かくて停電が始まった(別稿「停電40時間初体験」参照)。それでも当初は、私の住むマンションの廊下灯が点いていたものだから、停電はマンションの部分的な回線故障にとどまり、すぐにも復旧するだろうと考えていた。それでも、ともかくも水の確保に走ることにした。

 とりあえず水道は生きているように思えた。だが、停電しているのだからたとえ水道管の破裂などの事故がなくても、マンション上層階にまで給水するためにはモーターが動かなければならず、早晩断水になるのではないかと懸念された。

 水がなければ飲用をはじめ炊事などに支障が出る。それよりもなによりもトイレが使えなくなる恐れが強い。今のところ水は出ているので、浴槽へ溜めることにした。いざとなれば飲用にしたってかまわない。更にはポリバケツ、鍋ややかんにも確保することにする。

 次は煮炊きのための火の気である。ここは都市ガスだが、どうやら通常通り使えるようである。それに卓上コンロとカセットボンベ2本があるので、当面炊事の心配はないようだと一安心する。

 タンスや本棚などを点検するが、倒れているものもなく被害はほとんど感じられない。ガス・水道のライフラインもとりあえず生きていることが確かめられた。となると当面の被害は「電気」ということになる。ただこればっかりは自力ではなんともしようがない。当面、情報収集に欠かせないラジオを維持するために、乾電池の在庫が必要である。単三、単四とも数本見つかり、万全とはいえないものの当面しのげそうな気配である。

 秋分の日まで20日余りを残しているとはいえ、午前3時は真っ暗である。4時を過ぎても窓の外に白みはまだ感じられない。のろのろと進む時間と、暗い室内でのラジオだけが頼りの生活が始まった。

 停電に対する私の思いは、まず「灯りが点かないこと」だけにあった。「電灯が消えて真っ暗になる」それだけが、停電に対する感触であった。それがテレビが映らないことにつながり、次いで冷蔵庫が機能しないにまで思いが及ぶ。ビールを冷やすくらいのイメージしかなかった冷蔵庫が、実は食品のほとんどすべてを収蔵している保管庫であることに改めて気づく。野菜も肉も魚も、袋詰めされた市販の加工食品から牛乳や卵の果てまで、米や乾麺の類を除いてほとんどの食品が冷蔵庫に頼っていることが分ってくる。

 冷蔵庫の全滅は、そのまま食生活の全滅につながることが分ってきた。いますぐ腐敗が始まるわけではないにしても、停電が長引けば半日、そして一日を経ずして食品の傷みは始まってくることになるだろう。

 米の在庫はある。味噌や醤油などの調味量もとりあえずは間に合っている。だがパンは食べる習慣がないので、買い置きはない。そうすると、停電は電気炊飯器の機能停止を意味しているから、当面米の飯は食えなくなる。妻も幼い頃に鍋・釜で飯を炊いていた親の姿を見てはいるけれど、自らが炊いた記憶はないらしい。新婚当初から自動炊飯器の世話になっている世代である。

 「始めチョロチョロ中パッパ、じわじわ時に火を引いて、赤子泣くとも蓋取るべからず」の格言がどことなく思い出され、妻と互いに苦笑はするもののその言葉が実用につながるとは思えない。それでもガスは使えるのだから、中途半端にしろなんとかなると覚悟を決める。

 停電による次の障害は、エレペーターであった。先に廊下灯が点いていたと書いたが、どうやらそれは避難用の非常電源によるものであったらしく、1〜2時間でダウンしてしまった。我が家は6階である。階段は利用できる。だが足首を痛めて、室内はともあれ外出に杖を必要としている私にとって、真っ暗な階段の昇降はとてもつらい。しかも6階分である。どうしても降りなければならないと言うならともかく、とりあえず自室に軟禁状態になったことを覚悟する。

 地震前日の5日は、台風21号の影響で通勤で利用するJRが全面運休であった。それで昨日は仕方なく地下鉄を利用して事務所へ行った。だが今日の地震で北海道全域が停電となり、JR,はもとより地下鉄も完全に止まっているとのラジオニュースである。しかも交通信号が機能していないため、道路運行の安全が確保できないとの理由で、バスも止まっているらしい。どうやら事務所の様子を探るのは、しばし待たなければならないようである。

 さて、停電の影響はこれだけではなかった。我が家の電話は、時代の流れに逆らって未だにNTTの固定電話を使っている。通常、電話は停電でも通話はできると思い込んでいた。ところが、最近の電話は電話機に家庭用のコンセントが付いていて、電気の供給がなければ留守電だのフアックスだのの付加機能だけでなく、通話そのものができないシステムになっているのである。つまり電話も停電と同時に死んだのである。

 だが通信手段はまだ残っている。パソコンは事務所で利用し家庭にはないし、あったとしても電気がなければ動かないことくらい知っている。おまけに電話回線も使えないのだから、インターネットは通じないだろうことも分る。だが、我が家にはアイポッドというタブレット端末がある。これならばインターネットやメール通信が可能になるはずである。

 残念だった。このタブレットは隣家の娘のワイファイを使っての無線環境にある。このワイファイ機器が停電で機能しなくなっているらしい。携帯電話なら基地局経由で利用可能であり、基地局は停電があっても数時間から一日くらいは非常電源で作動するとのことらしい。だが家庭用のワィファイ装置は停電にはまるで対応していないのである。ネットもメールも使えず、タブレットも死んでいる。

 もう一つ、我が家ではそんなことはなかったのだが、停電はトイレにも影響するらしいのである。水は出ているので、水洗トイレは普段どおり利用できるはずである。温水機能であるとか、便座温めの機能、またそうした機能の自動制御などはで利用できなくなるとしても、トイレ本来の機能は果たせるはずである。

 ところが最近のトイレは節水などのためなのか、排水機能まで電気に頼っているらしい。我が家のトイレはタンクに水をためてその水を手動のハンドルで流す方式なので、ともかく排水に問題はない。ところが1階にある当マンションの集会室では、トイレを住民に開放しているとの情報が入ってきた。停電で使えなくなるトイレがこのマンションでも何戸か普及しているらしい。我が家もタンク式でなければ、トイレ利用のたびにエレペーターのない不便さをかこつ破目になるところであった。ただ、トイレ内は真っ暗で、落ち着かないことおびただしいことであった。これは100円ショップで買ってあったLEDライトをトイレ内に置き、利用のたびに点灯させることで多少は気を紛らわすことができた。

 とりあえず生活に支障はないものの、かくてラジオ以外孤立無援の停電生活が始まった。ビールは10数本常備してあるし、米も残っている。水は出るしトイレも使えるのだから、まあここで数日間篭城するくらいのことはできる。ラジオは停電の完全復旧には一週間ほどかかると伝えているが、ままよ、なんとかなる、開き直りの軟禁生活が始まったのである。

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 まだ停電生活が開始したばかりです。停電解消の先の見えないまま、この生活が結局40時間続くことになりました。更なるそのてん末は「停電3」へ続けます。


                                     2018.9.12        佐々木利夫


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停電40時間初体験2