抱かなくても格別不都合がなかったからである。もちろん死の判定や死亡時刻の確定が、相続や事業の承継などに重要な影響を与える場合があるだろうことを理解できないではない。でもそれはあくまでも「事務的な死の判定」であり、他者との別れ.、つまり永訣としての死とは必ずしも結びつくものではなかったような気がする。

 それは多くの場合、死は葬送と結びついており、死と葬送の間には一定のタイムラグ(死を了解できる時間・余裕)が存在していたからなのかもしれない。仮に死の判定を誤って死者が蘇生して呼吸を始めるようなことがあったとしても、このタイムラグの間にその誤りを修復できただろうからである。つまり、死は「この瞬間」に限定される事象であることに、それほどこだわる必然性がなかったのだと思う。仮に「この瞬間」を死と判定したとしても、その死者は葬送の儀式を通じて「ゆっくり」と死者になってゆくことを承認されていたように思うからである。人はゆっくり死んでいくことが、社会的にも承認されていたということである。

 ところが、そうした意味での死が、認められないような時代が訪れた。昔から「死に支度 いそげいそげと桜かな」(小林一茶)との思いはあっただろう。だがそれでもこの歌にはまだ、ゆとりがある。死を客観的見て、むしろ茶をすすりながら己の死を考えるだけのゆとりが残されている。だが、人工心肺の発明がそのゆとりを奪ってしまったのである。そしてそれに更なる追い討ちをかけるように、「臓器移植の可能性」が死の判定を急かすようになった。

 死はそもそもそんなに切羽詰ったものではなかったのではないだろうか。もちろん、医療の現場などにおける蘇生を考えたとき、まさに生死は切羽詰ったものとなるであろう。そのことを否定するものではない。しかし、そもそもある人の死を私たちが死として承認するのは、基本的にゆっくりで良かったはずなのである。人にはゆっくりと「他者の死を味わう」だけのゆとりが認められてきたのである。

 死はもちろん生と対立する一義的なものだとは思う。とは言え世の中には、私の知らない死は無数に存在する。明日も明後日も新聞の朝刊には、私の知らない多くの訃報が掲載されることだろう。そうした人たちの死も、死であることに違いはない。そしてそうした死は、「北海道における個人の死」としての意味を超え、日本人の死、世界の各地の人の死へと結びついていく。

 そうしたとき、私にとっての実感できる死とは、中東のテロによる死でも、難民の多くの子どもたちが地中海で難破したことによる死でもない。アフリカやヨーロッパでの死は、死でないと言いたいのではない。ただ、少なくとも私たちにとっての死とは、肉親や知人の死を意味するのではないかと思うのである。こういう言い方をすると誤解を招くかもしれないけれど、「ゆっくりと味わう死」が死であり、「偲ぶ死」こそが死であると、私たちは自らの意識の中で、そんな風に理解していたのではないだろうか。そして私も、そんな死こそが本質的に人の中にある死なのではないかと思っている。

 こう考えてくると、私たちは死にも「程度」もしくは「距離感」という概念が適用されるのではないかと気づいてくる。「死の味わい」もまた連続した感触なのではないかという意味である。それを単に肉親と死者の距離の差とだけに断定してしまうことはできないかもしれない。知人や先輩などの死に、肉親以上の近さを感じる人だっているだろうからである。

 ここにもまた連続の罠が出てきた。死もまた連続なのだろうか。私はそれならそれでいい、つまり連続であってもかまわないとも思っている。私たちが納得し理解している死だって、つまるところ「絶対的な死」を基準にして考えたなら、まだ中途半端な途中経過の中にある死であることを否定できないからである。

 恐らく私たちは「生への不可逆性」をとりあず死の基準として考えたのであろう。もちろん不可逆性の範囲を超えて、死を理解することだって可能である。心臓が止まり、呼吸が止まっても、恐らく毛根は生きていて髭が伸びたり爪が伸びることだってあるだろう。正確な知識を持っているわけではないけれど、細胞というレベルで考えるなら、身体の一部の腐敗が始まってもなおまだ生きている細胞が身体に残っていることは十分に考えられるからである。

 だから我々が理解している死も、一種の連続の途中における妥協だと言っていいのかも知れない。「全細胞の死でなくても、ここまでで死を判定してもいい」との妥協が、私たちの死の理解の中にあるということである。その基準を生への不可逆と呼んだのだろう。

 だから不可逆といえども、一種の「程度」であり「過程」の中にある考えである。「ここまで、・・・これを過ぎず」と長い習慣の中で、私たちはその程度を決めてきたのである。それは死の絶対的判断をつけることが難しいからこそ、やむを得ず選択した「妥協」だったのかもしれない。だが時代は、その「程度の範囲」という幅のある分野へ、科学や倫理という名によるメスで無理やり切り込もうとしているのである。

 「死の再定義」の強要の時代がきたのである。科学者や政治家や識者と称する一部の人たちが、私たちが長い間をかけて作り上げ、理解し、納得してきた「死の定義」を、力ずくで変更しようとしているのである(続く)。


 「死」はこんなにも身近にありながら、身近であるがゆえなのかもしれないけれど、一層不可解なものになってきているように感じる。死の意味もまた、私の中で混乱しています。「死の再定義」とタイトルを変えて、もう少しこのエッセイを続けたいと思います。


                                     2017.5.25        佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ
 
 
 
生と死(2)